第6章 生きたいと言ってくれ
真犯人の名前は、向こうから名乗り出てくれた。
「リリア・エルデ。もう一度だけ警告します」
街じゅうの青い照明から、グラウス司祭の声が流れている。
「逃走をやめ、最寄りの教会施設へ出頭しなさい。従えば、予定どおり公開処刑に処します」
「従わなかった場合より、ましな条件に聞こえないな」
俺たちは北区の空き家に身を隠していた。
窓板の隙間から通りを見る。教会兵が二人一組で家々を調べ、住民へ質問している。銀髪の魔女と、黒髪で泥まみれの男。見つけるのは難しくない。
リリアは床へ検査紙を並べていた。
「声が震えました」
「グラウスの?」
「はい。『もう一度』のところで」
「俺には立派な悪役の声に聞こえた」
「昨日までなら、私にも」
リリアは焼けた予備検査紙を持ち上げる。
「この紙が残っていると知ったのでしょう」
「名前も言ってないのに?」
「発煙薬を使ったのは、師と私だけです。保管庫を開けられる人も限られています」
「自白に近いな」
グラウスは地下牢へ来た司祭だ。リリアとの映像接続を切り、緊急処刑を命じようとした男でもある。
こちらの世界へ来てから、妙に顔を出す司祭だとは思っていた。処刑対象を自分の目で確かめるほど勤勉なのではない。リリアが何を覚えているか、何を知ったか、監視していたのだ。
「でも、検査紙だけでは弱い」
俺は床の証拠を見る。
「君の師匠が陰性を記録した。それが捨てられていた。公式の検査紙は後から染められた。それは説明できる。ただ、グラウスがやった証拠はない」
「彼は認めません」
「認めさせる」
「拷問は」
「しない」
「残念です」
「今の、冗談?」
「半分」
怒りを取り戻したリリアは、思ったより物騒だった。
処刑まで九時間。
手元にあるのは、改竄を示す紙と紫の魔力粉。そしてリリアが盗んだ三本の薬。
相手には教会、兵士、オラクルの判定、街中へ声を流す設備がある。
勝負にならない。
「街中へ声を流す設備は、どこにある」
「神託塔です。オラクルの端末とつながっています」
「誰でも使える?」
「枢機卿か、地区責任者だけです」
「グラウスが地区責任者?」
「はい」
「じゃあ、あいつの声だけは街中が聞く」
リリアが俺を見る。
「本人に説明してもらう」
「認めないのでは」
「俺たちに捕まっていると知っていれば、な」
正面から問い詰めれば黙る。脅せば、こちらを犯罪者にできる。
だから、本人が安全だと思っている場所で話させる。
「グラウスの部下に、証拠を持っていると伝える。受け渡し場所を指定して、取引を持ちかける」
「彼は来ません」
「来なくていい。声だけ届けば」
「神託塔から話させるのですか」
「そう。俺たちは別の場所から返事をする」
教会の照明網は、音を街中へ流せる。
それなら逆向きにも使えるはずだ。
看守長の音響魔法は、街の鐘や屋根を共鳴させた。音の通り道さえ分かれば、グラウスの言葉を処刑広場へ引きずり出せる。
「問題は三つある」
指を立てる。
「グラウスに聞かせる声。街へ返す仕組み。あいつに本当のことをしゃべらせる質問」
「一つ目は、私の声」
「居場所がばれる」
「偽の居場所から話します」
リリアが市内地図の一点を指した。
北区第二井戸。
事件が起きた場所だ。
「二つ目は、井戸から神託塔へ続く検査管です。魔力汚染を測るため、音も届きます」
「三つ目は?」
「師の名前を使います」
リリアの指が、エドナの署名をなぞる。
「グラウスは、師が死んだと思っています」
「実際に死んでる」
「声は残っています」
彼女は自分の喉へ触れた。
「私は、師の声を覚えています」
◇
リリアは薬師であり、魔女だった。
俺はようやく、その意味を理解した。
彼女は発煙薬へ紫の魔力粉を混ぜ、細いガラス瓶へ入れた。空き家に残っていた真鍮の筒を加工し、瓶の口へつなぐ。息を吹き込むと、紫の煙が筒の中で震えた。
「もう一度」
俺が言う。
リリアが目を閉じる。
『グラウス。あなたがこの声を聞くなら、私の検査紙は見つかったのですね』
低く、柔らかい声だった。
いつものリリアとは違う。年上の女性が、困った弟子を諭すような響きがある。
紫の煙が声を記憶し、瓶の中で同じ形に揺れ続ける。
「録音か」
「ろくおん?」
「声を保存すること」
「これは残響薬です。師が作りました」
リリアは瓶を見つめる。
「私が初めて調合に成功した日、師は夜まで褒め続けました。うるさかったので、声を消す薬を作ろうと思いました」
「褒められて、うるさいって思えたんだな」
「そのはずです」
「今は?」
「もう一度、聞きたい」
短い言葉だった。
俺は何も足さなかった。
瓶を封じる。
偽の取引材料ができた。
次は井戸だ。
教会兵の巡回が途切れた隙に、路地を抜ける。リリアは煤を髪へ塗り、銀色を隠した。俺は泥を落とし、空き家で見つけた古着へ替えた。
ひどい変装だが、指名手配の絵がない時代には通じる。
北区へ近づくほど、家が減った。
窓は閉ざされ、扉に白い封印紙が貼られている。井戸の周囲には縄が張られ、立入禁止の札が下がっていた。
ここで子供が眠ったままになった。
「その子は」
「生きています」
「治せる?」
「原因が分かれば」
処刑を止めるだけでは終われない。
真犯人を暴き、汚染を消し、被害者を起こす。やることが増えていく。
不思議と嫌ではなかった。
縄をくぐり、第二井戸へ。
石組みの側面に細い銀管がある。地下を通り、神託塔の検査室まで続いているらしい。
リリアが残響薬を管へ取りつけた。
「どれくらいで届く」
「すぐです」
瓶の栓を抜く。
紫の煙が管へ吸い込まれた。
十秒。
二十秒。
街の照明が一斉に瞬いた。
「エドナ」
グラウスの声が響く。
驚きと恐怖が混じっていた。
「生きているのか」
食いついた。
リリアが別の管へ口を寄せる。自分の声で話せば正体がばれる。俺が代わった。
「質問に答えろ」
「誰だ」
「エドナ・エルデの記録を持っている者だ」
街の照明から返事が来る。
「金が望みか」
「予備検査が陰性だったのに、なぜ処刑判定が出た」
「検査の誤りだ」
「どちらが?」
「エドナの検査がだ」
「本検査紙は、中央から魔力を落とされている。井戸水へ浸していない」
沈黙。
「誰から聞いた」
「答えろ」
「取引をしたいのだろう。場所を指定しなさい」
慎重な男だ。
こちらから情報を引き出そうとしている。
「エドナは、事故で死んだのか」
「そう記録されている」
「お前が殺した?」
照明が明滅した。
「言葉を選べ。神聖管理教会への侮辱は、魂の危険度を上げる」
「オラクルに都合の悪い結果を出したから?」
「オラクルは誤らない」
初めて、グラウスの声へ怒りが混じった。
「なら、誤った検査紙を作ったのは人間だ」
「黙れ」
「リリアの魔力を保存していた棚があった。何に使ってた」
「お前は何者だ」
「質問してるのは俺だ」
ヨルンに言われた言葉を、そのまま返した。
地位のある人間ほど、答えを強制されることに慣れていない。
「リリアの死戻りを使って、何を見た」
リリアが俺を見る。
これは推測だった。
彼女の魔力を長年保存していた。井戸の汚染へ使うだけなら、一度でいい。何度も開閉された棚の跡とは合わない。
グラウスが黙ったことで、推測が答えになる。
「未来か?」
リリアの能力は死後に時間を戻す。戻った後の記憶は本人しか持たないはずだ。
だが魔力の一部を保存できるなら、残響も保存できるかもしれない。
「エドナは、そこまで気づいていたんだな」
「あの女は」
グラウスの声が低くなる。
「神の恩恵を無駄にしようとした」
「恩恵?」
「死のたびに未来の情報を持ち帰る魂だ。適切に観測すれば、災害も反乱も防げる。オラクルの精度は完成へ近づく」
街のどこかで扉が開いた。
住民たちが声を聞いている。
だが、まだ足りない。
この会話は神託塔と井戸の間だけだ。街の照明から聞こえるグラウスの声は、俺たちにしか聞こえていない。通常の放送を止め、私的な回線へ切り替えている。
処刑広場へ流す仕組みが必要だった。
リリアが井戸の縁へ手を置く。
銀管に流れる音の振動を読む。
「つながる場所が分かります」
「どこ」
「処刑台の下です」
公開判決を読み上げるための管がある。
「行こう」
残響薬を管へ残し、俺たちは走った。
グラウスの声が追ってくる。
「リリアは、観測のたびに抵抗した。感情を失えば従順になるはずだった」
リリアの足が一瞬止まる。
「聞くな」
「聞きます」
「処刑の日を繰り返させたのは、お前か」
「最初の数十回だけだ。その後は、本人が勝手に戻った」
怒りで視界が狭くなる。
本人が勝手に。
死ななければ翌日へ進めない状況を作り、繰り返した責任だけを押しつける。
「井戸を汚したのも、もう一度リリアを処刑の日へ戻すためか」
「必要な観測だった」
「子供が一人、眠ったままだ」
「一人で済んだ」
処刑広場が見えた。
朝の市が開き始め、人が集まっている。広場の中央には薪を積まれた処刑台。脇に大きな鐘がある。
その下に、音を送る銀管が通っているはずだ。
問題は、看守長が先に待っていたことだった。
「来ると思っていた」
濃紺の制服を着た大男が、鐘の前に立っている。手には細い指揮棒。
周囲の兵士が剣を抜く。
「リリア、管を」
「あなたは」
「鐘を止める」
無理だ。
三度目に死んだ俺が、一番よく知っている。
それでも、リリアが管へたどり着く数秒を作る。
俺は看守長へ走った。
指揮棒が上がる。
鐘が鳴る前に、地面へ伏せた。
音の刃が頭上を抜ける。
一度見た攻撃なら、最初の一撃だけは避けられる。
二撃目。
石畳が震える。
右へ転がる。肩へ細い傷が走った。
看守長は鐘だけを使っていない。靴音、剣の擦れる音、人々の悲鳴。広場にある音すべてを刃へ変える。
リリアが処刑台の下へ滑り込む。
兵士が追う。
俺は落ちていた木板を拾い、石畳へ叩きつけた。
乾いた音。
看守長が反射的に指揮棒を向ける。
自分で作った音が刃になり、こちらへ返る。
木板を盾にする。
真っ二つに裂けた。
手のひらまで切れ、血が飛ぶ。
だが一秒稼いだ。
リリアが銀管を引き出した。
「つなぎました!」
処刑台の両脇にある青い照明が紫へ変わる。
グラウスの声が広場へ響いた。
『エドナは死戻りを封じようとした。だから処分した』
人々が立ち止まる。
『リリアには、まだ使い道があった。感情のない器になれば、オラクルへ接続できたものを』
看守長の指揮棒が止まった。
「司祭、なのか」
グラウスは、自分の声が公開回線へ移ったと気づいていない。
俺は管へ叫ぶ。
「リリアを犯人にするため、検査紙を改竄したな」
『あの魔女が死ねば、判定は正しくなる』
広場がざわめいた。
『可能性を消すことが、我々の役目だ』
十分だった。
看守長が指揮棒を下げる。
しかし、兵士の一人が処刑台へ上がった。
法衣の下に革鎧を着ている。グラウスの直属だ。
「魔女を殺せ!」
男が剣を振り上げる。
リリアは管へ集中し、背を向けている。
俺は走った。
間に合わない。
胸の奥で、砂時計が反転した。
『対象者からの信頼を確認』
『運命変動率が規定値を超過』
『接続段階6』
『死戻りの砂時計を100%使用できます』
世界から音が消えた。
銀の砂が、広場全体を満たす。
剣がリリアの背中へ届く。
血が散る。
俺が彼女の名を呼ぶ。
その一秒後、砂時計が落ちきった。
◇
木板を石畳へ叩きつける直前へ戻った。
手の傷が消えている。
リリアは処刑台の下へ向かっている。
兵士はまだ剣を抜いていない。
俺は木板を投げた。
看守長ではなく、法衣の兵士へ。
背中へ当たり、男がよろける。
「そいつがリリアを狙う!」
看守長が指揮棒を向けた。
兵士の剣が抜かれる。その音を捕らえ、見えない刃が手元を打つ。
剣が石畳へ落ちた。
リリアが管をつなぐ。
同じ告白が広場へ流れた。
今度は、誰も傷つかなかった。
グラウスが公開回線に気づく。
『切れ! 今すぐ接続を――』
声が途絶えた。
だが、一度聞いた言葉は消えない。
広場の人々が、処刑台と神託塔を見比べる。誰かが「検査紙を見せろ」と叫んだ。別の誰かが続く。
看守長は指揮棒を腰へ戻した。
「リリア・エルデ」
彼女が振り向く。
「お前を拘束する」
俺は前へ出た。
「話を聞いてなかったのか」
「聞いた。だから、保護拘束だ」
看守長は処刑塔ではなく、教会兵へ向き直る。
「グラウス司祭にも出頭を求める。拒む者は、証拠隠滅の容疑で捕らえろ」
群衆から歓声は上がらない。
すべて解決したわけではなかった。
オラクルの判定は残っている。教会を信じる者もいる。グラウスが一人で行ったと切り捨てられるかもしれない。
それでも、処刑台の火は消された。
リリアの首へ縄はかからなかった。
◇
眠った子供が目を開けたのは、昼を過ぎてからだった。
汚染の正体は、リリアの魔力そのものではない。魔力粉と一緒に井戸へ入れられた、魂を眠らせる薬だった。
グラウスの検査室から原液が見つかり、リリアが中和薬を調合した。
小さな寝台の周りで、家族が泣いている。
リリアは少し離れた場所に立っていた。
「近くへ行かないのか」
「私を見ると、怖がります」
彼女はまだ魔女だ。
処刑が止まっても、疑いがすべて消えたわけではない。
「リリアが治したって、家族は知ってる」
「知ることと、信じることは違います」
子供の母親がこちらへ来た。
頬は涙で濡れている。
リリアの前で立ち止まり、深く頭を下げた。
「娘を、ありがとうございました」
リリアは動かなかった。
「私は」
声が途切れる。
どう答えればいいか分からないらしい。
「仕事をしただけです」
ようやく出た言葉が、ひどく不器用だった。
母親はもう一度頭を下げ、寝台へ戻った。
リリアが胸元を押さえる。
「今度は、どんな痛み?」
「痛くありません」
薄紫の目から、一筋だけ涙が落ちた。
本人は驚いた様子もなく、指先で触れる。
「温かい」
喜び。
失ったはずの感情が、完全ではなくても戻り始めている。
俺たちは治療所を出た。
雨は上がり、二つの月は消えている。朝を越えた街には洗濯物が揺れ、処刑を見るはずだった人々が、いつもの仕事へ戻っていた。
リリアは足を止めた。
「クエストは終わりましたか」
スマートフォンを見る。
『運命変動を確認』
『処刑:回避』
『冤罪:立証進行中』
『対象者の生存意思を確認できません』
「まだだ」
「なぜ」
「君が生きたいと思ってないから」
リリアは目を伏せる。
「処刑は止まりました」
「そうだな」
「師の死も分かりました。グラウスは捕まります」
「たぶん」
「私の役目は終わりました」
平らな声が戻っていた。
俺は腹が立った。
「何のために助けたと思ってる」
「世界を救うためですか」
「そんな大きな話は知らない」
「能力を得るため」
胸を突かれた。
リリアの力があれば、俺は死んでも戻れる。この世界で生き残れる。
考えなかったわけではない。
「それも、ある」
ごまかさず答えた。
彼女の目が、わずかに揺れる。
「でも、それだけなら処刑台で君を死なせて、力だけ借りればよかった」
「接続は切れます」
「そんな仕組み、知らなかったよ」
俺は彼女の肩をつかんだ。
「君が生きたいって言わない限り、このアプリは終わったと認めない。俺も認めない」
「言えばよいのですか」
「俺が欲しい言葉を答えるな」
声が強くなる。
「怖くないなら、怖くなくていい。師匠を殺したやつを許さなくてもいい。助けられて感謝する必要もない。それでも、明日何をしたいか考えてくれ」
「明日」
「処刑の日の次だ。君が何百回も行けなかった日」
リリアは黙り込んだ。
風が銀髪を揺らす。
「分かりません」
「なら、一緒に考える」
「あなたは、いつまでいますか」
その質問に、答えられなかった。
帰る方法は分からない。アプリが次に何を求めるかも。
「約束はできない」
自分で言った言葉が返ってくる。
「できなくても、するのでしょう」
「覚えてたのか」
「まだ」
リリアが小さく息を吸う。
「薬草店を」
「うん」
「師は、いつか薬草店を開くと言っていました。地下の狭い店で、客は来なくて、いつも赤字になると」
「ずいぶん具体的な失敗予想だな」
「私が調合し、師が売れば、そうなるそうです」
「君は売る方が向いてない?」
「客に、必要のない薬は必要ないと言ってしまいます」
「正しいけど商売には弱い」
「はい」
彼女の口元が少しだけ緩む。
「店を見てみたいです」
「作るんじゃなく?」
「まず、明日。場所を探します」
「その次は」
「分かりません」
「十分だ」
リリアは空を見上げた。
二十四時間前には、処刑台しか見えていなかった空だ。
「生きたい」
声は小さかった。
けれど、アプリは聞き逃さなかった。
『対象者の生存意思を確認』
『運命クエストを達成しました』
『一時接続率:100%』
赤い糸が、金色へ変わる。
続いて、二つの選択肢が表示された。
『彼女との関係を保存する』
『彼女の記憶を削除し、能力を永久継承する』




