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異世界マッチングアプリで相性0%の彼女を救ったら、忘れられるたびに能力を継承して最強になりました  作者: 藤崎聖子


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第4章 死んでも終われない魔女

「三度?」


 聞き返したときには、階段から灯りが落ちてきていた。


「おい!」


 見張り――ヨルンの怒鳴り声が近づく。


 俺は空の樽を抱え、立ち上がった。


「どういう意味だ。あとで聞かせてもらうからな」


「あと、があれば」


「縁起でもないことを言うな」


 階段へ足をかける。


 上から現れたヨルンは、俺の顔と樽を交互に見た。


「水をやるだけで、なぜこんなにかかる」


「話しかけられました」


「魔女に?」


「はい」


「何を言われた」


 正直に答えられるわけがない。


「水がまずいと」


 ヨルンは真顔で俺を見た。


 腰の剣へ手を置く。


「バルド」


 呼ばれて、反応が遅れた。


「はい」


「お前は誰だ」


 失敗した。


 頭で理解したのと、ヨルンが剣を抜いたのはほぼ同時だった。


 後ろへ下がる。踵が階段を外れた。


 体が落ちる。


 背中を石段へ打ちつけ、息が止まった。樽が腕から離れ、派手な音を立てて砕ける。


 ヨルンの靴が目の前に下りてくる。


「止まれ」


 止まっている。動きたくても動けない。


 剣先が喉へ向いた。


「どこから入った」


「答えたら、見逃してくれる?」


「質問しているのは私だ」


 牢の中で鎖が鳴る。


「その人は関係ありません」


 リリアが言った。


 ヨルンは俺から目を離さない。


「魔女が庇うなら、関係がある」


 最悪の証明だった。


 逃げ道を探す。左は壁。右は鉄格子。後ろへ下がればリリアの牢。ヨルンを押しのけて階段を上がるしかない。


 俺は床へ落ちた木片をつかんだ。


「動くなと言った」


 剣先が走る。


 熱い線が肩に入った。


 痛みは一拍遅れてきた。切られたと理解した瞬間、傷口から火を流し込まれたように熱くなる。


「ああっ!」


 木片を投げる。


 ヨルンが顔をかばった隙に、階段へ飛びついた。


 二段。


 三段。


 背中へ衝撃。


 胸から、剣が生えていた。


 先端についた赤いものを眺める。自分の血だと気づくまで、少し時間がかかった。


 膝が石を打つ。


 息を吸おうとしても、喉の奥で湿った音が鳴るだけだった。


 怖い。


 死ぬ。


 考えは言葉にならず、同じ形で頭の中を回った。


「レン!」


 リリアの声が聞こえた。


 初めて、彼女の声に明確な感情があった。


 俺の名を呼ぶ声だけを残して、地下牢が暗くなった。


 砂が落ちる。


 胸の奥に見えていた小さな砂時計。その上側にあった一粒が、細いくびれを抜けた。


 世界が裏返った。


     ◇


「レン」


 目を開ける。


 薄紫の瞳が、鉄格子の向こうにあった。


「うん」


 俺の口が勝手に答えた。


「今夜、あなたは三度死にます」


 袖を握られている。


 地下牢。空の樽。階段の上から近づく足音。


 胸を押さえた。


 剣はない。血もない。肩の傷さえ消えている。


 それでも背中から胸へ抜けた鉄の冷たさが、体の内側に残っていた。


「戻った」


「はい」


「俺、死んだよな」


「はい」


 リリアは袖から手を離した。


 階段の上でヨルンが怒鳴る。


「おい、遅いぞ!」


 まったく同じ声だった。


「時間が戻ったのか」


「話はあとです。今は、違う答えを」


 ヨルンの足音が近づく。


 違う答え。


 俺は樽を抱えた。


 頭の中に、さっきの失敗が鮮明に残っている。バルドと呼ばれて反応が遅れた。魔女と話したと言って疑われた。


 なら、そこを変える。


 階段からヨルンが現れた。


「水をやるだけで、なぜこんなにかかる」


「すみません。腹が」


 俺は下腹を押さえ、顔をしかめた。


「お前までか、バルド」


「はい。たぶん同じ鍋です」


「まったく、厨房の連中は何を――」


 ヨルンの目が樽へ落ちた。


「杯はどうした」


「下に置きました」


 牢の前には杯が落ちている。


 ヨルンは舌打ちし、道を空けた。


「拾ってから戻れ。夜明けまで持ち場を離れるな」


「分かりました」


 横を通る。


 心臓の音が聞かれそうだった。


 ヨルンは俺を見ていない。


 階段を上りきる。


 助かった。


 そう思った瞬間、壁の白い術式が光った。


 地下牢から警報音が響く。


「何だ」


 ヨルンが振り返る。


 術式から白い線が伸び、俺の背中へつながっていた。


『未登録魔力を検出』


 日本語の表示ではない。それでも意味が頭へ入る。


 リリアから一%借りた力。


 それを監視術式が拾った。


「待て、バルド」


 俺は走った。


 机を蹴り倒し、通路を右へ曲がる。


 背後で呼子笛が鳴った。別の足音が上階から下りてくる。


 逃げ道は下水。


 物置へ飛び込み、扉を閉める。麻袋をどけ、石段を駆け下りた。


 背後で扉が開く。


「いたぞ!」


 水路へ出た。


 泥水を蹴って走る。横穴まで戻れば、鎧を着た兵士は追えない。


 曲がり角。


 鉄格子。


 左の横穴へ滑り込む。


 その入口で、足をつかまれた。


「捕らえた!」


 爪が石を引っかく。


 引きずり出される。


 振り返ると、革鎧の兵士が二人いた。一人が俺の足を持ち、もう一人が短い杖を向けている。


「動くな」


 杖の先に青い光が集まった。


 動けば撃たれる。


 動かなくても捕まる。


 俺はポケットのスマートフォンをつかみ、兵士へ向けた。


「こっちには、爆発する道具がある」


「何だ、それは」


 脅しは半分だけ成功した。


 兵士の手が止まる。


「近づけば、この塔ごと吹き飛ぶ」


 もちろん嘘だ。投げても時間経過で直るらしいから、硬い石くらいにはなるかもしれない。


 杖の男が目を細めた。


「魔導具か」


「そうだ」


「起動紋がない」


 半分の成功が終わった。


 青い光が弾ける。


 胸を殴られたような衝撃で、体が浮いた。


 背中から水路へ落ちる。


 起き上がろうとしたが、腕が動かなかった。胸から下の感覚がない。口の中に鉄の味が広がる。


 兵士たちの声が遠い。


「殺したのか」


「抵抗した」


「素性を聞く前に殺すな」


 視界の端で、スマートフォンだけが光っている。


『運命接続が解除されます』


『対象者の死亡を確認』


 対象者。


 俺のことか。


 最後にそんな疑問が浮かび、砂が落ちた。


     ◇


「レン」


 鉄格子の向こうで、リリアが俺を見ていた。


「うん」


「今夜、あなたは三度――」


「二度、死んだ」


 言葉を遮る。


 リリアは目を伏せた。


 俺はその場へ座り込んだ。


 足に力が入らない。死ぬ直前の麻痺が残った気がする。胸を触れば傷はないのに、肺が空気を拒んでいた。


「これで二度目」


「はい」


「あと一回、死ぬ?」


「このままなら」


「どうして分かる」


 怒鳴りそうになり、声を抑えた。


 ヨルンが上にいる。


「何度も見たからか」


 リリアは黙っている。


「答えてくれ。君の能力は死んだら時間を戻す。俺はそれを一%借りてる。だから俺が死んでも戻る。違うか」


「違いません」


「どこまで戻る」


「本来は二十四時間前です」


「今は数分だ」


「あなたが使っているのは、私の力のごく一部です。接続した直後までしか戻れない」


 胸の砂時計を見る。


 上側の砂は、また一粒に戻っていた。


「回数に限界は」


「私が生きている間は」


「じゃあ、何度でも試せる」


 自分の声に、わずかな希望が混じった。


 死の恐怖を知ったばかりなのに、その死を便利なやり直しとして数えようとしている。


 リリアは俺の顔を見た。


「何度でも、ではありません」


「でも戻れるんだろ」


「戻るたび、失います」


「何を」


「感情を一つ」


 階段の上から、ヨルンの声がした。


「おい、遅いぞ!」


 残された時間が減っていく。


 俺は樽を置き、鉄格子へ近づいた。


「感情って、具体的には」


「最初は小さなものでした。嫌いな食べ物への不快感。雨の日の憂鬱。次に、寂しさ。驚き」


 リリアの声は平らだった。


「痛みは残ります。記憶も残る。でも、それに心が動かなくなる」


「何回、戻った」


「覚えていません」


「数えてたはずだ」


「二百七十三回までは」


 耳を疑った。


「それより先は?」


「数が増えることに、何も感じなくなりました」


 松明が揺れた。


 彼女の薄紫の目には、炎の色が映っている。それだけだった。


「全部、処刑を避けるために?」


「最初は」


 また、その言葉。


「逃げました。罪状を否定しました。真犯人を捜しました。看守を説得しました。司祭を殺そうとしたこともあります」


 リリアは自分の手首の枷を見る。


「何をしても、朝になると死にました。火で。剣で。毒で。逃げた先では、オラクルの執行者に」


「だから諦めたのか」


「諦めたとき、悲しくなくなりました」


 それは救いではない。


 死ななくなったわけではない。死を嫌がる心から順番に削られただけだ。


「俺を呼んだのは」


「アプリが現れました」


「いつ」


「数えるのをやめた後です」


「助けを求めようとは思えた?」


「最初の画面に、あなたがいました」


 リリアは、少しだけ眉を寄せた。


「知らない人のはずでした。でも、見ていると」


「見ていると?」


「もう一度だけ試したいと思いました」


 階段に足音が近づく。


 三度目のヨルン。


 リリアが声を低くする。


「今度は、私を置いて逃げてください」


「嫌だ」


「次に死ねば、あなたも何かを失うかもしれません」


「一%でも代償は同じなのか」


「分かりません」


「なら、死ななきゃいい」


 威勢のいいことを言った途端、二度分の痛みが胸と背中で蘇った。


 死なない。


 簡単な言葉ではない。


「レン。三度目は、ここを出てからです」


「どこで」


「鐘楼の下」


「誰に殺される」


「看守長。音を刃にする魔法を使います」


「そこまで分かってるなら、避けられる」


「前も、そう言いました」


 ヨルンが階段へ姿を見せた。


 俺は樽を抱え、振り返る。


「水をやるだけで、なぜこんなにかかる」


「樽の底が割れました。魔女から離して確認していました」


 壊れた樽ではない。だが暗い地下なら、すぐには分からない。


 ヨルンが階段を下りてくる。


「見せろ」


 近づいた瞬間、俺は樽を投げた。


 ヨルンが腕で顔を守る。


 その腰から鍵束を奪った。


「貴様!」


 鉄格子へ走る。


 鍵は七本。


 一本目。入らない。


 二本目。回らない。


 背後で剣が抜かれる。


 三本目。


 錠が開いた。


 扉を引き、牢へ滑り込む。ヨルンの剣が鉄格子を打った。


「首輪はどれだ!」


「銀色の鍵」


 鍵束から細い一本を選ぶ。


 手枷。首輪。足枷。


 順番に外れる。


 警報が鳴った。


「立てるか」


「走れます」


 リリアが片手を上げた。


 空気中に銀色の砂が集まる。


 ヨルンが剣を振り下ろす。


 砂が刃へ絡み、動きを遅くした。止まったわけではない。水の中を振るように、剣が少しずつ進む。


 俺たちは横を抜けた。


 階段を上がり、机を倒す。追ってきたヨルンがつまずく。物置を抜け、下水へ。


 同じ道なのに、一人増えるだけで速さが違った。


 リリアは裸足だ。足裏を切っても、顔色一つ変えない。俺が横穴を示すと、迷わず泥へ入った。


 狭い穴を抜ける。


 背後の兵士たちは追ってこない。


 水路の蓋まで走った。


 地上へ出ると、雨が強くなっていた。


「どこへ」


「鐘楼を避ける」


 地図を見る。


 処刑塔から離れる道は三本。西の大通り、北の市場、南の細道。


「西へ行ったとき、鐘楼を通りました」


「北は」


「門が閉じています」


「南」


「試していません」


「決まりだ」


 細道へ走る。


 青い街灯が雨の中で滲む。早朝前の街に人影はない。リリアの手をつかみ、角を二つ曲がった。


 処刑塔の警報が遠ざかる。


「いける」


 口にしたとき、鐘が鳴った。


 俺たちの正面に、高い塔が立っていた。


 処刑塔ではない。


 街の南にある、小さな鐘楼。


 上部の窓から人影が見下ろしている。


「侵入者を確認」


 低い声が、雨音を押しのけて届いた。


 鐘楼の鐘が二度目を鳴らす。


 音が空気を裂いた。


 リリアが俺の腕を引く。


 目に見えない何かが、さっきまで俺の首があった場所を通り過ぎた。背後の石壁に細い亀裂が走る。


「音の刃」


 看守長。


 道を変える。


 三度目の鐘。


 次は足元を狙われた。石畳が割れ、破片が頬へ刺さる。


「走って!」


 リリアが叫ぶ。


 俺たちは軒下へ飛び込んだ。


 屋根が音を遮る。


 そう思った。


 四度目の鐘は、屋根瓦そのものを震わせた。


 頭上から瓦が降る。


 リリアを突き飛ばす。


 重いものが後頭部へ当たった。


 膝をつく。


 鐘楼の窓で、看守長が細い棒を振っている。鐘を直接叩いているのではない。街中の物を共鳴させ、どこからでも音を作れる。


 知らなかった。


 リリアは知っていた。


 それでも、逃げ切れなかった。


 五度目の音が、俺の頭蓋の内側で鳴った。


 視界が赤く染まる。


 倒れながら、リリアの口が動くのを見た。


 声は聞こえない。


 砂が落ちる直前、俺は彼女の言葉を読んだ。


 ごめんなさい。


     ◇


 雨の臭いが消えた。


 松明の熱が戻る。


「レン」


 鉄格子の向こうで、リリアが俺の袖を握っている。


「うん」


「今夜、あなたは三度死にます」


 四度目の始まりだった。


 俺は自分の中を探った。


 何かを失ったか。


 母親の顔は、もともと思い出せない。会社の同僚も。好きだった映画。初めて買った本。子供の頃に住んでいた町。


 どれも輪郭が薄い。


 失ったのが今なのか、もっと前なのか分からなかった。


 ただ一つ。


 異世界へ落ちる直前まで、冷蔵庫に卵が四つあることを妙に気にしていた。


 その卵を、誰と食べるつもりだったのか。


 最初から一人だったはずなのに、答えのない穴だけが胸に残っている。


「戻ってきましたね」


 リリアが言う。


「ああ」


「次は、私を置いて」


「それも嫌だ」


「では、何を変えますか」


 三度の失敗を思い返す。


 見張りをごまかした。


 鍵を盗んだ。


 下水へ逃げた。


 そこまでは通じた。


 負けたのは、外へ出てからだ。看守長は街の音を武器にする。鐘楼を避けても、屋根も石も雨樋も鳴らされる。


 走って逃げる限り、勝てない。


「逃げるのをやめる」


 リリアの目が、わずかに動いた。


「処刑まで十二時間ある。君は昨日捕まったと言った。だったら処刑の原因を作ったやつは、まだ街にいる」


「真犯人を捜すのですか」


「それだけじゃない。公開処刑をするなら、人が集まる。そいつら全員の前で、君が犯人じゃないと証明する」


「失敗しました。何度も」


「君一人では」


 言ってから、胸が痛んだ。


 一人では無理だった。だから俺がいればできる。


 そんな保証はない。


 俺は三回死んだだけで、立っているのが怖い。リリアはその何十倍、何百倍も死んだ。


 彼女の失敗を、助ける側の言葉で簡単に片づけてはいけない。


「違うな」


 言い直す。


「君が試したことを、全部教えてくれ。うまくいかなかった理由も。俺は君の知らないことを探す。君は俺の知らないこの街を教える。二人で、まだ選んでない方法を作ろう」


 リリアは黙っていた。


 階段の上で、ヨルンが俺を呼ぶ。


 同じ夜。


 同じ地下牢。


 処刑台も、看守も、鐘の音も変わらない。


 変わったものがあるとすれば、三度死んだ俺と、数百回死んだ彼女が、ようやく同じ失敗を見ていることだけだった。


「一つ、条件があります」


「何だ」


「次に戻れば」


 リリアの指が、俺の袖を強くつかむ。


「あなたを惜しいと思う気持ちが、消えるかもしれません」


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