第30章 運命を選ばない
『00:00:09』
残り九秒。
考える時間はない。
でも、材料はそろっている。
「リリア。契約を見せて」
「何を」
「俺を回収容器にした、最初の契約」
未来リリアが両手を広げる。
白い空間に赤い糸が現れた。
彼女。
DESTINY。
オラクル。
破滅候補者たち。
人工人格の俺。
すべてを結ぶ糸。
ヴァルナと食べようとしたときは、正体を知らなかった。
今は違う。
「本物のレンを取り戻すため、五人の魂片で人格を作る。彼女たちの運命を変え、能力と破滅可能性を集める。最後に容器を削除して世界を修復する」
契約の主体。
目的。
対価。
全体が見える。
概念捕食を開く。
黒い穴が、赤い糸へ食らいついた。
『00:00:08』
糸は抵抗する。
俺の胸へ食い込み、五つの能力を引き抜こうとする。
「食べるのは能力じゃない」
狙いを絞る。
「破滅を一人へ集める契約だけだ」
黒い穴が糸の表面を剥がす。
契約と能力が分かれる。
ヴァルナが、失った竜族の名を世界へ残したように。
力を奪わず、使い道だけを変える。
赤い糸がちぎれた。
『集約処理に失敗』
オラクルの輪に亀裂が入る。
『代替処理を開始』
『世界規模の同意取得が必要です』
『回答猶予を再設定します』
白い空間に、四百七十一の世界が戻った。
全部の失敗が一度に押し寄せる。
映像ではない。人格モデルに保存された、過去の俺たちの敗北記録だ。同じ基礎人格から作られた四百七十人分の痛みが、現在の俺へ経験として統合される。
三十二回目の俺は、リリアだけを保存した。
彼女と手をつないだまま、遠くで四つの都市が消える音を聞いた。
百八回目の俺は、全員の記憶を消した。
五能力を最短で集め、迷わず自分を削除した。
世界は一日だけ修復され、翌朝には次の回収容器が起動した。犠牲を受け入れたことで、「誰か一人を消せばよい」という規則を完成させていた。
二百九十六回目の俺は、生命共有で破滅を世界へ強制的に流した。
人々は理由も知らず痛みを背負わされ、互いを犯人だと思って殺し合った。
三百八十八回目の俺は、概念捕食で契約すべてを食べた。
能力も、救われた事実も、五人が自分で選んだ未来も消えた。
正しそうに見えた答えほど、別の誰かから選択を奪っている。
記憶を消しすぎて、俺の人格が壊れる。
ヴァルナの概念捕食が暴走する。
アリアの奇跡否定が届かない。
同じ結末へ何百通りの道で敗北している。
体が裂ける。
敗北適応を開く。
一度負けた結果なら、次へ対応できる。
四百七十一回の失敗を、一つずつ受け入れる。
無効にはならない。
死の痛みも、別れも流れ込む。
膝をつく。
「レン!」
「大丈夫じゃない」
正直に言う。
「でも、次が分かる」
失敗の共通点。
どの周回も、破滅の負担を一人へ載せた。
リリア。
候補者。
俺。
誰か一人を犠牲にしようとしたから、別の場所で破綻した。
『同意取得猶予 00:10:00』
生命共有の糸を開く。
今度は五人だけではない。
世界中の魂へ伸ばす。
神託を受けたすべての人間は、オラクルに魂の識別情報を登録されている。俺は新しい接続を作るのではない。神託塔に残る既存の回線を、生命共有の通路として借りる。
『同意のない接続は成立しません』
「知ってる」
無理につながない。
世界中の神託塔へ、選択を送る。
『破滅可能性の一部を受け入れますか』
説明も添える。
痛みは消えない。
未来は予測できなくなる。
選択を誤れば争いも起きる。
それでも、自分の人生を自分で選ぶか。
最初の返事は、アリアだった。
俺を知らない聖女が、薄青の聖衣で画面へ触れる。
『受け入れます』
次にミオ。
セレス。
ヴァルナ。
十九歳のリリア。
次に届いたのは、拒否だった。
北の村に住む老人が、神託塔へ首を振る。
『自由になって、また戦争が起きるなら受け入れない』
画面は赤くならない。
危険人物の印もつかない。
『回答:拒否』
それだけだ。
「それでいい」
拒む自由まで認めなければ、選択とは呼べない。
別の塔で、パン屋の女が幼い娘の手を握る。
『この子の仕事を、この子が決められるなら』
母親が先に触れようとする。
娘がその手を止めた。
『お母さんじゃなくて、私が押す』
小さな指が承認へ触れる。
騎士の詰所では、若い兵士が仲間と怒鳴り合っていた。
若い兵士『命令がなくなったら、誰が責任を取る』
仲間『俺たちだろ』
『それが怖いと言っている』
口論の末、一人は受け入れ、一人は拒んだ。
倒れたグレゴールの前にも選択が出る。
枢機卿は震える指を伸ばし、拒否へ触れた。
『私は、管理のない世界を信じない』
俺も、その答えを消さない。
地下街では、名前も知らない獣人たちが一つの端末を囲んでいる。
『痛みは分けられる。でも、答えは一人ずつだ』
誰かが言った。
順番に、別々の指が画面へ触れていく。
五人から世界へ広がる。
拒否する者もいる。
答えない者もいる。
強制しない。
九分五十四秒、待った。
世界を救うためでも、選ぶ時間まで奪えばオラクルと同じになる。
『00:00:06』
概念捕食で、破滅可能性を魂が背負える負荷へ変える。黒い穴が抽象的な数値を、痛みと不確かな未来へほどいていく。
変換された負荷が、受け入れた人々の間へ薄く分かれていく。
同意なく災いを押しつけたのではない。
未来が一つへ決まらない余白として、全員が少しずつ持つ。
オラクルの予測値が乱れた。
『未来収束に失敗』
『00:00:04』
それでも、契約の始点が残っている。
リリアが本物のレンを復元した最初の選択。
そこへ戻らなければ、また別の器が作られる。
「リリア」
未来の彼女へ手を伸ばす。
「君の死戻りと、俺の時間回帰をつなぐ」
「二十四時間しか戻れません」
「DESTINYは、四百七十一周分の時間を持ってる」
未来リリア。
アプリ本体。
俺の継承能力。
三つを接続する。
通常の時間回帰ではない。
一度限りの共鳴。
「戻すのは世界全部じゃない」
「では」
「最初の契約が選ばれる直前まで、因果だけを戻す」
砂時計を反転させる。
未来リリアが手を重ねる。
DESTINYの赤い糸が、砂へほどける。
白い空間が逆向きに流れた。
四百七十一の世界が、一つずつ畳まれる。
時間ではなく、選ばれなかった可能性へ戻っていく。
『00:00:02』
因果の内側では、外の時計がほとんど進まない。選択が確定するまで、この二秒は俺たちの言葉を待っている。
最初のリリアが、黒い板へ触れる直前。
本物のレンは死んでいる。
世界も滅びかけている。
彼女は、レンを復元するか、諦めるかの二択を迫られていた。
そこへ、今の俺の手を差し込む。
「俺を諦めなくていい。契約は残せる」
黒い板へ、未来から新しい終端条件を重ねる。
「ただし、誰かを器にして終わる条件だけは、今ここで選び直せる」
最初のリリアが、二つしかなかった選択肢の外へ指を伸ばす。
「それを、私が選びます」
ここまで成立した歴史は消さない。
人工人格として生きる俺も、五人が選び取った未来も残す。
書き換えるのは契約の起点ではない。最後に容器を削除し、集めた破滅を一人へ押しつける終端条件だけだ。既に生まれた結果を残したまま、これから先の履行を止める。
オラクルの輪が最後の命令を出す。
『犠牲なしの世界修復は成立しません』
『真壁レンを削除します』
『00:00:01』
奇跡否定を開く。
一度だけ。
アリアが託した、決められた結果を拒む光。
「誰かを犠牲にしなければ、世界は救えない」
法則を言葉にする。
対象を理解する。
「その結果を拒む」
光が世界を貫いた。
『00:00:00』
削除は実行されなかった。
オラクルの輪が砕ける。
DESTINYの画面から、二つの選択肢が消える。
世界が白くなる。
◇
「代償が要る」
未来リリアの声だけが聞こえた。
「奇跡否定は、無から結果を作れません」
「分かってる」
「何を差し出しますか」
俺の存在。
そう答えれば簡単だ。
また一人で背負う。
「契約の履行を支えていた記憶」
俺と五人を結ぶ、具体的な思い出。
それがなくなれば、成立した歴史を消さずに、能力回収を続ける因果だけを終わらせられる。
彼女たちの能力は、最初から彼女たちのものだ。俺の中に作られた五つの複製だけがほどける。
彼女たちの人生も、俺の存在も残る。
ただし、互いを覚えていられない。
「あなたも、私たちを忘れます」
「今度は同じだ」
一方だけに背負わせない。
それで正しくなるわけではない。
でも、自分だけ痛みを持つふりをして相手から選択を奪うよりはいい。
「受け入れますか」
未来リリアが尋ねる。
「みんなにも聞いて」
五本の糸を通して、選択を送る。
契約の奥に封じられていた記憶が開く。
消えたのではない。
能力へ変えるため、見えない場所へ押し込まれていた記録。
牢獄。
反乱の村。
獣人街。
竜の記憶庫。
聖都の朝市。
五人へ、俺と過ごした時間が一度だけ戻る。
糸の先で、リリアが息をのんだ。
「レン」
名前を呼ばれた。
忘れられると知ってから、ずっと聞きたかった声。
うれしい。
うれしいから、苦しい。
「思い出した?」
「はい。あなたは、私に尋ねず消しました」
「ごめん」
「今は尋ねました」
リリアは記憶削除の光へ手を近づける。それでも触れる直前で止まった。
「忘れたくありません」
短い言葉だった。
俺は答えを急がせない。
「でも、忘れなければ、また誰か一人へ破滅が集まる」
「うん」
「なら、私は嫌だと思ったまま選びます」
指が光へ触れた。
別の糸から、靴をそろえる硬い音がした。
「真壁レン」
セレスが背筋を伸ばしている。
「命令違反、独断行動、重要事項の報告不足。処分理由が多すぎる」
「反論できない」
「以前の貴様は、私へ相談せず結論を出した」
「今度は待つ」
「よろしい」
彼女は剣を抜かず、素手で選択へ触れた。
「これは命令ではない。私の判断だ」
三本目の糸が軽く引かれる。
「うわ。ほんとにいた」
ミオが泣きながら笑っていた。
「あたしの財布取った?」
「取ったのは君だ」
「細かいこと覚えてるね」
「もうすぐ忘れるから」
「それ、ずるい言い方」
鼻をすすり、いつものように指を二本立てる。
「料金、倍じゃ足りないよ」
「何を払えばいい」
「次に会ったら、あたしを知らなくても一回は信用すること」
「相手が君だと分からない」
「じゃあ、困ってる猫耳を見たら全員」
「高くつくな」
「契約成立」
ミオが光をたたいた。
四本目の糸から、低い声が届く。
「ようやく思い出したぞ、小さき旅人」
ヴァルナ。
彼女だけが選択へ触れず、長い沈黙を置いた。
「名は、存在した証しだと申したな」
「君が教えた」
「ならば、忘却を選ぶことは、おぬしを再び殺すことにならぬか」
「俺がいた結果は残る。君が残した竜族の名も」
「我の記憶から、おぬしの名だけが消える」
「そうなる」
「気に入らぬ」
「俺も」
赤い爪が光の寸前で震える。
「気に入らぬ選択を、自ら行うのが自由か」
「たぶん」
「面倒なものを残したな、人間」
ヴァルナは光へ爪を立てた。
最後の糸が、朝の色に変わる。
「レンさん」
アリアは薄青の旅装を着ていた。
「今日は、私が選んだ服です」
「似合ってる」
「相性がよいから、そう答えたのですか」
「似合わなかったら、別の言い方でごまかす」
以前と同じ答えに、彼女が笑う。
「明日の行き先も、自分で決めます」
「うん」
「あなたを忘れても、その選び方は残りますか」
「残すために、今これをやってる」
「では、怖いですが選びます」
アリアが光へ触れた。
リリア。
セレス。
ミオ。
ヴァルナ。
アリア。
全員が、自分で触れた。
「受け入れる」
俺も答える。
記憶が光へ変わる。
今度は、俺だけが別れを覚えているのではない。
五人も、失うものを知った上で同じ場所に立っている。
牢獄の銀髪。
木剣を構えた騎士。
財布を回す黒い耳。
竜族の名を読む声。
朝市を見つめる聖女。
一つずつ、顔が分からなくなる。
名前が消える。
悲しみの理由が消える。
最後に残ったのは、救いたかったという感情だけだった。
◇
オラクルは停止した。
適性表示が消える。
決められた職業も、結婚相手も、危険度も。
神託塔の画面には、初めて何も映らなかった。
人々は戸惑った。
争いも起きた。
明日から何をすればいいか分からず、泣く者もいた。
それでも、誰かの答えを待つ代わりに、隣の人間へ尋ね始めた。
広場の中央で、グレゴールが消えた画面を何度もたたく。
「復旧命令を」
司祭が端末を抱えている。
「経路がありません」
「予備の神託塔へ接続しなさい」
「どの塔も停止しています」
「では、教典の非常手順を」
司祭が震える声で答える。
「非常手順を選ぶ適性判定が、表示されません」
グレゴールの口が開いたまま止まった。
千年分の答えを持つ組織が、次の一歩を知らない。
「枢機卿。どうすれば」
周囲の司祭たちが彼を見る。
以前なら、迷わず命じただろう。
老人は消えた金色の輪へ手を置く。
「分からない」
小さな声だった。
誰も聞き取れず、尋ね返す。
「分からないと言った」
怒鳴った後、グレゴール自身がその言葉に驚いていた。
広場の端では、倒れた巡礼者を誰が治療するかで人々が言い争っている。
男「治療適性の高い者は」
「表示が消えた」
「医師はいないのか」
薬屋「私は薬屋です」
一人の女が手を上げる。
「骨折は分かりません。でも、血は止められます」
裁縫師「私は裁縫師だ。布なら縫える」
薬屋「人を縫ったことは」
「ない」
「なら、私が教える」
できることを一つずつ持ち寄る。
正しい組み合わせかは、誰にも分からない。
それでも巡礼者の血は止まった。
俺は聖都の広場へ立っていた。
なぜここにいるのか分からない。
胸に五つあった力もない。
壊れかけたスマートフォンだけを握っている。
薄青の服を着た女性が、遠くから俺を見る。
知らない人だ。
それなのに、互いに小さく頭を下げた。
女性は首にかけた細い金の輪を外す。
捨てず、手のひらへ載せてしばらく見る。
やがて薄青の服のポケットへしまった。
広場の出口は東西にある。
彼女は両方を見比べた。
誰にも尋ねず、東へ一歩進む。
途中で止まり、西へ向き直った。
間違えたのではない。
選び直したのだと、なぜか分かった。
俺も壊れかけたスマートフォンを見る。
地図はない。
帰る場所も表示されない。
まず、血を止めた人たちのところへ歩いた。
旅を始めるのは、その後でいい。
画面が一度だけ灯る。
『運命管理を終了しました』
文字はすぐに消えた。




