第27章 私の願い
神降ろしの朝、アリアは朝市へ行かなかった。
窓から見るだけだった。
「行かなくていい?」
「はい」
「昨日は見たいって」
「見ました」
広場では商人がパンを並べている。
アリアはその光景を目へ焼きつける。
「だから、次は自分で行く日を決めたいです」
聖衣へ着替える。
白ではなく、薄い青を選んだ。
衣装係は儀式にふさわしくないと言った。
アリアは初めて、相手の悲しそうな顔を見ても選び直さなかった。
「似合う?」
本人から聞かれる。
「似合う」
「相性99%だから、そう答えたのでは」
「似合わなかったら、別の言い方でごまかす」
「正直ではありませんね」
「人間関係には必要な技術です」
アリアが笑う。
自分のための笑顔だった。
◇
大聖堂に、世界中の祈りが集まっていた。
床の金色の輪が光り、アリアを中心に巨大な術式が回っている。
グレゴールは祭壇の前へ立つ。
「聖女アリア。世界の迷いを終わらせなさい」
聖歌が響く。
空が開いた。
雲の上に、無数の金色の輪が重なっている。
神ではない。
オラクルの中枢。
千年分の予測と命令が、一つの意思のように形を作っている。
『接続対象を確認』
人の声ではない言葉が、頭の中へ入る。
『アリア・ルミナス』
『人格を開放してください』
開放。
消去とは言わない。
アリアの体から金色の光が昇る。
広場の人々が跪く。
俺は祭壇の端で見ていた。
アリアが決める。
止めたい気持ちだけで動けば、また彼女の選択を奪う。
「私は」
アリアが口を開く。
「世界から争いが消えることを願います」
グレゴールが安堵する。
「苦しむ人が減ることを願います。誰も、自分の選択を後悔せずに済むなら、それは優しい世界です」
金色の光が強くなる。
「でも」
アリアは空ではなく、朝市の方を見る。
「私は、優しくない明日も見たい」
光が止まる。
「失敗して、誰かを悲しませるかもしれません。行き先を間違え、嫌いな食べ物を選ぶかもしれません」
薄青の聖衣を握る。
「それでも、明日の朝、自分で行き先を決めたい」
グレゴールの顔が歪む。
「聖女!」
「これは世界のためではありません」
アリアが初めて、自分の胸へ手を置く。
「私の願いです」
降りてきた光が、彼女を飲み込む。
奇跡はすでに決まっていた。
神降ろしは成功する。
オラクルが予測した結果。
世界法則が、それ以外を許さない。
アリアが手を上げる。
「拒みます」
特殊能力、奇跡否定。
人生で一度だけ、決められた結果を拒む。
金色の輪へ亀裂が入った。
神降ろしが止まる。
空から落ちていた光が、逆流した。
大聖堂の窓が一斉に割れる。
グレゴールが床へ倒れる。
「なぜ」
彼はアリアを見上げる。
「苦しみを選ぶのです」
「苦しまないことを選ぶ方もいます」
アリアは答える。
「その方の選択も残したいのです」
自由を望まない自由まで含める。
グレゴールは言葉を失った。
オラクルの輪が空で崩れていく。
完全には消えない。
神降ろしを一度拒んだだけだ。中枢は残っている。
アプリが震える。
『対象者が自分自身の願いを選択しました』
『運命クエストを達成しました』
『一時接続率:100%』
選択画面が出る。
「保存する」
俺は言った。
「今度こそ、アプリに何をされても」
関係保存へ触れる。
アリアが俺の手を止めた。
「待ってください」
「削除はしない」
「奇跡否定が必要です」
「君がいる」
「私は、もう使いました」
アリアの奇跡否定は消えている。
一度きり。
継承すれば、俺の中に別の一度が生まれる。
「ほかの方法を探す」
「時間がありません」
空の輪が再び集まり始めている。
神降ろしを拒まれたオラクルが、別の器を探している。
聖都の人々。
誰か一人へ降りるのではない。
全員の魂へ薄く接続し、自由意思を消そうとしている。
「私の記憶と、世界中の選択。比べるべきではありません」
「君が言ったんだ。世界のためじゃなく、自分で選ぶって」
「はい」
アリアは俺のスマートフォンを見る。
彼女の目にも、選択肢が映っていた。
相性99%の接続だけが、画面を共有している。
「だから、私が選びます」
アリアの指が、記憶削除へ触れた。
「待て」
「嫌ですか」
「嫌だ」
「私もです」
「なら」
「嫌でも選べると、あなたが教えてくれました」
正しい言葉が、残酷だった。
「一つ、約束してください」
「何」
「私が忘れた後も、私の願いを世界の願いへ言い換えないで」
「約束する」
「私は、自分の明日のために選びました」
金色の糸が二人を結ぶ。
記憶が流れ始める。
白い部屋。
答えられない質問。
朝市のパン。
薄青の聖衣。
自分で選んだ明日。
「レンさん」
「うん」
「相性99%でも、別れは苦しいですね」
「0%でも同じだった」
「その方へ、もう一度会えますか」
「分からない」
「会えるとよいですね」
糸が切れる。
アリアの目から、俺が消えた。
『能力「奇跡否定」を永久継承しました』
『永久能力枠を拡張しました』
『永久能力枠 5/5』
胸の中に、最後の力が加わる。
砂時計。
盾。
生命の糸。
黒い穴。
そして、一度だけ結果を拒む光。
アリアは俺を見つめる。
「どなたですか」
「旅人」
彼女は薄青の聖衣を見る。
「これは、私が選んだのでしょうか」
「そうだ」
「そうですか」
微笑む。
「では、似合っていますね」
今度は誰にも尋ねなかった。
スマートフォンが黒くなる。
『全回収対象の接続を完了』
『最終会員情報を解放します』
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最初から空欄だった場所に、写真が浮かぶ。
俺の顔だった。




