第26章 自由のない楽園
神降ろしの前夜、グレゴールは聖都の広場へ立った。
何万人もの巡礼者が集まっている。
「千年前、オラクルが生まれる前」
枢機卿の声が、街中の魔導灯から流れた。
「人は自由でした」
広場が静まる。
「王は欲するまま国を奪い、商人は飢えた民へ高値で穀物を売り、親は子の適性を知らず、望まぬ人生を押しつけた」
空中へ数字が映る。
戦争による死者。
犯罪件数。
飢餓。
オラクルの管理が強まるほど、どれも減っている。
「自由は、強者が弱者へ押しつける言葉でした」
民衆の中で、誰かがうなずく。
「神が降りれば、人は二度と間違った相手を選びません。仕事に苦しみません。争いを生む欲望から解放されます」
拍手が起きる。
次第に広場全体へ広がった。
アリアは大聖堂の露台に立ち、微笑んでいる。
俺はその後ろにいた。
「みんな、本気で望んでる」
「はい」
「君は?」
アリアは答えない。
グレゴールが露台へ上がってくる。
「未登録現象」
俺を見る。
「あなたは、自由を守るために来たそうですね」
「アリアが自分で選べるように」
「選んだ結果、世界が滅びても?」
「その二択がおかしい」
「二択を嫌うのは、責任を嫌う者の癖です」
痛いところを突かれた。
「私は若い頃、自由を信じていました」
グレゴールの目が遠くなる。
「父と兄は違う王を支持し、同じ戦場で殺し合った。母は逃亡兵に食料を奪われ、冬を越せなかった」
「だから、オラクルへ?」
「誰も選ばなければ、誰も間違えない」
「竜族を殺す命令にも署名した」
グレゴールの顔は動かない。
「彼らが都市を焼く未来を見た」
「先に襲ったから焼かれた」
「襲わなければ、別の理由で焼いた可能性がある」
「可能性で殺せば、反撃が証明になる」
「それでも、人類は生きた」
後悔していない。
何度同じ場面へ戻っても、署名するのだろう。
「自由があれば、苦しむ」
俺は広場を見る。
「相手を選び間違える。仕事を失う。戦争を始めるやつもいる」
「認めるのですね」
「認める」
自由を選べば幸せになるとは言えない。
俺自身、選んで間違えた。
「でも、間違った後にやり直すのも本人だ。誰かへ助けを求めるのも、責任を分けるのも。最初から選ぶ権利を奪ったら、人は正しく生きるんじゃない。ただ、生き方がなくなる」
「抽象論です」
「アリアを見ろ」
彼女は微笑んでいる。
その指だけが、露台の手すりを強く握っていた。
「食べたい物も、行きたい場所も分からない。それが平和の完成形か」
グレゴールはアリアへ向く。
「聖女。儀式を望みますね」
期待された答えは一つ。
アリアは口を開く。
声が出ない。
初めて、沈黙で命令を拒んだ。
広場がざわめく。
「疲れているのです」
グレゴールがすぐに言葉を足す。
「聖女を休ませなさい」
司祭たちが近づく。
アリアを大聖堂の奥へ連れていく。
「待て」
俺が追おうとすると、白い剣が床へ刺さった。
ゼノが露台へ降りる。
「未完成回収容器。儀式前に回収する」
「邪魔するな」
「自由意思による誤差を排除」
剣が増える。
五本。
一本目は時間を遅らせる銀の砂。
二本目は攻撃へ適応する白い盾。
三本目は生命を無理につなぐ糸。
四本目は魔法を飲み込む黒い穴。
五本目だけ、何も見えない。
「あれは」
グレゴールが膝をつく。
「奇跡否定の複製」
まだアリアから継承していない能力を、ゼノは持っている。
「どこから取った」
「前回保存個体」
前回。
聞き返す前に、五本目の剣が動いた。
俺が避ける未来そのものを拒んだ。
剣が胸へ入る。
血が出ない。
代わりに、能力の切り替えができなくなる。
「奇跡否定って、こんな」
「結果を一度だけ拒絶する」
ゼノが残り四本を同時に使う。
時間を遅らせ、俺の適応へさらに適応し、生命の糸で逃げ道を縛り、概念捕食で距離を消す。
勝てない。
俺も四能力を開く。
砂時計。
盾。
糸。
黒い穴。
同時使用した瞬間、自分の境界が崩れた。
『右列、交代』
セレスの声が口から出る。
指がリリアの薬瓶を持つ形になる。
ミオの笑い声が喉で鳴る。
ヴァルナの怒りが視界を赤くする。
「名前を確認」
ゼノが言う。
答えようとする。
名前。
俺の名前。
「リリア」
違う。
「セレス」
違う。
誰だ。
スマートフォンの画面に、自分のプロフィールはない。
日本の記憶を探す。
家族の顔がない。
駅名も、地名もない。
六畳間だけが浮かぶ。窓の外は空っぽだ。
「識別不能。人格混線率、危険域」
ゼノの剣が上がる。
俺を構成する祈りごと切り離すつもりだ。
「レンさん!」
アリアの声がした。
大聖堂の入口。
司祭たちの手を振りほどき、戻ってきた。
名前を呼ばれる。
真壁レン。
今、この場で選ぶ俺の名前。
「俺は、レンだ」
四能力を一度閉じる。
自分の体へ戻る。
ゼノの剣が来る。
避けず、腕で受ける。
深く切られる。
一度の敗北。
適応は後から使う。
二撃目だけを盾で流し、露台の支柱へ狙いを定める。
概念捕食で、俺と支柱の間にある距離を食べる。
一瞬で位置が変わる。
ゼノの横へ回り、支柱を蹴った。
露台が崩れる。
ゼノは落ちる民衆を守らない。
俺は生命共有を広げ、巻き込まれた者の衝撃を分散する。
ゼノは空中で姿勢を変え、別の塔へ着地した。
「回収延期」
白い粒になり、消える。
勝ってはいない。
逃げる時間を作っただけだ。
アリアが俺の傷へ手を当てる。
「ごめんなさい」
「君のせいじゃない」
「私は、何も言えませんでした」
「言わないのも選択だった」
アリアは広場を見る。
儀式を望む人々。
混乱し、怯え、それでも神へ祈っている。
「明日のことを考えても、よろしいですか」
「世界の?」
彼女は首を横に振った。
「私の明日です」




