第22章 滅ぼしたあとに残るもの
第22章 滅ぼしたあとに残るもの
「残った名を数える」
ヴァルナは三日間、眠らなかった。
傷ついた翼を畳み、記憶庫の壁を端から歩く。名前を一つ読み、俺が紙へ書く。
竜の文字は書けない。
発音を、こちらの文字へ移す。
「リュグナ」
「リュグナ」
「違う。喉を焼くように」
「人間には難しい」
「覚えると言ったのはおぬしだ」
「言ったけど」
「ならば覚えよ」
同じ名を七回発音させられた。
八回目で、ヴァルナがうなずく。
次の名へ進む。
三千二百四十四。
残った名前だけで、その数だった。
消えた三分の一は、ヴァルナが記憶している範囲で書き戻した。覚えていない名もある。失われたことだけが分かる空白を、紙へそのまま残した。
「これをどうする」
紙の束が、洞窟の床へ積まれている。
「世界へ送る」
「方法は」
「ハルネスの神託塔」
ヴァルナが焼いた都市だ。
塔の上部は残っている。教会の通信網へつながれば、各国のオラクル端末へ記録を送れる。
「戻れば軍がいる」
「ゆえに行く」
「翼は」
「飛べぬ」
「歩く?」
「おぬしが運べ」
「竜を?」
「紙をだ」
紙束は、俺の体重より重かった。
◇
ハルネスへ戻る道で、避難民と再会した。
俺たちが教会兵から逃がした人々だ。
ヴァルナを見ると、全員が身構えた。
母親を失った子供だけが、俺へ駆け寄る。
「お兄ちゃん」
「無事だった?」
うなずき、ヴァルナを見る。
「この人が、街を燃やしたの」
「そうだ」
ヴァルナ本人が答えた。
隠さない。
「君のお母さんが死んだ火も、私が放った」
子供の顔が歪む。
小さな拳で、ヴァルナの脚を殴った。
一度。
二度。
避難民の大人が止めようとする。
ヴァルナは手を上げた。
「よい」
子供の拳から血が出る。
硬い鱗を殴り続けたためだ。
生命共有を伸ばそうとして、止めた。
これは俺が奪っていい痛みではない。
「返して」
子供が泣きながら言う。
「お母さんを返して」
「できぬ」
「謝って」
ヴァルナは黙る。
「謝れば許すのか」
「許さない!」
「そうか」
彼女は膝をついた。
子供と同じ高さへ。
「我は、おぬしの母を殺した。許さなくてよい」
謝罪ではない。
だが言い逃れもしない。
「我も、人間を許さぬ」
子供は泣き続ける。
答えは出ない。
それでいいのだと思った。
一度の会話で埋まるなら、復讐も三百年の怒りも必要なかった。
◇
ハルネスの神託塔には、王国軍が駐留していた。
俺たちは正面から入らなかった。
焼けた神殿の地下を通る。
竜骨の床を外すと、骨粉を運ぶ古い搬送路が塔まで続いていた。
「自分の家族の骨で、侵入する気分は」
「最悪だ」
「聞くんじゃなかった」
「だが使う。人間が作った道で、人間の記録を覆す」
ヴァルナは父の肋骨へ触れた。
「もう少しだけ、貸してくれ」
搬送路の先に、塔の記録室がある。
夜勤の司祭を眠らせる薬はない。
代わりにヴァルナが「音」を食べた。
室内から音が消える。
机を倒しても、扉を壊しても聞こえない。
ただし、彼女が理解できる範囲だけだ。
俺たちの足音は消えたが、塔の警報鐘までは食べられない。
紙束を端末台へ置く。
「どう入力する」
文字を一枚ずつ読み取らせていたら朝になる。
壁にオラクルの読取輪がある。
スマートフォンを近づけると、勝手に反応した。
『未登録記録を検出』
『同期しますか』
「アプリが手伝う?」
『回答:世界危険度の再計算に必要です』
味方だからではない。
世界の予測精度を上げるため、失われた記録を欲しがっている。
「使うか」
ヴァルナが尋ねる。
「こいつに渡せば、竜族をまた数字にするかもしれない」
「だが、名は世界へ届く」
彼女は紙束へ手を置く。
「選ぶのは我だ」
同期を押す。
紙の文字が光へ変わり、スマートフォンへ吸い込まれる。
画面に、一つずつ名前が表示された。
リュグナ。
アゼリア。
グラウ。
名前の後に、危険度ではなく、生きた記録が続く。
好きだった空。
集めた石。
交わした約束。
卵へつける予定だった名。
三千を越える人生が、世界の通信網へ流れる。
塔の警報が鳴った。
王国兵と司祭が階段を上ってくる。
「あとどれくらい」
『同期率 61%』
「遅い」
「我が止める」
「殺すな」
「難しい注文だ」
ヴァルナが記録室の入口へ立つ。
最初の魔法を口へ吸い込む。
炎へ変えて吐き返さず、床へ逃がす。
兵士の剣を鱗で受け、柄だけを食いちぎる。
俺は別の階段から来る司祭を止める。
白い光を一度受け、適応で二度目を避ける。生命共有でヴァルナの傷を分ける。
同期率は七十四。
八十。
司祭が叫ぶ。
「邪竜の虚偽を止めろ!」
「虚偽かどうか、見る側が決める」
「竜は都市を焼いた!」
「それも送る」
ヴァルナの攻撃記録も隠さない。
人間の罪だけを切り取れば、同じ改竄になる。
同期率九十九。
王国兵の槍がヴァルナの傷ついた翼へ刺さる。
彼女の膝が落ちる。
俺も共有した痛みで倒れかける。
「終われ!」
『同期完了』
世界中の神託塔が光った。
オラクルの通常表示を押しのけ、竜族の名前が流れる。
ハルネスの広場にも映像が出た。
人々が見上げる。
ある者は嘘だと叫ぶ。
ある者は竜を殺せと叫ぶ。
神殿の床へ使われた骨の名を見て、膝をつく者もいる。
謝罪は起きない。
和解もない。
ただ、知らなかったという逃げ道だけが消えた。
ヴァルナは窓から広場を見下ろす。
目に炎が残っている。
「これで満足?」
「するものか」
「だよな」
「我は今も、人間を憎む」
「うん」
「だが」
世界へ流れる名前を見る。
「滅ぼせば、この名を読む者も消える」
ヴァルナの拳が開く。
「それは、望まぬ」
アプリが震えた。
『対象者が人類主要都市への攻撃を停止しました』
『対象者が復讐以外の未来を選択しました』
『運命クエストを達成しました』
『一時接続率:100%』
選択画面が現れる。
俺は迷わず上を押そうとした。
『彼女との関係を保存する』
これ以上、忘れさせたくない。
今度こそ選べる。
指が画面へ触れる直前、文字が赤く変わった。




