第20章 復讐は間違っているのか
第20章 復讐は間違っているのか
ヴァルナは俺を三日間、鱗で縛ったまま運んだ。
食事のときだけ右手を解く。
逃げようとすれば、首の鱗が締まる。
「人間の捕虜にも人権というものが」
「知らぬ」
「自由意思は」
「我が一族を殺した者も、同じことを申した」
何を言っても返される。
俺たちはハルネスを離れ、北の山地へ入った。
ヴァルナは人の姿のまま歩く。疲れない。眠らない。夜になると大きな岩へ腰を下ろし、朝まで遠くを見ている。
話しかけても、必要なことしか答えない。
「どこへ行く」
「墓だ」
「神殿の骨とは別の?」
「墓は、骨がある場所ではない。名を覚える場所だ」
その言葉だけ、少し長かった。
二日目の夜、固い干し肉を火へかけた。
商隊でもらった最後の食料だ。焼けば少しは柔らかくなると思ったが、表面から黒くなった。
「人間は、食物まで殺すのが得意だな」
岩に座ったヴァルナが言う。
「竜は料理しない?」
「火の扱いを知っておる」
「口から出すだけでは」
鱗が首へ巻きついた。
「冗談です」
焦げた部分を削り、一口食べる。
硬い。
味も薄い。
「塩を先にすり込む」
「料理するんじゃないか」
「兄が好んだ」
首の鱗が緩んだ。
ヴァルナは遠くの火を見る。
「グラウは肉を焼きすぎる。父は火が強いと叱り、母は焦げた方だけ自分の皿へ移した」
尊大な声のまま話す。
内容だけが、普通の家族だった。
「君は?」
「生の方がよい」
「今の助言は」
「三百年前、毎回聞かされた」
俺は干し肉へ塩を振る。
もう遅い。
「グラウ」
名前を口にした。
ヴァルナの金色の目が俺へ向く。
「何だ」
「覚えておく」
「一つ聞いただけで、我を理解したつもりか」
「ならない。兄が肉を焦がしたことを知っただけ」
鱗がまた首へ触れた。
今度は締めつけない。
「それでよい」
ヴァルナは焦げた干し肉を一切れ取り、火の中へ投げた。
炎ごと飲み込む。
「味は」
「不味い」
「食べたのに」
「兄も不味かった」
ほんの一瞬、彼女が笑った。
次の瞬間には、何もなかったように山の闇を見ている。
◇
四日目の朝、谷の奥へ着いた。
岩壁に大きな裂け目がある。
ヴァルナが口を開くと、裂け目を塞ぐ炎が吸い込まれた。三百年燃え続けた火らしい。
中は巨大な洞窟だった。
壁一面に文字が刻まれている。
竜の言葉。
俺には読めない。
「ここが墓?」
「レギオン記憶庫。生まれた者の名、見た景色、得た知恵を残した」
ヴァルナが壁へ触れる。
文字が赤く光り、空中へ像を作る。
竜が空を飛んでいる。
一頭ではない。
赤、青、白、黒。山を越え、雲の中で翼を並べる。
地上には人間の村があり、子供たちが手を振っていた。
「共存してた?」
「都市を持たぬ頃の人間とはな」
映像が変わる。
人間の王が竜へ契約を求める。戦争へ力を貸せ。竜は断る。
次に、金色の輪を持つ聖職者が現れた。
『オラクルは告げた』
知らない古語が、アプリを通して意味へ変わる。
『竜族が人類を滅ぼす可能性、七十四%』
兵士たちが拍手する。
画面の隅に日付がある。
三百十二年前。
「予測だけで」
「殺した」
最初の攻撃は人間側だった。
眠る竜へ毒を入れた獣を食わせた。卵を巣ごと焼いた。飛び立った竜へ、概念を縛る鎖を撃った。
竜も反撃した。
都市が三つ焼けた。
そこで人間側の予測は正しかったとされた。
「攻撃されたから反撃したのに」
「記録には、竜の先制侵略と残った」
映像の中で、若い人間の聖職者が命令書へ署名している。
名前が読めた。
グレゴール。
「枢機卿?」
「当時は書記官だ」
「まだ生きてるのか」
「神託へ多く接続した者は、老いが遅い」
グレゴールは虐殺を始めた人物ではない。
だが命令を記録し、竜の名を敵の数へ置き換えた。
最後の映像。
若いヴァルナが、倒れた竜の下に隠れている。
今より幼い人の姿。
外で兵士が死体の牙を抜いていた。
『最後の一頭まで確認しろ』
グレゴールの声。
ヴァルナが映像を消す。
「我だけが残った」
怒りを向ける相手は、もうほとんど死んでいる。
三百年前の兵士も、王も、民衆も。
それでも建物と記録と利益は残り、殺された側の名だけが消えた。
「復讐は間違ってるって、言えない」
俺は壁の名を見上げた。
「言えば殺すつもりだった?」
「少し焼く」
「基準が怖い」
「では、我と共に人間を滅ぼすか」
「それもできない」
「半端だな」
「どちらかしかないのか」
「殺すか、許すか」
「覚える」
ヴァルナが俺を見る。
「この記録を、人間へ見せる。神殿の骨が誰だったか、名前を返す」
「見せれば謝ると思うか」
「思わない」
「骨を返すと?」
「返さないやつもいる」
「では何が変わる」
「知らなかったと言えなくなる」
人間の罪は消えない。
ヴァルナの怒りも消えない。
その上で、次に何をするか選ばせる。
「甘い」
「焼くより時間はかかる」
「我は三百年待った」
「だったら、あと少し待てる」
ヴァルナの目に火が灯る。
鱗が首を締めた。
「調子に乗った」
「今、反省してる」
締めつけが緩む。
完全に怒ったわけではないらしい。
◇
洞窟の外で、鐘の音がした。
人里から遠い山中。
鐘楼はない。
ヴァルナが立ち上がる。
「人間が来た」
谷の入口に、白い火が並んでいる。
教会兵だ。
その後ろには避難民の一団がいた。
ハルネスから北へ逃げた人々が、教会兵に追い立てられている。
「竜の協力者をあぶり出す!」
拡声術で声が届く。
「洞窟から出ろ。従わなければ、避難民を危険対象と認定する!」
人質だ。
ヴァルナの炎が膨らむ。
「待て」
「我が焼いた街の者であろう」
「だから?」
「我を止めようとした」
「逃げられない人もいた」
「今、逃げておる」
ヴァルナは避難民を見る。
その中に、ハルネスで助けた子供がいた。
母親を失った子。
俺を見つけ、声を上げる。
「お兄ちゃん!」
教会兵もこちらへ気づく。
白い杖が子供の首へ向く。
「洞窟内の記録を渡せ!」
ヴァルナは動かない。
ここを離れれば、記憶庫が破壊される。
残れば、避難民が殺される。
人間が作った選択肢だ。
「俺が人質を」
「おぬし一人では無理だ」
「分かってる。手伝って」
「人間を救えと?」
「君の記録も守る」
「二つは選べぬ」
「選ぶな。両方やる」
ヴァルナが鼻で笑う。
「失敗すれば?」
「次を考える」
「死に戻るか」
「なるべく死なない」
首の鱗が外れた。
「我の捕虜から、共犯へ格上げだ」
「似たようなこと、前にも言われた」
俺たちは谷へ出た。
教会兵が白い杖を上げる。
ヴァルナが炎を吐く。
兵士ではなく、避難民と杖の間へ。
壁のような炎が白い光を食べた。
「走れ!」
俺は人質へ向かう。
生命共有の糸を伸ばし、転んだ老人の痛みを分ける。子供を抱え、谷の岩陰へ運ぶ。
ヴァルナは炎と魔法を食べ続ける。
教会兵の攻撃は効かない。
だが記憶庫の入口へ、白い影が近づいていた。
執行者。
金属の面が洞窟へ向く。
「未登録記録を確認」
白い剣を地面へ刺した。
記憶庫の文字が、一列ずつ消え始める。
ヴァルナが振り返る。
避難民か。
竜族の名か。
どちらを守るか選ぶ一瞬を、執行者は待っていた。




