第15章 笑うたびに命が減る
ミオの体に触れた瞬間、百人分の痛みが流れ込んだ。
歯が震えるほどの悪寒。
内臓をつかまれる痛み。
肺の奥へ泥を詰められたような息苦しさ。
視界が暗くなる。
俺はミオを抱いたまま膝をついた。
『マッチング成立』
『生命共有を1%使用できます』
『接続対象から苦痛が流入しています』
「止めろ」
声を出すだけで胸が痛む。
ミオは意識を失っている。
返事はない。
手を離せば接続が切れる。
だが彼女を地面へ落とす。
「誰か!」
路地へ叫ぶ。
人影が二つ現れた。
「ミオだ!」
「またか」
犬耳の青年が彼女を背負う。
俺の腕から離れた瞬間、痛みが軽くなった。
消えたわけではない。
胸と腹に、ほんの一部が残っている。
「診療所へ」
「だめだ」
青年は首を振った。
「連れていけば、あいつが引き受けてる分が戻る」
「どういう意味だ」
「歩けるなら来い」
俺たちは路地のさらに奥へ進んだ。
地下街の地図にない区域。
壊れた水路を越え、錆びた扉を開ける。中は小さな部屋だった。寝台と薬箱、壁一面に名前を書いた紙が貼られている。
百を越える名前。
ミオは寝台へ寝かされた。
山羊角の薬屋が呼ばれ、脈と瞳を調べる。
「何人だ」
「今日で百三十二」
「減らせと言った」
「本人が聞かない」
老人はミオの上着を開く。
胸から腹にかけて、黒い線が広がっていた。血管のように脈打ち、壁の名前と細い光でつながっている。
「これが生命共有?」
俺が尋ねると、老人がこちらを見た。
「知っているのか」
「名前だけ」
「あの子が触れた者と、傷、毒、体力、痛みを分ける力だ」
「分けるというより、全部引き受けてる」
「本人が望んだ」
「患者も?」
「最初は、親しい者だけだった。互いに手を握り、痛みを半分ずつにした」
壁の名前を見る。
紙と紙の間に、黒い糸が走っている。
「人数が増えた」
「苦しむ者がいるたび、ミオがつないだ」
百三十二人。
一人の痛みを百三十二人へ薄めたのではない。
百三十二人から、一人へ集めている。
「薬の帳簿が合わないのは」
「患者へ使ったことにして、あの子へ飲ませている」
老人が小瓶を開け、ミオの口へ流す。
「患者から毒を抜き、一人分へまとめる。薬は一人分で済む」
「病気そのものも移せる?」
「完全には。症状と毒だけだ。原因は患者へ残る」
薬が切れれば、また悪化する。
治療ではない。
時間を稼いでいるだけだ。
「接続を切れば」
「一度引き受けたものが、元の持ち主へ戻る。急に切れば、百人以上が同時に倒れる」
「だから診療所へ連れていけない?」
「医師は力を封じようとする」
老人はミオの胸へ濡れた布を置く。
「正しい判断だ。だが、正しさだけでは患者を生かせん」
地下街には薬がない。
ミオを止めれば、病人が死ぬ。
続ければ、ミオが死ぬ。
誰か一人を犠牲にしなければ維持できない形になっている。
アプリが提示する二択と似ていた。
「この薬は、あとどれくらい」
「明日の朝まで」
「地上から届くのは」
「二日後だ」
「盗みに行く」
口にすると、犬耳の青年が首を振った。
「門の警備が増えた。昨日、ミオが入ったのを見られた」
「ほかの薬は」
「原因が分からん。熱を下げ、毒を薄める物しかない」
ミオが目を開けた。
「人の寝顔見て、何してんの」
声は弱い。
「葬式の相談」
「早いよ。まだ五日あるでしょ」
「アプリの表示を信じるのか」
「お兄さんが信じてる顔してたから」
起き上がろうとする。
老人が肩を押さえた。
「寝ていろ」
「配達残ってる」
「薬はもうない」
「じゃあ盗ってくる」
「門へ近づけば捕まる」
「牢屋って寝床とご飯ある?」
「笑い事ではない」
老人が怒鳴る。
ミオは笑顔を崩さない。
「怒ると角伸びるよ、じいちゃん」
「伸びん」
「前より長い」
「生まれたときからこの長さだ」
部屋の空気が少し緩む。
その間も黒い線は広がっている。
ミオが笑うたび、胸の線が強く脈打った。
「笑わない方がいい」
俺は言った。
「は?」
「体力を使う」
「息もしない方が長生きできそう」
「そういう意味じゃ」
「分かってるよ」
ミオは老人と青年を見る。
「二人とも、外して」
「だが」
「話あるから」
老人は嫌そうに俺を見た。
「おかしなことをすれば」
「今よりおかしくなる余地ある?」
「ある。人間は信用ならん」
「心配しなくても、相性42%」
「何の話だ」
「微妙な知り合いってこと」
二人が部屋を出る。
扉が閉じると、ミオの笑顔も消えた。
「誰にも言わないで」
「全員知ってた」
「街の外の人には」
「なぜ」
「あたしを隔離して、接続を切るから」
「このままなら君が死ぬ」
「切れば、ナナの弟も死ぬ」
「ナナはもう」
「知ってる」
声だけが少し硬くなる。
「間に合わなかった。あの子の分、もっと早く引き受けてれば」
「君のせいじゃない」
「そういうの、楽だよね」
ミオが俺を見る。
「誰のせいでもないって言えば、誰も何もしなくていい」
「君一人が何でもする理由にはならない」
「ほかに誰がいる?」
「俺」
「何ができるの」
問われて、詰まる。
時間を戻せる。
攻撃へ適応できる。
どちらも疫病の原因を消せない。
「今から考える」
「じゃあ考えてて。あたしは働く」
寝台から足を下ろす。
体が傾き、俺が腕をつかんだ。
また痛みが流れ込む。
今度は一%ではない。
『直接会話を確認』
『接続段階3』
『生命共有を5%使用できます』
ミオの痛みが、俺の胸へ広がる。
歯を食いしばる。
「離して」
「半分、こっちへ」
「やめな」
「一人で持つよりいい」
「お兄さん、何人分だと思ってる」
「百三十二」
「数の問題じゃない」
ミオが俺の手を振りほどく。
痛みが切れる。
「接続には、相手が受け入れる必要がある。あたしが嫌だって言ったら、移せない」
「患者は全員、受け入れた?」
「うん」
「何を受け入れた」
「痛みを分けるって」
「君一人へ集めるって知ってた?」
ミオが黙る。
「半分ずつだと思ってる人もいるんじゃないか」
「細かいこと言えば、怖がる」
「それは同意じゃない」
「うるさい」
初めて、笑わずに怒った。
「地上の人は何もしてくれない。地下の大人は薬を待ってる。子供は泣く。あたしが触れば、みんな少し楽になる。やらない理由ある?」
「君が死ぬ」
「一人で済む」
「それを決めたのは誰だ」
「あたし」
「ほかの人には、自分を犠牲にする選択をさせなかった」
ミオの耳が伏せる。
俺はリリアとセレスへしたことを思い出す。
相手のためだと言い、重要な部分を隠した。
目の前の少女も同じだ。
「俺もやった」
「何を」
「相手へ相談せず、忘れさせた。力をもらうために」
「最低」
「二人目にも言われた」
「反省してないじゃん」
「してる。たぶん足りない」
ミオはしばらく俺を見た。
「だから、あたしも止める?」
「止めるだけじゃ、患者が死ぬ」
「分かってるなら」
「別のやり方を探す。君が死なず、患者も死なない方法」
「そんなのあれば、とっくに」
「ないかもしれない」
「無責任」
「知ってる」
「そればっか」
ミオは息を吐いた。
少しだけ笑う。
黒い線が胸で脈打ち、顔が歪んだ。
「ほら」
俺は言った。
「笑うたび、命が減ってる」
「笑わなくても減るよ」
「じゃあ、笑う理由くらい選べ」
「お兄さん、笑える話して」
「苦手だ」
「役に立たないなあ」
今度の笑顔は小さかった。
作ったものではなく見えた。
その直後、壁の名前が一枚、赤く光る。
ミオが胸を押さえた。
「誰か悪化した」
立ち上がる。
「寝てろ」
「接続が切れかけてる」
「俺も行く」
「来ても何もできない」
「箱くらい持てる」
「借金返す気?」
「まだ半分なんだろ」
ミオは扉へ手をかけた。
「勝手にして」
一緒に通路へ出る。
壁の名前は百三十二。
そのすべてが消えるまで、ミオは止まらない。
そして彼女自身の名前は、どこにも貼られていなかった。




