第13章 忘れられた戦友
俺たちは崩れた谷を離れ、ケルド村の北にある炭焼き小屋へ移った。
セレスの左腕は折れていた。
村の治療師が骨を戻し、木の板を当てる。普通なら数か月は剣を握れない。敗北適応があっても、折れた骨は勝手につながらない。
「能力を過信するな」
治療師に叱られ、セレスは素直に頭を下げた。
その横で、俺はスマートフォンを持っている。
選択期限は、残り一時間。
小屋の外には、副団長と三人の騎士。残りは村人の避難を助けている。
追撃部隊は崩落を越えられない。少なくとも半日は安全だ。
「話せ」
治療師が出ていくと、セレスが言った。
「前の人の記憶を消した理由からか」
「全部だ」
俺は風車小屋で起きたことを話した。
選択を隠したこと。期限が急に縮んだこと。リリアが嫌だと言ったのに、止められなかったこと。
力を得たこと。
その力で日本の記憶を失ったこと。
セレスは途中で口を挟まない。
「以上」
話し終えると、彼女は右手で俺の額を殴った。
「痛っ」
「軽い」
「骨折してない方の手、元気だな」
「その女は、お前を許さないだろう」
「覚えてない」
「覚えていないことを、許しと呼ぶな」
まっすぐな言葉だった。
「分かってる」
「分かっていない。今、同じ画面を持っている」
「だから話した」
「話せば責任が消えると思うな」
「思ってない」
「なら、私の意見を聞け」
セレスは選択画面を見る。
文字は読めない。
「関係を残せ」
「敗北適応は一時接続へ戻る」
「それが何だ」
「これから教会と戦うなら、君の力が必要になる」
「私がいる」
即答だった。
「能力だけ持って、一人で何をする」
「君は騎士団と村を守らないと」
「お前も守る対象に入れれば済む」
「簡単に言うな」
「お前が難しくしている」
セレスは折れた腕を見る。
「私は負けるたび、次へ対応してきた。だが、同じ攻撃を二度受けないためには、誰かが最初の傷を覚えていなければならない」
「俺が覚えてる」
「一人で覚えるな」
リリアと同じことを言う。
「関係を残せ。これは私の意思だ」
「分かった」
今度は、その場で保存を押すつもりだった。
画面へ指を伸ばす。
警告音が鳴った。
『管理執行者の接近を確認』
『対象者:未登録現象』
地図に、白い点が一つ現れる。
谷の崩落を越え、まっすぐこちらへ向かっている。
執行者。
古い礼拝堂で見た、白い法衣の人物だ。
「何だ」
「あいつが来る」
「誰だ」
「教会の執行者。人間かも分からない。崖も石も剣で切った」
セレスが立ち上がる。
「副団長を呼べ」
「戦える状態じゃない」
「一度見た攻撃なら」
「腕が折れてる」
「右腕がある」
「君の能力を俺が永久に持てば」
言った瞬間、セレスの顔が変わった。
「保存を選ぶと言ったな」
「状況が変わった」
「私の意思は変わっていない」
白い点が近づく。
残り一キロ。
執行者をここへ入れれば、村人も騎士も巻き込まれる。
敗北適応を永久継承すれば、時間回帰と切り替えて使える。死んで攻撃を覚え、戻った後に適応する。今の一時接続でもできるが、期限まで一時間しかない。
「敵を引きつけて、俺が離れる」
「一緒に行く」
「だめだ」
「命令するな」
「命令じゃない」
「なら、私が選ぶ。関係を残し、共に戦う」
正しい。
分かっている。
それでも、頭の中では別の計算が進んでいた。
セレスは負傷している。騎士団長として部下を守る責任がある。記憶を消せば、俺との関係から解放できる。
能力は手に入る。
俺が一人で危険を持っていけば、全員を守れる。
また、きれいな理由がそろった。
「外を見てくる」
「レン」
「保存は押さない。待って」
嘘をついた。
小屋を出る。
副団長へ、執行者が来ると告げる。
「団長を連れて北西へ逃げてくれ」
「あなたは」
「反対へ行く」
「団長の命令は」
「まだ聞くな。今度は自分で決めろ」
皮肉な頼みだった。
俺は南へ走る。
白い点も方向を変えた。
狙いは俺だ。
村から離れた林へ入る。
セレスが追ってこようとする声が、遠くで聞こえた。副団長たちが止めている。
画面を開く。
保存。
削除。
セレスの意思は聞いた。
聞いた上で、無視する。
前より悪い。
「ごめん」
言葉は彼女へ届かない。
『彼女の記憶を削除し、能力を永久継承する』
実行を押した。
金色の糸が、林の向こうへ伸びる。
セレスの記憶が流れ込んでくる。
練兵場。
木剣。
白い鎖。
谷を塞いだ崩落。
命令を拒んだ声。
『関係記憶を削除します』
糸が切れていく。
リリアのときと違い、セレスの顔は見えない。
だから簡単だと思った。
違った。
遠くで彼女が俺の名を叫んだ。
一度。
二度。
三度目は、途中で止まった。
名前を忘れたのだ。
『能力「敗北適応」を永久継承しました』
『永久能力枠を拡張しました』
『永久能力枠 2/2』
胸の中に、二つ目の感覚が生まれる。
砂時計の隣に、傷だらけの盾。
力が増えた。
同時に、背後から殺気が来た。
振り返る。
剣先が頬をかすめる。
セレスだった。
折れた左腕を固定したまま、右手だけで剣を握っている。
「何者だ」
息を切らし、俺を睨んでいた。
「セレス」
「なぜ私の名を知っている」
「説明すると」
長い、と言いかける。
剣が来た。
胸元へ横薙ぎ。
後ろへ下がるが、刃が服を裂く。
俺を敵だと判断している。
記憶補正が、もっとも自然な理由を作ったのだ。
見知らぬ男が村を監視し、執行者を引き寄せ、団長の名を知っている。
教会の間者。
「待ってくれ」
「武器を捨てろ」
「持ってない」
「その黒い板を置け」
スマートフォンを地面へ置く。
セレスが踏み込む。
同じ横薙ぎ。
一度目で肩の動きを見た。
体が先に反応し、刃を避ける。
敗北適応。
「その動き」
セレスの目が鋭くなる。
「私の剣を知っているな」
「少し」
「教会へ、私の訓練記録がある」
疑いが深まった。
三撃目は、避けた先へ来た。
剣が右肩へ入る。
熱い痛み。
血が流れる。
適応しても、本人の先読みには追いつかない。
俺は反撃しなかった。
「戦え」
「嫌だ」
「なら、拘束されろ」
「それも困る」
「ふざけているのか」
剣が喉元へ止まる。
セレスの顔に迷いはない。
だが剣先が、ほんの少し震えていた。
「なぜ」
彼女が低く言う。
「お前を斬ったことが、こんなに」
胸へ手を当てる。
「痛い」
俺が流した血を見て、理由のない喪失を感じている。
「前にも、会ったのか」
「会ってない」
嘘を重ねる。
「たぶん、相性が悪いんだ」
セレスの眉間にしわが寄る。
「意味が分からん」
「俺も」
白い剣が、木々の向こうから飛んできた。
セレスの剣を弾く。
執行者が林へ入ってくる。
白い法衣。金属の面。
歩き方に人間らしい揺れがない。
「対象を確認」
面の奥で光が動く。
「回収容器。充填率、二」
俺をそう呼んだ。
「回収容器?」
セレスが執行者と俺を見比べる。
「対象能力、時間。適応。回収を実行します」
白い剣が二本へ増える。
セレスが俺の前へ出た。
記憶を失っても、敵の優先順位を即座に判断する。
「逃げろ」
「君は」
「この者へ聞くことがある」
「一人じゃ」
「私は騎士団長だ」
知らない男へ背を向け、執行者へ剣を構える。
俺は足元のスマートフォンを拾った。
逃げるべきだ。
執行者の目的は俺。離れれば、セレスを追う理由はなくなる。
「ごめん」
「何を謝っている」
答えず、林の奥へ走った。
白い剣が追ってくる。
一度受けた軌道へ体が適応し、紙一重で避ける。
執行者が俺へ向きを変えた。
狙いどおりだ。
セレスの姿が遠ざかる。
最後に振り返ると、彼女は剣を下ろし、こちらを見ていた。
名前も、共に戦った理由も分からない。
それでも、俺を追わなかったことを悔やむような顔をしていた。




