第93話 遠い席
午後の授業がすべて終わった。
教室では、あちこちで椅子を引く音がしている。
教本を鞄へしまいながら、ユウは少し離れたところへ目を向けた。
リリアとエステルが並んでいる。
そこへカイルも歩いていった。
いつもなら、何となくその中へ入っていた。
特に約束をしていなくても、四人で一緒に教室を出ることが多かった。
ユウは鞄を持って立ち上がる。
一歩だけ、そちらへ進んだ。
その時、リリアと目が合った。
「……」
リリアがわずかに身体を強張らせる。
ユウは立ち止まった。
昼の言葉を思い出す。
『今は話しかけないで』
「……ごめん」
小さく呟いて、向きを変えた。
近づけば、リリアを嫌な気持ちにさせてしまう。
理由は分からない。
それでも、事情が見えないまま無理に近づくのは違うと思った。
一人で教室を出る。
廊下には、授業を終えた生徒たちが大勢いた。
友人と笑いながら歩く者。
明日の授業について話している者。
食堂へ行こうと誘い合う者。
ユウはその間を歩いた。
途中、職員室へ続く廊下が目に入る。
歩みが緩んだ。
教師に相談することはできる。
午後の授業でも、先生はいつもと変わらなかった。
話せば、何か見えてくる気もした。
けれど。
何を話せばいいのだろう。
リリアに嫌がられた。
カイルに信用できないと言われた。
エステルにも距離を置かれた。
ほかの生徒たちも、ユウとの関わりを曖昧にしか捉えていなかった。
それだけだった。
もし、本当に何かしていたのなら。
三人の方がおかしいように教師へ話すことになってしまう。
「……もう少し考えてからにしよう」
ユウは職員室へ向かわず、そのまま食堂へ向かった。
夕食時の食堂は混んでいた。
料理を受け取り、席を探す。
見慣れた姿はすぐに見つかった。
リリア。
カイル。
エステル。
同じテーブルを囲んでいる。
「あ……」
何も考えず、そちらへ向かいかけた。
途中で昼のことが頭をよぎる。
しばらく迷った。
時間も経っている。
今なら、さっきより話せる気がした。
そんな期待が、ほんのわずかに残っていた。
ユウはその席へ近づいた。
「ここ、座ってもいい?」
最初に顔を上げたのはリリアだった。
ユウを見た瞬間、その表情が曇る。
「……他のところにして」
「……そっか」
すぐに頷いた。
「ごめん」
カイルもこちらを見た。
「昼にも言っただろ」
「うん。ごめんね」
「……」
エステルは何も言わなかった。
ただ、その目に以前の柔らかさはなかった。
「じゃあ」
それ以上何も言わず、その場を離れた。
食堂の端に空いている席があった。
そこへ一人で座る。
目の前に料理を置いた。
周囲から話し声が聞こえる。
楽しそうな笑い声もあった。
一口食べる。
味はいつもと同じだった。
もう一口。
けれど、なかなか食事が進まない。
さっきのテーブルは見ないようにした。
「……やっぱり、僕なのかな」
小さく呟く。
昼から何度考えても、心当たりはなかった。
だからといって、何もしていないと言い切れる自信もない。
気づかないうちに、誰かを傷つけることだってある。
ここまで重なるなら、やっぱり自分に何かあるのではないか。
「今日は一人ですか?」
突然声をかけられ、ユウは顔を上げた。
通りかかった教師だった。
「あ……はい」
「珍しいですね」
「そう、ですね」
教師はそれ以上深く聞かなかった。
「最近はいろいろありましたから、食事と休息はしっかり取ってください」
「はい。ありがとうございます」
教師はそのまま離れていく。
ユウは後ろ姿を見送った。
先生の態度だけは、昼と変わらない。
安心できるはずなのに、むしろ別の疑いが残った。
三人に何かしてしまったのではないか。
自分だけが、それに気づいていないのではないか。
食事を終え、ユウは食堂を出た。
外は夕暮れに染まっていた。
以前なら、気分を変えるために町へ出ることもできた。
古書店へ寄って、店主と話すこともできた。
けれど今は、王都で続いている失踪事件を受け、必要のない外出は控えるよう学院から勧められている。
ユウは空を見上げた。
古書店の店主の顔が浮かぶ。
話を聞いてもらえば、別の見方を教えてもらえそうだった。
ただ、自分のことでわざわざ学院を出るほどではないと思った。
そのまま男子寮へ戻る。
自室に入り、鞄を置いた。
部屋は静かだった。
ユウは机の前へ座る。
鞄から、店主にもらった薄い帳面を取り出した。
頁を開き、筆を取る。
いつものように、今日あったことを書こうとした。
けれど。
筆先は紙の上まで来たまま、動かなかった。
何を書けばいいのか分からない。
昼休み明け。
リリアに話しかけた時の顔が浮かぶ。
『今は話しかけないで』
続いて、カイルの声。
『理由は分かんねえけど、お前を信用したら駄目な気がする』
そして。
『今は、以前のようにユウさんとお話ししたいとは思えません』
エステルの静かな声まで、はっきりと思い出せた。
「……」
筆を握る指から、少しずつ力が抜けていく。
何か書こうとして。
それでも、言葉にならない。
視界がぼやけた。
ぽたり、と。
開いた頁の上へ、一滴だけ落ちる。
ユウは目を瞬いた。
「……あ」
頬に残ったものを指先で拭う。
触れた頬が、思ったより熱かった。
白いままの頁へ視線を戻す。
何かを残そうと思って開いたはずなのに、結局、一文字も書けていなかった。
「……僕、何かしたのかな」
掠れた声が、静かな部屋に落ちる。
返事はない。
ユウはしばらく筆を持ったまま座っていた。
やがて、筆を置く。
窓の外は、いつの間にか暗くなっていた。
「明日になったら……」
少しだけ間を置く。
「元に戻ってるかもしれないよね」
そう考えると、ほんの少しだけ息がしやすくなった。
明日の朝。
リリアがいつものように笑って。
カイルが普通に話しかけてきて。
エステルが、いつもの柔らかな声で「ユウさん」と呼んでくれる。
そんな光景を思い浮かべた。
「……うん」
小さく頷く。
今日は、もう考えるのをやめよう。
ユウは一文字もない頁を閉じた。




