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白き天使と金色の竜眼Ⅰ  作者: 蒼空れっど
第五章 帝国侵攻編
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第92話 異変

 昼休みが終わって間もなく、ユウは教室へ戻っていた。


 机の上には、午後の授業で使う教本とノートが置かれている。


 窓の外へ目を向ければ、雲の少ない空が広がっていた。


 いつもと変わらない昼下がりだった。


「あ、リリア」


 教室へ入ってきた赤い髪を見つけ、手を上げる。


 リリアの足が止まった。


「……」


 返事がない。


 昨日から、どこか元気がないように見える。


「大丈夫? まだ具合悪い?」


 心配になり、そちらへ歩こうとした。


「来ないで」


 リリアが言った。


 足が止まる。


「……え?」


「こっちに来ないで」


 一度目よりも、はっきりした声だった。


 リリアは眉を寄せている。


 なぜ自分がそう感じているのか、うまく説明できないような顔だった。


 ユウから離れていたいという意思だけは、はっきりしている。


「リリア?」


「近くに来られるの、嫌だから」


 息がわずかに詰まった。


 聞き間違いかと思った。


 昨日まで、そんなことを言われたことは一度もない。


「僕、何かした?」


「……知らない」


「だったら――」


「分からないけど、嫌なの」


 リリアは目を逸らした。


「今は話しかけないで」


 そのまま自分の席へ向かってしまう。


 しばらく動けなかった。


 怒らせたのだろうか。


 昨日、自分は何を話した。


 何か気づかないうちに、嫌なことを言ってしまったのかもしれない。


 思い返しても、心当たりは浮かばない。


 それが余計に不安だった。


「何突っ立ってんだ?」


 後ろから声をかけられた。


 振り返る。


「カイル」


「もう先生来るぞ」


「あ、うん」


 いつもの声だった。


 それだけで、張っていたものがわずかに緩む。


「ねえ、カイル。リリアなんだけど――」


 相談しようと近づいた。


 カイルの眉が動く。


「……なんだよ」


「え?」


「いや。近い」


 一歩、足を止めた。


「ご、ごめん」


 反射的に下がる。


 カイルはそんなユウを見ながら、どこか警戒するように目を細めた。


「どうしたの?」


「別に」


「でも……」


 カイルは少し黙った。


「なんか、お前のこと信用できねえんだよ」


 息が止まった。


「……僕を?」


「ああ」


「どうして?」


「分かんねえ」


 カイル自身、苛立っているようだった。


「理由は分かんねえけど、お前を信用したら駄目な気がする」


「……」


「悪いけど、今はあんま近づくな」


 そう言い残し、カイルも席へ戻っていった。


 二人の背中を見つめる。


 リリアだけではない。


 カイルまで、自分から距離を置こうとしている。


 理由はどちらも分からない。


 心当たりのないまま、不安だけが少しずつ形を持ち始めていた。


「ユウさん」


 静かな声がした。


 振り向く。


 エステルが立っていた。


「エステル」


 思わず、ほっとした。


「よかった。リリアとカイルが変なんだ。僕、何かしたのかな。二人とも理由は分からないって言うんだけど……」


「そうですか」


 返ってきた声に、言葉が止まる。


 怒っているわけではない。


 いつもの丁寧な口調なのに、そこに以前の柔らかさがなかった。


「……エステル?」


「はい」


「エステルも……僕に何か怒ってる?」


「いいえ」


 迷いのない返事だった。


「怒ってはいません」


「じゃあ……」


 エステルは少しだけ目を伏せた。


「申し訳ありません」


「え?」


「今は、以前のようにユウさんとお話ししたいとは思えません」


 何も言えなかった。


「どうして?」


「分かりません」


 エステルは静かに答えた。


「ただ、そう感じるのです」


「……そっか」


「はい」


 それ以上は何も言わず、エステルは自分の席へ戻っていった。


 リリアは、自分が近くにいることそのものを嫌がった。


 カイルは、自分を信用できないと言った。


 エステルは怒っているわけでもないのに、以前のようには話したくないと言った。


 三人とも反応は違う。


 理由も分からない。


 ただ、三人に共通しているものは一つだけだった。


 自分だった。


 ほどなくして教師が教室へ入ってきた。


「全員座れ。始めるぞ」


 生徒たちが席へ戻る。


 自分の席につき、教本を開いた。


 文字を追おうとしても、なかなか頭に入ってこない。


 先ほどの三人の言葉が、何度も意識へ浮かんだ。


 心当たりはない。


 今は授業に集中しようとしても、簡単には切り替えられなかった。


「ユウ・リシェルさん」


「……はい」


 名前を呼ばれ、慌てて顔を上げた。


「悪いが、その窓を閉めてくれるか」


「あ、はい」


 立ち上がって窓を閉める。


「ありがとう」


「いえ」


 教師の態度は、いつもと変わらなかった。


 責めるような視線もない。


 距離を置かれることもない。


 席へ戻りながら考える。


 先生は普通だ。


 三人との間だけで、何かが変わったのだろうか。


     ◇


 授業が終わった。


 教師が教室を出ていくと、すぐにあちこちで話し声が上がる。


 しばらく迷った末、近くにいた男子生徒へ声をかけた。


 これまでにも何度か言葉を交わしたことのある生徒だった。


「ねえ、ちょっと聞いてもいい?」


「俺?」


「うん」


 一度、言葉を選ぶ。


「僕のこと、知ってるよね?」


 男子生徒が首を傾げた。


「そりゃ知ってるけど」


 張り詰めていた気持ちが、わずかに緩む。


「同じクラスのユウ・リシェルだろ?」


「……それだけ?」


「それだけって?」


「前にも何度か話したよね」


 男子生徒は考えるように眉を寄せた。


「そうだったっけ?」


「……あんまり覚えてない?」


「悪い。よく分かんねえ」


「そっか」


 笑おうとした。


 うまくできたかは分からない。


「変なこと聞いてごめん」


「いや、別にいいけど」


 別の生徒にも聞いてみた。


 その生徒も、ユウの名前は知っていた。


 同じクラスの生徒だということも分かっている。


 だが、それ以上の関わりになると曖昧だった。


 もう一人。


 その次も。


 似た答えが返ってくる。


 そこで尋ねるのをやめた。


 指先が落ち着かない。


 リリアたちだけではなかった。


 何人もの生徒が、自分との関わりを曖昧にしか捉えていない。


「……何が起きてるんだろう」


 みんながおかしいと決めつける前に、自分の記憶を確かめたくなった。


 机の下で、そっと手を握る。


 灰牙狼の魔石。


 世界樹で交わした言葉。


 対抗戦。


 アクセサリー店。


 四人で過ごしてきた時間。


 一つ一つ、ちゃんと思い出せる。


 三人の表情も。


 声も。


 あの時、自分が感じたことも。


 全部が勘違いだったとは思えなかった。


 そして。


『だから、何があってもみんなのことは守るよ。約束する!』


 自分がそう言った時。


 三人は確かにそこにいた。


 その記憶まで、自分だけが勝手に作り上げたものとは思えない。


 視線を上げる。


 リリアと目が合った。


 彼女はすぐに顔を逸らした。


 カイルはこちらを見ると、警戒するように眉を寄せる。


 エステルは目が合えば会釈をしてくれる。


 礼儀正しい。


 それだけだった。


 喉の奥が狭くなるようだった。


 朝食の時には、少なくともこんな距離はなかったはずだ。


 顔を合わせ、言葉も交わしている。


 それから昼休みまでの間に、何が変わったのか。


 考えても答えは出ない。


 教室では、いつもと変わらない午後の時間が流れている。


 笑い声が聞こえる。


 次の授業の準備をする音もする。


 周囲だけを見れば、普段と何も変わらない。


 その中で、自分だけがどこか違う場所へ置いていかれたような気がしていた。

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