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白き天使と金色の竜眼Ⅰ  作者: 蒼空れっど
第五章 帝国侵攻編
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第91話 黒い装置

「では、次だ」


「……次?」


 男が机の下へ手を伸ばした。


 取り出したのは、小さな包みだった。


 布を解く。


 中から現れたのは、手のひらほどの薄い黒い装置だった。


 板のように平たく、表面には細かな術式線が幾重にも刻まれている。


「これを学院へ持ち込め」


 リリアが顔を上げた。


「……何、これ」


「お前が知る必要はない」


「こんなの持っていけるわけないでしょ」


「持っていけ」


「嫌」


 即座に答えた。


 男は何も言わず、机の上の紙へ視線を落とす。


 家族の名前。


 暮らしている場所。


 家の位置。


「……っ」


「もう理解していると思ったが」


「卑怯よ……」


「そう思うのは自由だ」


 男は小さく折り畳まれた紙を、黒い装置の隣へ置いた。


「学院へ戻ってから開け。置く場所と時刻が書いてある」


「何をするためのものなの?」


「知る必要はないと言ったはずだ」


「危ないものなんでしょ?」


「お前が気にすることではない」


 リリアは黒い装置を睨んだ。


「置かなかったら?」


「家族に何が起きても、我々を責めるな」


「……」


「捨てても同じだ。教師へ渡しても、友人に話してもな」


 男の声には、怒りすらなかった。


「誰かに話せば、こちらには分かる」


 リリアは拳を握った。


「……最低」


「好きに言え」


 男が後ろに立つ者へ目を向ける。


「戻せ」


「待って」


 リリアは男を見る。


「ユウには、何もしないで」


「それを決めるのはお前ではない」


「お願い。約束して」


「なぜ我々がお前と約束する必要がある?」


「……!」


「指示に従え。それがお前にできる唯一のことだ」


 それ以上、何を言っても無駄だった。


 後ろにいた男が近づき、リリアの足を固定していた拘束を外す。


 続いて、椅子の後ろで縛られていた両手が自由になった。


 リリアは赤くなった手首を押さえた。


 立ち上がるよう促される。


 その直後、目元を布で覆われた。


     ◇


 リリアは目隠しをされたまま、どこかへ運ばれた。


 馬車のようなものに乗せられ、しばらく揺られる。


 曲がった回数を数えようとした。


 一度。


 二度。


 三度。


 だが、途中から道が細かく変わり始め、どちらへ進んでいるのか分からなくなった。


 やがて馬車が止まる。


 外へ降ろされた。


「ここで待て」


 背後から声がした。


 目隠しが外される。


「振り返るな」


 低い声が続いた。


 リリアは眩しさに目を細めた。


 その間に、背後で車輪の音が動き始める。


 しばらくして振り返った時には、馬車も男たちもすでに遠ざかっていた。


 学院から少し離れた、人通りのない道だった。


 足元には自分の鞄が置かれている。


 リリアは急いで中を確認した。


 黒い装置。


 折り畳まれた紙。


 どちらも入っている。


「……」


 紙へ手を伸ばす。


 けれど、指が止まった。


 今は開きたくなかった。


 鞄を閉じる。


 学院の門が見えるところまで戻ったところで、リリアは足を止めた。


 何度か深く息をする。


 目元を拭う。


 乱れた髪を整える。


「……大丈夫」


 自分へ言い聞かせた。


 大丈夫なはずがない。


 背中も肩も痛い。


 顔や手など、制服から出る場所には傷をつけられていない。


 鞭を受けたのも、背中や肩ばかりだった。


 最初から学院へ戻すつもりだったのだ。


 少なくとも今は、従うしかない。


 そう思う以外に、どうすればいいのか分からなかった。


 リリアはもう一度息を整え、学院の門をくぐった。


「リリア?」


 聞き慣れた声に、身体が強張った。


 少し先にユウがいる。


「……あ、ユウ」


「どこ行ってたの?」


 ユウが近づいてくる。


「見かけなかったから、ちょっと心配してたんだ」


「……ちょっと用事があって」


「用事?」


「うん。もう終わったから大丈夫」


 そう答えたものの、声がいつも通りになっている自信はなかった。


 ユウがリリアの顔を見る。


「……リリア、何かあった?」


「え?」


「なんか、いつもより元気ないから」


 心臓が強く跳ねた。


「だ、大丈夫!」


 思ったより大きな声が出た。


 すぐに視線を逸らす。


「ちょっと疲れただけだから」


「……そっか」


 ユウはまだ気にしているようだった。


「でも、何かあったらちゃんと言ってね」


「……うん」


「カイルとエステルもいるよ。今から図書館に行こうって話してたんだ」


 リリアは鞄を抱える。


 中には、自分が持ち込んでしまった黒い装置がある。


「リリアも行く?」


「……うん。行く」


「じゃあ行こう!」


 いつものように先を歩き始めるユウを、リリアは追った。


     ◇


 その夜。


 女子寮の自室で一人になってから、リリアは鞄の中の紙を取り出した。


 何度もためらい、ようやく開く。


 書かれていた文章は短かった。


『明日の昼休み。

 中庭脇の用具庫。

 最奥の棚、その裏側へ置け。

 設置後は触れるな。

 次の指示があるまで、何もするな』


「……次の、指示……」


 リリアは机の上に黒い装置を置いた。


 これで終わりではない。


 あの男が言った通りだった。


 何のためのものなのか。


 何が起こるのか。


 何も分からない。


 ただ一つ分かるのは、まともな目的で使われるものではないということだけだった。


「……どうすればいいのよ」


 誰かに相談したい。


 ユウに。


 カイルに。


 エステルに。


 先生に。


 けれど、あの紙に書かれていた家族の名前が頭から離れない。


 言えば、家族が危険に晒される。


 装置を渡しても、それは知られると言われた。


 何もしなければいい。


 そう思おうとしても、その先に家族の姿が浮かぶ。


 リリアは黒い装置を見つめたまま、長い間動けなかった。


     ◇


 昼休み。


 中庭には、昼休みを過ごす生徒たちの姿があった。


 話しながら歩く者。


 友人と食事をする者。


 次の授業の準備をしながら校舎へ戻る者。


 リリアは周囲を確かめてから、中庭脇の用具庫へ向かった。


 清掃当番などで、生徒も普段から出入りする場所だった。


 扉を開け、中へ入る。


 薄暗い室内には、掃除道具や授業で使う備品が並んでいた。


 扉を閉める。


 奥へ進む。


 指示された棚を見つけた。


「……」


 鞄から黒い装置を取り出す。


 手が震えていた。


 ここに置けば、何かが起きる。


 分かっている。


 けれど。


 置かなければ、家族に何が起きるか分からない。


「ごめん……」


 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。


 棚の裏側へ手を伸ばす。


 薄い黒い装置を置く。


 棚と壁のわずかな隙間へ、装置は隠れるように収まった。


 リリアは手を離す。


 何も起こらない。


 光ることも。


 音が鳴ることもない。


「……」


 しばらく、その場所を見つめた。


 今なら、まだ持ち帰れる。


 そんな考えが浮かぶ。


 手を伸ばしかける。


 だが、脳裏に家族の名前が書かれた紙が浮かんだ。


 指が止まる。


 リリアは手を引いた。


 鞄を閉じ、用具庫を出る。


 中庭へ戻ったところで、昼休みの終わりを知らせる鐘が鳴った。


「あ……戻らなきゃ」


 生徒たちが校舎へ向かい始める。


 リリアもその中へ混ざった。


 いつもと変わらない昼休みだった。

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