↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白き天使と金色の竜眼Ⅰ  作者: 蒼空れっど
第五章 帝国侵攻編
PR
92/116

第90話 名前

 リリアが目を開けた時、最初に感じたのは背中に触れる椅子の冷たさだった。


「……っ」


 身じろぎしようとして、身体が動かないことに気づく。


 両手は椅子の後ろで縛られ、足も固定されていた。


 薄暗い部屋。


 石造りの壁。


 窓はなく、机の上に置かれたランプだけが周囲を照らしている。


「ここ……どこ……?」


 ぼんやりした頭で、最後の記憶を辿る。


 学院を出た覚えはない。


 放課後、校舎から寮へ戻ろうとしていた時だった。


 学院へ荷を届けに来た者のような格好をした男に呼び止められた。


『フェルナさんですね。ご家族から急ぎの伝言を預かっています』


 そう言われた。


 家族。


 その言葉に足を止めたところまでは覚えている。


 近くには、幌をかけた荷車が一台止まっていた。


 対抗戦での一件以来、学院へ出入りする者への確認は以前より厳しくなっていた。


 だが、男の胸元には学院の紋章と番号が刻まれた木札が下げられていた。外部から訪れ、門で身元と用件を確認された者に渡される札だ。


 少なくとも、リリアの目には正規の荷届け人にしか見えなかった。


 男は、人通りの少ない場所で話したいと言った。


 学院の敷地内だった。


 それに、男の格好にも不自然なところは見当たらなかった。


 だから、ほんの少しだけならと後をついていった。


 何かがおかしいと思ったのは、その直後だった。


 物陰へ入った瞬間、背後から口元を塞がれる。


「――っ!」


 声を上げるより早く、首筋に強い衝撃が走った。


 視界が揺れる。


 膝から力が抜けた。


 誰かに身体を支えられた感覚を最後に、意識が途切れた。


 その後、意識を失ったリリアは幌付きの荷車へ運び込まれた。


 荷台の奥には、積み荷に紛れて外から見えない空間が作られていた。


 男は入ってきた時と同じ木札を胸元に下げたまま、荷車とともに門を出た。


 学院側から見れば、荷を届け終えた者が帰っていくだけだった。


「起きたか」


 正面から声がした。


 リリアは顔を上げる。


 黒い外套を着た男が一人、机の向こうに座っている。


 その後ろにも二人。


 見覚えのない顔だった。


「誰なの……?」


「質問するのはこちらだ」


 男が立ち上がる。


「確認だ。名前を言え」


「……リリア・フェルナ」


「王立魔法学院の一年生」


「だったら何?」


 男は答えず、机の上の書類をめくった。


「水属性を得意とし、風属性も扱う。学院ではユウ・リシェル、カイル・フェルド、エステル・ヴァレインと行動することが多い」


 リリアの表情が固まった。


「なんで……」


「こちらにはこちらの調べ方がある」


 男は書類を閉じた。


「心配するな。我々の目的は、お前ではない」


「じゃあ、何なの?」


「極秘の研究だ」


 淡々とした声だった。


「貴様は余計なことを考える必要はない。我々の質問に答え、指示に従えばいい」


「従うわけないでしょ」


 間を置かず返す。


 男はしばらくリリアを見た。


「そうか」


 次の瞬間。


 乾いた音が部屋に響いた。


「――っ!」


 背中に鋭い痛みが走る。


 リリアは息を詰まらせた。


 後ろに立っていた男の手には、細い鞭が握られていた。


「……何、するのよ……!」


「忠告だ」


「こんなのが?」


「今のはな」


 男は何事もなかったように書類へ目を戻す。


「もう一度言う。我々が探しているのは、ある条件を満たす人間だ」


「……」


「一つ。魔法を扱えること」


 男が指を立てる。


「そしてもう一つ」


 リリアへ視線を戻した。


「純粋な心の持ち主であること」


「……純粋な、心?」


「そうだ」


「そんなの……どうやって分かるのよ」


「最終的に判断するのは我々だ」


 男が答える。


「貴様には候補を挙げてもらう」


「だったら自分たちで探せばいいじゃない」


 再び鞭が振られた。


「っ……!」


 今度は肩から背中へ痛みが走る。


 リリアは歯を食いしばった。


「貴様は学院の人間を知っている」


 男が近づく。


「毎日同じ教室で過ごし、共に訓練し、依頼へ赴く。外から調べる我々より、はるかによく知っているはずだ」


「知らない」


「まだ誰の名前も聞いていないが?」


「……」


「心当たりがあるようだな」


 リリアは顔を背けた。


「ない」


「嘘はつくな」


「嘘じゃない」


「なら、こちらを見ろ」


 机の上へ、一枚の紙が置かれた。


 何気なく目を向けたリリアの呼吸が止まる。


「……え?」


 そこに書かれていたのは、家族の名前だった。


 暮らしている場所。


 家の位置まで。


「なんで……」


 声が震えた。


「なんで知ってるの……?」


「言ったはずだ。我々には我々の調べ方がある」


「家族は関係ないでしょ」


「今はな」


 男の返事は冷たかった。


 リリアが睨みつける。


「手を出したら……!」


「何をする?」


「……っ」


「お前はここから動くことすらできない」


 男の指が紙の上をなぞった。


「そして我々ならば、貴様の家族など一瞬にして灰にできる」


「やめて」


「家も」


「やめてよ」


「家族も」


「やめて!」


 椅子が大きく揺れた。


「家族には何もしないで!」


「なら答えろ」


 男は声を荒らげなかった。


 その平静さが、かえって恐ろしかった。


「貴様の知る中で、条件に最も近い者の名前を言え」


「……」


「魔法を扱うことができ、それでいて純粋な心を持つ者だ」


 リリアは唇を噛んだ。


「いない」


「嘘をつくな」


「いないって言ってるでしょ……!」


 鞭の音。


「っ……!」


 背中の痛みに身体が縮こまる。


 それでも、リリアは口を閉ざした。


「もう一度だけ聞く」


 男が紙を持ち上げる。


「名前を言え」


「……」


「黙れば、この中の誰かがどうなるか試してみるか?」


「……やめて」


「我々には簡単なことだ」


「お願い……」


「なら吐け」


 視界が滲んだ。


 頭の中に、何人もの顔が浮かぶ。


 学院の友人。


 クラスメイト。


 そして。


 いつも誰かのことばかり気にして。


 困っている人を見れば足を止めて。


 自分にできることを探そうとする少年。


 浮かんでほしくなかった。


 今だけは。


 絶対に。


「……いない」


 震える声で、もう一度言った。


 男はしばらくリリアを見つめていた。


 やがて。


「家族より大切か?」


「……っ」


「その者は」


 リリアの指先が震えた。


「違う……」


「いるのだろう?」


「違う」


「純粋な心を持った友人が」


「……」


「名前を言え」


 涙が頬を伝った。


 言えば、きっと何かが起きる。


 分かっている。


 だから言いたくない。


 それでも。


 机の上には家族の名前がある。


「……家族には」


 声が掠れた。


「何もしないで……」


「貴様次第だ」


 リリアは目を閉じた。


「……ユウ」


「聞こえない」


「……ユウ・リシェル……」


 男の目がわずかに動いた。


 後ろにいた一人が、すぐに別の書類を開く。


「ユウ・リシェル」


 男はその名を確かめるように繰り返した。


「魔法を扱えるな?」


「……うん」


「お前と親しい?」


 リリアは答えられなかった。


 沈黙が落ちる。


 男はそれ以上尋ねなかった。


「十分だ」


 机へ戻り、書類の余白にペンを走らせる。


 静かな部屋に、紙を擦る音だけが響いた。


 そこへ新たに、一つの名前が書き加えられた。


 ユウ・リシェル。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。