第88話 約束
王立魔法学院では、朝から教師たちの出入りが続いていた。
国境情勢に新たな動きはない。
その一方、王都から届いた一枚の書面が、教師たちの間に新たな緊張を生んでいた。
◇
「失踪……ですか?」
職員室。
クラリスは手渡された書面へ目を落とした。
「現在、王都で三名の行方が分からなくなっているそうです」
向かいに立つ教師が答える。
「いずれも十代後半から二十歳前後。今のところ、互いに関係があったという情報はありません」
「それだけなら、学院へ知らせるほどのことではないようにも思えますが……」
「ええ。ただ――」
教師が書面の一部を指す。
「三人とも魔法を扱えるようです」
クラリスの視線が止まった。
一人は水。
一人は風。
もう一人は火と風。
三人すべてに共通する属性はない。
魔法使いとして名が知られていたわけでもない。
それでも。
「王都では、偶然かどうかも含めて調査を始めるとのことです」
「学院にも注意を?」
「若い魔法使いが多く集まる場所ですから」
クラリスは書面を置いた。
帝国軍が国境へ集結している最中に起きた、理由の分からない失踪。
両者に関係があるという証拠はない。
だからこそ、今は余計な憶測を広げるべきではない。
「学院長には?」
「すでに報告されています」
「分かりました」
クラリスは一度考えてから頷いた。
「必要な注意だけ、生徒たちにも伝えましょう」
◇
昼前。
授業を終えるはずだったクラリスは、教卓の前から動かなかった。
「最後に、一つ連絡があります」
片づけを始めていた生徒たちの手が止まる。
「現在、王都で複数の失踪が確認されています」
教室に小さなざわめきが広がった。
「失踪?」
「誰が?」
「静かにしてください」
クラリスは声が収まるのを待つ。
「現時点で確認されているのは三名です。いずれも若く、魔法を扱うことができる人物だと報告されています」
ユウはクラリスを見つめた。
三人。
それだけなら、偶然ということもあるのかもしれない。
だが学院へ注意が届いたということは、王都側も何かを気にしているのだろう。
「この失踪が互いに関係しているのか、それとも別々の出来事なのかは分かっていません。帝国軍との関連についても、確認された事実はありません」
そこで一度、教室全体を見渡す。
「ですから、根拠のない噂を広げないようにしてください。ただし、学院外へ出る場合は一人で行動せず、できるだけ複数人で行動してください」
「先生」
一人の生徒が手を上げた。
「学院から外に出ちゃ駄目なんですか?」
「禁止ではありません。ただし、必要のない外出は控えることを勧めます」
生徒が頷く。
「何か変化があれば、学院から改めて知らせます」
それで話は終わった。
だが。
教室に残った空気は、昨日までとは明らかに違っていた。
◇
放課後。
四人は学院の中庭にいた。
石造りの縁へ腰を下ろし、しばらく誰も話さない。
「……三人とも魔法を使えるんだよね」
リリアが最初に口を開いた。
「先生は関係があるか分からないって言ってたけど」
「実際、三人じゃまだ何とも言えないだろ」
カイルが答える。
「王都なら魔法を使える人間だって珍しくないしな」
「そうですね」
エステルも頷いた。
「ですが、学院へ注意が届く程度には気にされているのでしょう」
「帝国軍のこともあるし……」
リリアが呟く。
そこで会話が止まった。
帝国軍はまだ国境を越えていない。
戦争も始まっていない。
それでも、「戦争」という言葉は、もう以前ほど遠いものには思えなかった。
「もし、本当に戦争になったら……学院はどうなるんだろう」
リリアが膝の上で手を組んだ。
「王国軍や騎士団がいるんだから、すぐここまで来るとは思えないけどさ」
カイルの声も、いつもより低い。
「それでも、絶対とは言えません」
エステルが静かに言った。
「学院にいるから何も起こらない、と決まっているわけではありませんから」
ユウは三人を見た。
リリア。
カイル。
エステル。
この学院で出会った、大切な仲間たち。
一緒に授業を受けて。
一緒に依頼へ行って。
一緒に遠征へ出て。
危険な目にも遭った。
それでも、今こうして四人でいる。
「……だったらさ」
三人の視線が集まった。
ユウは少しだけ身を乗り出す。
「今からずっと心配してても仕方ないよね」
「ユウ?」
「何が起こるかは、まだ分からない。でも、何かあった時にできることはあると思う」
自分の手へ目を落とす。
自分の意思で使える魔力は多くない。
どんな危険にも、一人で対処できるわけではない。
それでも。
ずっと、そうなりたいと思っていた。
困っている人の前に立てるように。
誰かを守れるくらい、強くなりたいと。
ユウは顔を上げた。
「だから、何があってもみんなのことは守るよ。約束する!」
一瞬。
三人とも何も言わなかった。
「……おい」
カイルが眉を上げる。
「そこは俺ら一致団結だろ?」
「え?」
「何でお前だけ守る側なんだよ。俺だって、お前らに何かあったら助けるぞ」
「あ……そういう意味か」
「他に何があるんだよ」
「私も同じです」
エステルが続ける。
「ユウさん一人が、私たち全員を守ろうとする必要はありません」
「そうだよ」
リリアも頷いた。
「私たちだって、ユウを守るんだから」
ユウは三人の顔を順番に見る。
以前なら。
自分が何とかしなければ、と考えていたかもしれない。
けれど、今は違う。
「うん! 分かってるよ」
「本当か?」
「本当だって」
カイルの疑うような視線に、ユウはすぐに答える。
「僕だって、四人で動いた方ができることが増えるって、ちゃんと分かってるから」
「ならいいけどな」
「ですが、一人で無茶をしないでくださいね」
エステルが念を押す。
「うっ……」
「そこはすぐ答えないんですか?」
「答えるよ。ちゃんと答えるって」
少し姿勢を正す。
「何でも一人でやろうとはしないよ」
「本当にね?」
今度はリリアがじっとこちらを見る。
「うん!」
迷わず頷くと、三人の張りつめていた空気も和らいだ。
「じゃあ、決まりだな」
カイルが立ち上がる。
「誰か一人が守るんじゃなくて、四人で助け合う」
「うん。その方がいい!」
「最初からそう言ってるだろ」
「そうでした」
「今気づいたのかよ」
「違うよ。ちゃんと分かってたよ?」
「どうだかな」
「本当だってば」
「それが一番ですね」
エステルも立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ戻ろっか」
リリアも続く。
「このあと、どうする?」
「僕、図書館に寄りたい!」
ユウがすぐに答える。
「今日の授業で気になったところがあるんだ。少し調べておきたくて」
「やっぱりそっちか」
カイルが言う。
「だって、気になったままにしておくの嫌じゃない?」
「ユウさんらしいですね」
「私も付き合うよ」
リリアが言うと、カイルも続いた。
「じゃあ俺も。どうせ四人で行くんだろ?」
「うん!」
ユウも立ち上がる。
「じゃあ行こう!」
四人はそのまま、中庭から図書館へ向かった。




