第85話 国境の向こう
対抗戦の騒動から数日後。
夜明けには、まだ少し早かった。
空は暗く、東の端だけが僅かに白み始めている。
そんな帝国領の街道を、長い列が進んでいた。
兵士。
軍馬。
幌を掛けられた荷馬車。
積まれているのは、食料だけではない。
剣。
槍。
矢束。
予備の防具。
野営のための天幕。
それらを満載した車列が、途切れることなく同じ方角へ向かっていた。
「次、進め!」
号令が飛ぶ。
車輪が土を踏み、軍靴が街道を埋めていく。
向かう先は――王国との国境だった。
◇
街道をさらに進んだ先。
帝国軍の駐屯地では、夜が明けても慌ただしさが収まっていなかった。
広場へ次々と兵が集められている。
並べられた武器を確認する者。
馬具を締め直す者。
荷の数を読み上げる者。
誰も大声で理由を語らない。
ただの演習ではないことだけは、多くの兵が感じ取っていた。
「全隊、準備を急げ」
指揮官の声が響いた。
「正午までに出発できる状態にしておけ」
「はっ!」
一斉に返事が上がる。
一人の部下が近づいた。
「国境方面の部隊から連絡です」
差し出された書簡を、指揮官が受け取る。
封を切り、短く目を通した。
「……予定通りか」
「はい」
「王国側に動きは?」
「今のところ、大きな変化は確認されていません」
「そうか」
書簡を畳む。
「こちらから余計な動きはするな。命令が下りるまでは、配置だけ進めろ」
「承知しました」
部下が離れていく。
指揮官は広場へ視線を向けた。
兵の数は、今日も増えている。
明日には、さらに別の部隊が到着する予定だった。
まだ国境は越えていない。
戦うための準備だけが、着実に進められていた。
◇
同じ頃。
国境を挟んだ王国側。
石造りの監視塔の上で、一人の兵士が遠眼鏡を覗いていた。
「……まただ」
「どうした?」
交代に来た兵士が尋ねる。
「向こうを見てみろ」
遠眼鏡を渡す。
帝国領の遥か先。
小さな点が、いくつも見える。
昨日まではなかった天幕。
街道を進む車列。
遠くの平原では、隊列らしき影も動いていた。
「増えてるな……」
「ああ」
「昨日の報告では、部隊の移動だけだったはずだろ」
「今朝になって物資まで増えた」
兵士が遠眼鏡を下ろす。
表情から、僅かな余裕が消えていた。
「上には?」
「もう知らせた」
その言葉とほぼ同時に、塔の下から馬の蹄の音が聞こえた。
一騎の伝令が門を抜け、王国内へ向かって走り出していく。
携えているのは、封をされた報告書。
まず国境守備隊の上官へ。
そして、その先へ。
やがて王都にも、この動きは伝わることになる。




