第83話 残された箱
「……何だ、これは」
教師の声に、フードの女性が振り返った。
箱の前まで歩み寄り、露出した内部を覗き込む。
「触らないで」
「はい」
教師とギルド職員が場所を空けた。
女性はその場へしゃがみ込む。
外側は、どう見ても大会用の備品だった。
学院の紋章。
管理番号。
持ち運ぶための取っ手。
けれど。
壊れた外板の奥には、細かな線が幾重にも刻まれている。
「学院の術式ですか?」
ギルド職員が尋ねた。
「いいえ」
答えたのは学院長だった。
「少なくとも、対抗戦で使用していた備品にこのようなものはありません」
「では、誰かが紛れ込ませた?」
「そう考えるべきでしょうね」
フードの女性は会話を聞きながら、箱の内側へ手をかざした。
「……魔力が残っている」
「まだ動いているんですか?」
「そこまでは分からないわ。術式を見られる人に確認してもらった方がいい」
近くにいたギルド職員が頷き、慎重に箱の内部を調べ始める。
刻まれた線を目で追い、いくつかの箇所を確認する。
「……これは」
「何か分かりましたか?」
「魔力を取り込む系統と、外へ送り出す系統が分かれています」
学院長の表情が変わる。
「この箱だけで完結する術式ではない?」
「おそらく。どこか別の装置と接続する前提で作られています」
フードの女性が箱へ視線を落とした。
「なら、同じものがほかにもあるはずね」
「探した方がよさそうです」
学院長がすぐに振り返る。
「対抗戦のために器具が置かれた場所を、すべて確認してください」
「はい!」
教師たちとギルド職員が一斉に散っていった。
◇
二つ目が見つかるまで、さほど時間はかからなかった。
「こちらにもあります!」
実技場の反対側。
観客席へ続く通路の脇。
さらに。
「こっちにも!」
別の教師の声が上がる。
一つ。
二つ。
三つ。
その後も、発見の報告は続いた。
四つ目。
五つ目。
どの箱も外見は同じだった。
大会用備品とほとんど見分けがつかない。
内部には似た術式が刻まれ、残された魔力はいずれもごく僅か。
「発見場所を記録します」
ギルド職員が実技場周辺の見取り図を広げた。
箱が見つかった場所へ、一つずつ印を付けていく。
フードの女性はしばらく黙って、その図を眺めていた。
「……この配置」
「何か?」
「今日、実技場に現れた魔法陣に似ていない?」
職員が図と試合場を交互に見る。
「線で結んでみます」
離れていた印同士を、一つずつ結んでいく。
最後の線を書き終えた時。
その場にいた者たちの表情が変わった。
実技場を囲むように、箱の位置が一つの大きな形を描いている。
「これ……」
「今日現れた魔法陣と、かなり似ています」
教師が呟いた。
学院長も見取り図を見つめる。
「では、この箱が……」
ギルド職員が術式と図を見比べた。
「大規模術式を構成する中継器だったと考えると、配置にも説明がつきます」
「ただ、まだ一つ分からないわね」
フードの女性が言った。
「何です?」
「これだけの魔力を、どこから用意したのか」
誰もすぐには答えられなかった。
その時。
回収した箱を調べていた別のギルド職員が、ふと顔を上げた。
「……待ってください」
「どうしました?」
「僅かですが、内部に残っている魔力が一種類ではありません」
もう一人も確認する。
「火、水、風、土……いくつもの属性が混じっています」
教師の顔色が変わった。
「対抗戦……?」
視線が実技場へ向く。
四日間。
何度も行われた試合。
多くの生徒が、さまざまな属性の魔法を使った。
そのたびに空間や地面へ散っていった魔力。
「まさか……」
学院長が呟く。
フードの女性は箱へ視線を落とした。
「まだ断定はできない。でも――」
今度はギルド職員が、術式の一部を示す。
「この部分が周囲の残留魔力を取り込むためのものなら、対抗戦中に少しずつ蓄えていたとも考えられます」
「四日間ずっと……?」
「あり得ます」
教師たちの間に重い沈黙が落ちた。
自分たちが見守っていた対抗戦。
生徒たちが全力で使っていた魔法。
その力が。
知らないところで、別の目的に利用されていた。
◇
調査はそのまま、箱の配置に関わった者へ移った。
ほどなくして、数人の生徒が呼ばれる。
誰もが不安そうな顔をしていた。
「この箱を置いた覚えはありますか?」
教師が尋ねる。
一人の男子生徒が、おそるおそる頷いた。
「……あります」
「誰から頼まれた?」
「頼まれたというか……準備用の場所に置いてあって」
「準備用?」
「はい。『対抗戦補助器具・指定位置へ配置』って紙が付いてました」
別の生徒も頷く。
「僕もです。ほかの大会用品と一緒にありました」
「誰かから直接受け取ったわけではない?」
「違います」
「中を確認したか?」
「してません。学院の紋章も付いてたし……普通の備品だと思って……」
生徒の声が震えた。
「僕たちが、あれを……?」
「君たちの責任ではありません」
学院長がすぐに言った。
生徒たちが顔を上げる。
「知らずに利用されたと考えられます。今は覚えていることを、そのまま話してください」
「……はい」
フードの女性は離れたところから、そのやり取りを聞いていた。
「かなり前から準備されていたようね」
隣にいたギルド職員が振り向く。
「やはり、意図的だと思いますか?」
「学院の備品に似せた箱を用意して、配置場所まで指定している」
女性は回収された箱へ目を向けた。
「少なくとも、偶然ではないでしょうね」
「犯人は学院の人間でしょうか」
「それはまだ分からない」
即答だった。
「中の事情を知っている者かもしれないし、外から情報を得た者かもしれない」
そこで言葉を切る。
「今決めつければ、見えるものまで見えなくなるわ」
職員は黙って頷いた。
◇
夜が近づいていた。
回収された箱には一つずつ封印処置が施され、学院内の隔離された区画へ保管されている。
未回収のものがないか、捜索は今も続いていた。
学院長は、並べられた箱を見下ろす。
「対抗戦を利用して魔力を集めた……」
その隣で、フードの女性が答える。
「そして、その魔力が今日の魔物たちに使われたと考えれば、一連の異変はつながる」
「そこまでのことが、本当に……」
「この箱だけでは無理ね」
女性は実技場の方角へ目を向けた。
「でも、複数の装置を一つの大規模術式として動かしたのなら……あり得ない話ではないわ」
まだ証拠は足りない。
仕組みのすべてが判明したわけでもない。
けれど。
学院に起きた異変が、偶然ではないことだけは確かだった。
誰かが箱を用意した。
何も知らない生徒たちを利用した。
そして、おそらく。
四日間の対抗戦そのものを、魔力を集めるために利用した。
学院長の手が、静かに握られる。
「……必ず、調べます」
フードの女性は何も答えなかった。
ただ、封じられた箱の一つへ視線を落とす。
対抗戦は終わった。
だが。
学院へその手を伸ばした何者かの正体は、まだ何一つ見えていなかった。




