第73話 花畑の向こう(番外編 天界5話)
ずっと昔。
三人の天使が、まだ今よりずっと幼かった頃。
「シェル! 早く!」
「待ってよ、ラティス!」
白い街の外れを、三人は白い翼を広げて飛んでいた。
先を行くラティスが振り返る。
「遅いぞ!」
「ラティスが急ぎすぎなんだよ!」
「二人とも、まだ着いてもいないのに競争しないでよ」
少し後ろから、フィオの声が飛んでくる。
三人が向かっていたのは、街から離れた場所にある花畑だった。
この季節になると、丘一面に色とりどりの花が咲く。
白や青、薄紫。
中には、光を浴びると花びらの色が変わって見えるものまであるらしい。
話を聞いたラティスが行きたいと言い出し、シェルもすぐに賛成した。
そして二人だけでは心配だからと、フィオも一緒に来ることになった。
「見えた!」
ラティスが声を上げる。
白い雲の間を抜けた先。
緩やかな丘が、いくつも連なっていた。
そのほとんどが花で埋め尽くされている。
「わあ……」
シェルが目を輝かせる。
三人は翼を畳み、花を踏まないように少し開けた場所へ降り立った。
風が吹く。
丘一面の花が、同じ方向へ揺れた。
「すごいね!」
「思ってたよりずっと広いな」
「どこまで続いてるんだろう」
フィオが遠くを眺める。
丘の向こうまで花の色が続いていて、ここからでは終わりが見えない。
ラティスはもう近くの花へ駆け寄っていた。
「これ、見たことない!」
「どれ?」
シェルも後を追う。
ラティスが指差したのは、細長い青い花びらを持つ花だった。
先端だけが白く、風に揺れるたび小さな光が散っている。
「光ってる」
「持って帰ろうぜ」
「え?」
ラティスが花へ手を伸ばす。
その横から、フィオがすぐに止めた。
「駄目だよ」
「なんで?」
「ここに咲いてるから綺麗なんじゃない?」
「一本くらいいいだろ」
「持って帰ったら枯れるかもしれないよ」
「……じゃあ見るだけ?」
ラティスが不満そうに手を引っ込めた。
シェルはしゃがんで花を眺める。
「でも、また来れば見られるよ」
「遠いじゃん」
「また三人で来ればいいでしょ?」
「それならいいか」
あっさり納得したラティスに、フィオが笑った。
「切り替え早いね」
「じゃあ次!」
「もう行くの?」
三人は花畑の中を進んでいく。
「あっ、黄色!」
「こっちにもあるよ!」
「それ、さっきも見た種類じゃない?」
「でもちょっと色が違う」
気になる花を見つけるたびに立ち止まる。
そのうち、誰が一番変わった花を見つけられるかという話になった。
「絶対俺が見つける」
「変わった花って、どうやって決めるの?」
「見た瞬間に一番すごいやつ!」
「それだとラティスの感覚だけじゃない?」
「じゃあ三人で決めればいいだろ」
「それならいいかも」
シェルも周囲を見回す。
「よし。探そう!」
三人はそれぞれ違う方向へ歩き出した。
◇
「シェル! こっち!」
「今行く!」
呼ばれて走っていくと、ラティスが得意そうに腕を組んでいた。
その足元に、一輪だけ大きな赤い花が咲いている。
「どうだ!」
「大きいね」
「これなら俺の勝ちだろ?」
「まだ僕とフィオが見つけてないよ」
「これよりすごいのなんてないって」
そこへフィオが戻ってくる。
「何してるの?」
「俺が一番すごい花見つけた」
「まだ決まってないよ」
「じゃあフィオのは?」
「こっち」
三人で後をついていく。
少し歩いた先にあったのは、小さな白い花だった。
「……小さくない?」
ラティスが首を傾げる。
「近くで見て」
三人がしゃがむ。
白い花びらの中央。
そこに、星のような形をした淡い金色の模様が浮かんでいた。
「本当だ」
シェルが顔を近づける。
「すごい……どうなってるんだろう」
「俺の方が大きいぞ」
「大きさだけで決めるの?」
「駄目?」
「駄目じゃないけど……」
フィオが苦笑する。
「次はシェルだね」
「僕?」
「何か見つけた?」
「まだ」
「じゃあ俺の勝ち!」
「だからまだだって!」
シェルが立ち上がる。
「絶対見つけるから待ってて!」
「負けず嫌いになってる」
「ラティスが勝手に決めるからだよ!」
笑い声が花畑に響いた。
◇
それからしばらくして。
「……あれ?」
少し先まで歩いていたシェルが足を止めた。
「どうした?」
「向こう」
丘の先。
花々の間に、細い道のような隙間が続いている。
その先は、まだ三人とも足を踏み入れていない場所だった。
「行ってみよう」
三人で進んでいく。
丘を一つ越える。
その瞬間。
「……わあ」
三人の足が同時に止まった。
そこには、今まで見ていたものよりさらに広い花畑があった。
斜面いっぱいに、淡い青色の花が咲いている。
一輪一輪は小さい。
けれど、何千、何万という花が集まり、丘全体を青く染めていた。
風が吹く。
花の波が一斉に揺れた。
そのさらに向こうには、真っ白な雲海が広がっている。
「……これだ」
ラティスが呟く。
「何が?」
「一番すごい花」
「一輪じゃないよ?」
「もうそれでいいだろ」
フィオも隣に並んだ。
「僕も、これが一番かな」
「僕、まだ何も見つけてないんだけど」
「シェルがここ見つけたじゃん」
「……それもあり?」
「ありだよ」
「じゃあ僕の勝ち?」
「それは違う」
「なんで?」
三人が笑う。
そのまま花を踏まない場所を探して座った。
目の前には青い花畑。
その向こうには白い雲。
しばらく誰も話さなかった。
「ここ、また来ような」
最初に口を開いたのはラティスだった。
「うん」
「次はもっと奥まで行ってみたいね」
フィオが花畑の先を見る。
「まだ向こうにも何かありそう」
「じゃあ次は、あの辺まで行こうよ」
シェルが遠くの丘を指差す。
「遠くない?」
「飛べばすぐだよ」
「さっき競争して置いていかれそうになった人が言う?」
「置いていかれてないよ!」
「結構離れてたぞ」
「ラティスが速く飛びすぎただけでしょ?」
「次はシェルが先頭な」
「いいよ」
「絶対途中で花見つけて止まると思う」
「フィオまで!」
三人の声が重なった。
風が吹き抜ける。
青い花が揺れ、三対の白い翼にも柔らかな風が触れた。
花畑の向こうには、まだ知らない景色が続いている。
けれど今は、その先に何があるのかよりも――次も三人で来られることの方が、ずっと大切だった。




