第50話 星降りの樹冠
第一野営地へ戻る頃には、空が夕暮れの色を帯び始めていた。
植物の観察。
三班それぞれの魔獣対処実習。
朝に出発してから、ほとんど一日を森の中で過ごしていたことになる。
「さすがに疲れたな……」
カイルが天幕の前へ荷物を下ろした。
「今日はずっと森の中だったもんね」
リリアも肩を回している。
疲れはあった。
それよりも、気になって仕方がないことがある。
空を見上げる。
まだ完全な夜ではない。
――あと、どれくらいだろう。
「ユウさん」
「はい!」
エステルに呼ばれ、すぐに振り返った。
「夕食の準備です」
「あ……そうだった」
「《星降りの樹冠》は逃げませんよ」
「分かってるよ」
昨日、自分でも似たようなことを考えた気がする。
荷物を置き、夕食の準備へ向かった。
◇
食事を終える頃には、森もすっかり闇に包まれていた。
灯具を持った生徒たちが、合同班ごとに集まっていく。
「これから《星降りの樹冠》の観察場所へ移動します」
マルクが全員を見渡した。
「夜間ですので、昼間以上に班から離れないこと。足元にも注意してください」
第三合同班も列へ加わる。
進む先には世界樹がある。
昼間はあれほど巨大に見えた幹も、夜になると闇の中へ溶け込んでいた。
見上げれば、遥か上に広がる樹冠の形だけが夜空に浮かんでいる。
歩いている間も、何度となく頭上へ目を向けたくなった。
まだ何も起きていない。
暗い森で足を取られるわけにもいかない。
前へ視線を戻し、足元を確かめる。
それでも、歩いているうちにまた樹冠が気になった。
「落ち着かないな」
隣を歩くカイルが言った。
「だって、もうすぐなんだよ」
「昼からずっと楽しみにしてたもんな」
「世界樹に行くって聞いた時からだよ」
「そんな前からか」
「うん」
それどころか、本で世界樹を知った時から、一度は見てみたいと思っていた。
その頃は、自分が本当にここまで来られるとは考えてもいなかった。
◇
観察場所は、樹冠を広く見渡せる開けた場所だった。
到着した生徒たちが、それぞれ指定された範囲へ集まっていく。
「灯具を消してください」
教師の指示で、一つ、また一つと明かりが消える。
最後の光がなくなった。
森が暗闇に沈む。
ゆっくり顔を上げた。
夜空。
その大部分を、世界樹の巨大な枝と葉が覆っている。
しばらくは何も起こらなかった。
「まだかな」
リリアの小さな声が聞こえる。
「もう少し待ちましょう」
マルクが答えた。
何も言わず、樹冠を見つめる。
やがて、高い場所で何かが光った。
「……あ」
一つ。
淡い光だった。
星よりも近く、灯具よりも柔らかい。
枝葉の隙間から、ゆっくりと降りてくる。
次に、もう一つ。
その隣にも。
気づけば、巨大な樹冠のあちこちに淡い光が生まれていた。
「わ……」
誰かの声が漏れた。
言葉が出なかった。
光が降ってくる。
一つや二つではない。
数えようとして、すぐに諦めた。
あまりにも多い。
夜空から零れた星が、世界樹の枝を伝って森へ降りてきているようだった。
――これが、《星降りの樹冠》。
遠征でこの現象を見られると聞いてから、どんな光景なのか何度も想像してきた。
目の前にあるものは、そのどれとも違う。
もっと明るいと思っていた。
もっと派手なのだと思っていた。
実際の光は、とても静かだった。
音もなく、夜の森へ降り続けている。
「……思ってたより、ずっときれいだね」
ようやく、それだけ言えた。
「うん」
隣でリリアが答える。
カイルも黙ったまま、降り続ける光を見上げていた。
エステルの淡い青の瞳にも、一つ一つの輝きが映っている。
◇
「この光が何なのかは、現在も分かっていません」
しばらくして、マルクが声を落として説明を始めた。
「世界樹から放出された魔力だという説。大気中の魔力が樹冠に集まったものだという説。そのほかにも、いくつかの考えがあります」
答えは、まだない。
昼間にも聞いた言葉だった。
分からないものが、ここにもある。
いつもなら、その理由をすぐに考えたくなる。
どうして光るのか。
何でできているのか。
もちろん知りたい。
あとで調べたい。
今だけは、その疑問さえ遠くに感じられた。
――もう少し、見ていたいな。
それで十分だった。
淡い光は、夜の世界樹から静かに降っていた。
その輝きを、いつまでも目で追っていた。




