第46話 世界樹の麓
歩くたびに、世界樹の見え方は変わっていった。
遠くから眺めていた時は、空へ伸びる一本の巨木だった。
けれど森へ入る頃には、もう全体が見えない。
木々の隙間から見える幹だけで、巨大な壁のようだった。
近づけば、もっと細かく見えると思っていた。
実際は逆だった。
幹の端がどこにあるのかさえ分からない。
――これで、まだ麓なんだ。
「……近づいた方が、大きさが分からなくなるね」
ユウは歩きながら頭上を見上げた。
「さっきまでなら一本の木って分かったけど、今は幹しか見えない」
「まだ世界樹のすぐ近くじゃないんだろ?」
カイルが前を歩くマルクへ尋ねる。
「ええ。第一野営地は保護区域の外側です。今日はそこまでになります」
「じゃあ、もっと近くに行くのは明日?」
今度はユウが尋ねた。
「森林観察をしながら近づきますよ」
「はい」
明日になれば、もっと近くで見られる。
そう思うと、今日のうちに少しでも見ておきたくなる。
それでも、視線を道へ戻した。
世界樹は逃げない。
今はちゃんと目的地まで歩く方が先だ。
◇
第一野営地へ着いたのは、日が傾き始める少し前だった。
森の中に広い空間があり、先に到着した合同班がすでに設営を始めている。
荷車もここまでは入れるらしく、大型天幕や食料箱が次々と下ろされていた。
「第三合同班はこちらです」
マルクが割り当てられた区画を示す。
三つの天幕と、設営に使う支柱や杭、縄がまとめて置かれている。
「設営はこれまでの四人班ごとに、一張りずつ担当してください。ただし、実際に使用する天幕は男女で分けます。完成した後で寝る場所を決めましょう」
「分かりました」
隣では、ほかの二班もそれぞれ準備を始めていた。
ユウたちも荷物を下ろす。
「よし。立てるか」
カイルが支柱へ手を伸ばした。
「待って」
リリアが周囲を見る。
「先に場所を決めた方がよくない?」
「ここじゃ駄目なのか?」
「平らには見えるけど……」
ユウも足元へ目を向けた。
天幕が立つかどうかだけなら、ここでも問題はなさそうだ。
けれど、一晩を過ごすとなれば話は違う。
雨が降ったらどうなるか。
頭上から枝が落ちる危険はないか。
夜の間も安全に使える場所なのか。
立てられる場所と、立てていい場所は同じではない。
「ここ、少し低くない?」
数歩離れて眺めると、地面が片側へ緩やかに下がっている。
「本当だ」
リリアもしゃがんで確かめた。
「雨が降ったら、こっちに水が流れてきそう」
「じゃあ、もう少し上にするか」
四人で場所を移す。
今度はエステルが頭上を確認した。
「こちらなら、大きな枯れ枝もありません」
地面もほぼ平らだ。
さっきよりはいい。
でも、見落としていることがあるかもしれない。
「マルク先生」
近くを通った教師へ声をかける。
「ここにしても大丈夫ですか?」
マルクはすぐには答えなかった。
地面。
頭上。
周囲の木々。
順番に見てから、四人へ視線を戻す。
「なぜここを選びましたか?」
「さっきの場所より少し高いからです」
リリアが答えた。
「地面も平らです」
「上に落ちそうな大きな枝もありません」
エステルが続ける。
マルクは頷いた。
「いいでしょう。そこで始めてください」
正解を最初から教えてもらうのではない。
自分たちで考えて、その理由まで確かめてもらう。
――これも実習なんだ。
「よし。じゃあ立てるぞ」
カイルが支柱を持ち上げた。
◇
説明書を読んだ時は、簡単そうに見えた。
支柱を組む。
布を掛ける。
縄を張る。
杭で固定する。
やることは、それだけだ。
ところが始めてみると、なかなか上手くいかない。
「カイル、そのまま持ってて!」
「持ってる!」
「こっちの縄、届かないよ」
「杭の位置が近すぎるのでは?」
一つ直す。
すると反対側がずれる。
そちらを直せば、今度は支柱が傾く。
「……一回止めよう」
ユウは説明書と天幕を見比べた。
四人とも、やるべきこと自体は間違っていない。
なのに形が整わない。
どうしてだろう。
――別々に直してるからだ。
「先に四隅の位置を決めない?」
「四隅?」
「うん。今は一か所ずつ直してるから、直すたびにほかの場所も動いてる」
カイルが傾いた天幕を見る。
「じゃあ俺は、支柱を動かさない方がいいんだな」
「うん。僕とリリアで縄の位置を決める。エステルは杭をお願いしてもいい?」
「分かりました」
やることを分ける。
それだけで、さっきよりずっと進みやすくなった。
リリアが縄を伸ばす。
ユウが反対側との距離を見る。
エステルが杭の位置を合わせ、カイルが支柱を支える。
一度だけ杭を打ち直した。
最後の縄を固定する。
「……手、離すぞ?」
カイルがゆっくり支柱から手を離した。
倒れない。
布もきちんと張られている。
「できた」
リリアが言った。
「ちゃんと天幕になったね」
最初から上手くはいかなかった。
でも、どうして失敗したのかは分かった。
なら、次はもっと早くできる。
「中も見ていい?」
入口を覗こうとすると、
「まだ床布がありますよ」
エステルが残った荷物を示した。
「まだ終わってないのか……」
「寝る場所ですから」
「はいはい。続きやろう」
◇
天幕が完成しても、まだ一日の作業は終わらなかった。
夕食の準備も遠征実習の一つだ。
第三合同班で作業を分け、ユウたちはスープに使う食材の準備を担当した。
切る大きさを揃える。
必要な分だけ鍋へ入れる。
火の扱いは教師の指示に従う。
森の家で自分の食事を作ることには慣れていたが、大人数の食事となると勝手が違う。
いつも一人分を作る時とは、量も鍋の大きさもまるで違った。
すべて終わる頃には、空が橙色へ変わっていた。
四人は天幕の前へ座り、自分たちも準備を手伝ったスープと、学院から用意されたパンを食べる。
「疲れた……」
カイルがパンをちぎった。
「でも、次はもう少し早くできそう」
ユウは湯気の立つスープを見る。
先に場所を決める。
四隅を合わせる。
それから役割を分ける。
今日分かったことを、そのまま次に使えばいい。
「三日目には第二野営地を設営しますから、その時に試せますね」
エステルが言った。
「そうだった。もう一回あるんだね」
リリアが日程を思い出す。
「その前に明日だろ」
カイルが言う。
「植物の観察。それから低位魔獣の実習」
「夜は《星降りの樹冠》だね」
その名前を聞いた瞬間、世界樹へ目が向いた。
夕暮れの空に、巨大な枝々が影となって広がっている。
明日は、あの下へもっと近づく。
植物を見る。
魔獣への対処も経験する。
そして夜には、あの《星降りの樹冠》を実際に見ることができる。
楽しみなものが多すぎる。
「……寝られるかな」
「そこから心配するの?」
リリアがこちらを見る。
「だって、明日いろいろあるから」
「今日はかなり歩いたし、設営もしただろ。普通に寝るって」
カイルが言う。
それもそうかもしれない。
ユウはパンを一口食べた。
それからもう一度、世界樹を見上げる。
知りたいことは、ここへ着く前よりずっと増えていた。




