第34話 重なる魔法
光障壁が、甲高い音を立てた。
中央へ走った亀裂は、枝分かれしながら一気に広がっていく。
「ユウ!」
リリアの声が聞こえる。
灰牙狼の牙は、障壁を噛み砕こうとさらに力を加えた。獣臭い息が光越しに届き、両腕へ重さがのしかかる。
このままの角度では、もたない。
灰牙狼がもう一度強く踏み込んだ瞬間、障壁を右へ傾けた。
「今……!」
牙が光の面を滑る。
巨体の向きがわずかに逸れた。
次の瞬間、障壁が砕け散った。
光の破片の中を灰牙狼が通り抜ける。
牙は肩すれすれを掠め、そのまま地面へ着地した。勢いに耐えきれず、ユウもカイルのすぐ横へ倒れ込む。
「ユウ、怪我は!?」
「ないよ。カイルは?」
「俺も、まだ動ける……」
カイルは苦しそうに息を吐きながら身体を起こした。
背中が痛むのか顔をしかめている。それでも地面に落ちた剣を拾い、再び立ち上がった。
剣身には、《火纏》の炎がまだ弱く残っている。
灰牙狼が振り返る。
脇腹の毛は炎で焼けていた。
それでも怯む様子はなく、怒りを増したように牙を剥く。
「まだ来る……!」
リリアが杖を構え、詠唱する。
「流れし水よ、我が意に従い、ここに集いて形を成せ――《水球》!」
杖の先へ水が集まる。
同時に灰牙狼が地面を蹴った。
今度はエステルへ向かう。
「エステル!」
リリアは水球の形を崩し、横から灰牙狼の顔と前脚へ叩きつけた。
巨体がわずかに傾く。
エステルはすでに杖を地面へ向けていた。
「氷よ、足場を閉ざせ――《氷床》!」
濡れた前脚の周囲から、白い氷が一気に広がる。
片方の前脚が地面へ縫い止められた。
「今だ!」
カイルが駆け込む。
炎をまとった剣が振り下ろされた。
しかし、灰牙狼は氷ごと前脚を引き抜いた。
飛び散る氷片の中から爪が振るわれ、剣と激しくぶつかる。
「くっ……!」
押し返されたカイルの靴が土を滑った。
灰牙狼がそのまま大きく口を開く。
「カイル、離れて!」
動きを見た瞬間、詠唱へ入る。
「集いし光よ、我が意に従い、ここに巡りて隔てとなれ――《光障壁》!」
光障壁を、開いた牙の前へ斜めに差し込む。
灰牙狼の噛みつきがわずかに上へ逸れた。
「っ!」
その隙にカイルが横へ跳ぶ。
十分に距離が開いたのを確かめ、障壁を解除した。
何もなくなった空間で、牙が激しく噛み合う。
だが、灰牙狼は止まらない。
着地すると同時に前脚を振り上げ、退いたカイルへ爪を振るう。
その動きを見て、もう一度詠唱する。
「集いし光よ、我が意に従い、ここに巡りて隔てとなれ――《光障壁》!」
新しい光の壁を、前脚の軌道へ斜めに展開した。
爪が光の表面を滑り、地面を大きく抉る。
攻撃が外れたのを確かめ、障壁を消した。
荒くなった呼吸を整えながら、灰牙狼を見る。
何度も障壁を使った。
まだ発動はできる。
けれど、このまま同じことを繰り返してはいられない。
灰牙狼が四人を睨みながら、ゆっくり街道を横切った。
「どうする……?」
リリアが杖を握る。
エステルも息を整えている。
カイルは剣を構えているが、先ほどより明らかに動きが重い。
水は当たった。
氷も効いた。
カイルの剣なら傷をつけられる。
一人ずつ動くのでは、足りない。
なら。
「もう一度、三人の魔法をつなげられるかな」
「つなげる?」
「うん」
三人の位置を確かめる。
「リリアの水で進む方向をずらす。エステルは濡れた脚を凍らせて」
「でも、さっきは壊されました」
「止めるのは一瞬でいいよ」
次にカイルを見る。
「カイル。僕が合図したら、光を踏んで」
「光?」
「足場を作る。そこから跳んで」
カイルは一度だけ足元を見る。
そして、すぐに頷いた。
「分かった。任せる」
灰牙狼の身体が低く沈んだ。
「来るよ!」
今度の狙いはこちらだった。
地面が抉れる。
巨大な身体が一直線に迫ってくる。
足が竦みそうになる。
それでも、目を逸らさなかった。
「リリア、右へ!」
「うん!」
リリアが詠唱する。
「流れし水よ、我が意に従い、ここに集いて形を成せ――《水球》!」
生まれた水球をすぐに崩し、太い水流へ変える。
灰牙狼の左側から水が打ちつけられた。
獣は水を突き破ったが、進路がわずかに右へずれる。
「エステル!」
「はい!」
エステルも続けて詠唱した。
「氷よ、足場を閉ざせ――《氷床》!」
濡れた前脚の周囲から氷が広がる。
踏み込みが鈍った。
灰牙狼は力任せに氷を砕く。
それでも、一瞬。
速度が落ちる。
その間に、《光障壁》の詠唱へ入った。
「集いし光よ、我が意に従い、ここに巡りて隔てとなれ――」
カイルが灰牙狼の横へ走り込む。
「カイル、今!」
「《光障壁》!」
足元へ、小さな光の壁を斜めに展開する。
カイルは迷わず踏み込んだ。
光を足場に強く蹴る。
身体が大きく跳ね上がった。
役目を終えた障壁が、その足元で薄れて消える。
「うおおおおっ!」
カイルが剣へ魔力を流し、残っていた《火纏》の炎を強める。
赤い炎が剣身を駆け上がった。
灰牙狼がその姿を追って顔を上げる。
首筋が開いた。
「はああっ!」
炎の刃が深く切り込んだ。
熱と衝撃を受け、巨体が横へ倒れる。
「やった――」
「まだ!」
倒れた灰牙狼が、血に濡れた牙を剥いた。
そのままカイルの脚へ噛みつこうとする。
「カイル!」
息を継ぎ、もう一度詠唱へ入る。
「集いし光よ、我が意に従い、ここに巡りて隔てとなれ――《光障壁》!」
小さな光の壁が、脚と牙の間へ滑り込む。
顎が光へ激突した。
ぱきんっ。
障壁が砕けた。
けれど、その一瞬で十分だった。
カイルが脚を引き、剣を握り直す。
「これで……終わりだ!」
炎の刃が、もう一度振り下ろされた。
灰牙狼の身体が大きく震える。
やがて力が抜けた。
爪が土を掻く音も。
低い唸り声も。
もう聞こえない。
◇
四人はすぐには近づかなかった。
「……動かないね」
リリアが小さく言う。
「もう少し待ちましょう」
エステルの言葉に、誰も反対しなかった。
しばらくしても、灰牙狼は動かない。
ようやくカイルが剣を下ろす。
その途端、膝から力が抜けるように地面へ座り込んだ。
「……終わった……」
「うん……」
ユウもその場へ膝をつく。
握っていた手が、まだ震えていた。
息を整えてから三人を見る。
「みんな、怪我は?」
「私はないよ」
「私もです」
「俺は背中と……腕がちょっと」
カイルの制服の袖には細い裂け目があり、その下からわずかに血が滲んでいた。
「見せてください」
エステルがすぐに応急手当用品を取り出す。
「持ってきてよかったですね」
「……本当だな。薬草採取で使うのかって言って悪かった」
「帰ったら先生にも伝えてくださいね」
「そこまで言うのかよ」
リリアの口元が緩んだ。
ようやく、いつもの声が戻ってくる。
エステルが傷へ布を巻いている間、カイルがふと灰牙狼の方を見た。
「……あれ、何だ?」
倒れた巨体のすぐそば。
土の上に、小さな灰青色の石が落ちていた。
慎重に近づき、剣先で周囲を確かめてから拾い上げる。
「魔石……かな?」
リリアが覗き込む。
「そう見えますが、私たちでは詳しく分かりません」
「じゃあ、それも学院へ持って帰ろうよ」
「俺が持っておく」
カイルは灰青色の石を布で包み、鞄の内側へしまった。
灰牙狼を見つけた場所と、戦闘した時刻も記録用紙と地図へ書き加える。
そのあと、石陰へ置いていた二つの採取籠も確認した。
十五束は無事だった。
「四人とも、ちゃんといるね」
「当たり前だろ」
「ユウが言ったんじゃない。四人で帰るって」
リリアが続ける。
「うん」
震えの残る手を一度握り直した。
「じゃあ、帰ろう」
荷物を持ち直す。
リリアとエステルが採取籠を持ち、カイルは剣を鞘へ戻した。
四人は互いの姿を確かめてから、学院へ続く道を歩き始めた。
今度は誰も先へ出ず、自然と近い距離に集まっていた。




