第2話 古書店で出会った少女
少女がそう名乗ると、ユウも抱えていた本を持ち直して向き直った。
「僕はユウ。よろしくね、リリア」
「うん。よろしく、ユウ」
リリアは改めて、ユウの腕の中にある一冊へ目を落とした。
『基礎魔法式と属性干渉』
古びた表紙に、かすれた文字。
「さっき、分かるところはあるって言ってたよね。どこが分かるの?」
「ここだよ」
頁を開き、複雑な線が描かれた箇所を見せる。
ざっと目を通すなり、眉を寄せた。
「……ごめん。私には全然分からない」
「そうなの?」
「普通は分からないと思うよ」
図の上を指でなぞる。
「ここが魔力の入口で、こっちが流れを逃がすところなんだ。ここを閉じすぎると、中で力がぶつかるから――」
指先が別の線へ移る。
「細い道を残しておけば、正面から全部受け止めなくてもいい。力が弱くても、形を保てるかもしれないんだ」
説明する声が次第に弾んでいく。
「ユウって、本当に本が好きなんだね」
「うん。好き!」
「そんなに?」
「本には、知らないことがたくさん書いてあるから。読んでいると、行ったことのない場所にも行ける気がするんだ」
古びた頁を大切そうにめくる。
「ずっと前の人が考えたことだって残ってる。会ったことがなくても、本を開けばその人の考えに触れられるんだよ」
「だから好きなの?」
「うん」
迷いのない返事に、リリアの口元が緩んだ。
「……本当に楽しそうだね」
「うん!」
「聞いてると、私までちょっと面白くなってくる」
「本当?」
「うん」
ユウの表情がさらに明るくなった。
その時、店の奥から店主が声をかけた。
「リリア、その坊やと知り合いかい?」
「今、知り合いました」
「なら、ちょうどいい」
店主はユウへ渡した学院案内を指す。
「お前さんは魔法学院の生徒だったな。この子に学院のことを教えてやったらどうだ」
思わず身を乗り出す。
「リリアは学院に通ってるの?」
「うん。一年生。入学したばかりだけどね」
「すごい……!」
「そこまでじゃないよ。授業は難しいし、実技もまだ上手くできないし」
「それでも、知らないことを学べるんでしょう?」
ユウの表情が明るくなる。
リリアにとって、学院で学ぶことは日常になりつつあった。
けれどユウは、それを宝物の話でも聞くように受け止めている。
「ユウも学院に行きたいの?」
「うん」
すぐに頷いたものの、今度は声が控えめになった。
「ただ、僕は魔法があまり強くないんだ」
「そうなの?」
「光なら使えるけど、できることは多くないんだ。だから、入れるか分からない」
「筆記ならできそうじゃない?」
「筆記?」
「入学試験には、魔法式や基礎知識の問題もあるから」
「本で読んだことなら、少しは答えられるかも」
「少し、ねえ……」
リリアは店主と顔を見合わせた。
難しい理論書を楽しそうに読んでいた少年の「少し」は、あまり当てにならない気がする。
「実技が弱くても、全部が駄目ってわけじゃないよ。学院には、攻撃魔法が得意な人もいれば、薬草や魔法式が得意な人もいるから」
「本を読むのが好きな人もいる?」
「いると思うよ。ユウくらい難しいものを楽しそうに読む子は珍しいかな」
「珍しいんだ」
照れくさそうに表紙の端を撫でる。
「そういえば、ユウはこの辺に住んでるの?」
「森に住んでるよ」
「森?」
「川を渡って、森の奥に入ったところ」
「家族と?」
「一人だよ」
あまりに普通の調子で答えられ、リリアは目を丸くした。
「一人で暮らしてるの?」
「うん。小さな家があるんだ。最初は屋根に穴が開いてたんだ。今はだいぶ直ったよ」
「自分で直したの?」
「まだ曲がってるところはあるけど、前より雨は入らなくなった」
「そういう問題じゃなくて……」
額へ手を当てる。
「危なくないの?」
「危ないこともあるよ。分からないことは本で調べながら、だんだん慣れてきた」
「ユウって、思ってたより何でも自分でやるんだね」
「できないこともいっぱいあるよ」
「屋根を直せるだけでも十分だと思うけど」
そこで店主が口を挟んだ。
「話はいいが、買い物はどうした」
「あっ」
慌ててポケットからメモを取り出す。
「紙、インク、塩、針、糸……」
隣から覗き込んだリリアが、書かれた文字に首を傾げる。
「この字、ちょっと変わってるね」
「変?」
「読めるけど、古い本に出てくる字に似てる」
自分のメモへ目を落とす。
「僕はずっと、この書き方だったよ」
森で一人暮らし。
難しい理論書を読み、使う文字もどこか古い。
不思議なことばかりだった。
なのにリリアは、もっと話してみたいと思った。
「雑貨屋、案内しようか?」
「いいの?」
「私も帰るところだし」
「ありがとう、リリア! すごく助かるよ」
二人は店主へ挨拶し、並んで通りへ出た。
◇
町には、たくさんの店が並んでいた。
焼きたてのパン。
色鮮やかな布。
薬草や香辛料の匂い。
あちらこちらへ顔を向けながら歩く。
「リリア、あれは何?」
「香辛料のお店」
「いい匂いがする」
「こっちは布屋だよ」
「布って、あんなに色があるんだね」
「森にはないの?」
「葉っぱならいっぱいあるけど、布はあまり落ちてないよ」
「落ちてたら嫌だよ」
やがて、紙と瓶と糸巻きが描かれた看板が見えてきた。
「ここが雑貨屋」
「ありがとう!」
店へ入る前に、メモを確認する。
「紙、インク、塩、針、糸。今度こそ忘れない」
「本を見つけても?」
「……頑張る」
扉を開けると、小さな鈴が鳴った。
棚には紙や瓶、布、石けんなどが所狭しと並んでいる。
ところが、さっそく別の棚に気を取られた。
「わあ……」
「塩」
「……塩!」
慌てて売り場を探し始めるユウに、リリアはとうとう吹き出した。
◇
買い物を終えて外へ出る頃には、ユウは両腕に二つの紙袋を抱えていた。
「今日はちゃんと買えた!」
「私がいなかったら、塩を忘れてたと思う」
「うん。たぶん忘れてた」
「そこは否定しないんだ」
「本当のことだから」
通りには、いつの間にか夕方の光が差していた。
ふと空を仰ぐ。
「きれい……」
「夕焼けが好きなの?」
「うん。見ていると、胸の奥があたたかくなるんだ」
しばらく空を眺めてから、静かに続ける。
「だから、好きなんだと思う」
リリアも隣に並んだ。
「ユウ」
「なに?」
「明日も町に来る?」
「来たい! 学院案内を読んで、分からないことを聞きたいんだ」
「じゃあ、また古書店の前で会おうよ。学院のことなら教えられるから」
「本当? ありがとう!」
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日!」
ユウは紙袋を大切そうに抱え、森へ続く道を歩き出した。
途中で一度振り返り、大きく手を振る。
リリアも手を振り返した。
ユウが遠ざかってから、ぽつりと呟く。
「本当に、不思議な子」
森へ続く道には、もう白い服の少年の姿はない。
それでも、しばらくそこに立っていた。
やがて踵を返し、学院の女子寮へ向かって歩き出した。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
様々な伏線などたくさん出てきますので、一文一文丁寧に読んでいただけたら嬉しいです。
きっと読者のあなたにも胸に響くものが生まれます。




