第14話 学院での第一歩
男子寮を出ると、カイルと並んで中央棟へ向かった。
朝の鐘はすでに鳴り終え、石造りの廊下には多くの生徒が行き交っていた。
教本を抱えて足早に歩く者。友人と授業について話す者。窓辺で一枚の術式を囲み、意見を交わしている者。
見学の日にも歩いた場所だった。
学院の制服を着ているだけで、同じ廊下が以前とは違って感じられる。
「今日から僕も、毎日ここを歩くんだね」
「ああ。授業によっては別の棟まで移動するぞ」
「中央棟が座学、実技棟が魔法訓練。薬草学は東棟だったよね?」
「もう覚えたのか?」
「昨日、地図をもう一回見たんだ」
「教室まで案内する必要なさそうだな」
「でも、一緒に歩いてくれるのは嬉しいよ」
そう返すと、カイルは何も言わず前を向いた。
一年生の教室が並ぶ廊下へ入る。
一番奥の扉の前では、リリアがこちらへ手を振っていた。隣にはエステルもいた。
「ユウ、カイル! おはよう」
「おはよう、リリア、エステル!」
「制服、よく似合ってるよ」
「ありがとう。これ着て歩いてると、本当に学院生になったんだって感じがするね」
胸元には、杖と開かれた本を組み合わせた学院の紋章があった。
見学者用の木札にも刻まれていた印が、今は自分の制服に縫いつけられていた。
教室前には座席表が掲示されていた。
「僕は……ここだ」
窓側の後ろから二番目。
前にはリリア。通路を挟んでカイル、その前にはエステルの名前があった。
「みんな近いね!」
「先生が決めた席だけど、よかったね」
教室へ入ると、それまで聞こえていた話し声がわずかに弱まった。
「あの子が特例で入った子?」
「見学日に検査室で何かあった子だよね」
「学院長まで来たって聞いたよ」
声を抑えていても、近くなら聞こえる。
先日、廊下で言葉を向けられた時のことが頭をよぎった。
珍しい時期に新しい生徒が入れば、気になるのも当然なのかもしれない。
そのまま自分の席へ向かう。
「何かあったら、私たちにも話してください」
斜め前の席から、エステルが声をかけた。
「ありがとう。今は大丈夫だよ」
椅子へ座り、鞄から店主にもらった帳面を取り出す。
今日の日付を書き、その下へ朝からの出来事を簡単に残した。
「もう書いてるの?」
リリアが振り返る。
「うん。今日のこと、忘れたくないから」
「授業が始まる前から?」
「ここまで来たことも、今日の出来事でしょ?」
「それはそうだけど……最初の授業で何頁使うつもり?」
「まだ分からないよ。いっぱい教わったら増えるかも」
「その帳面、すぐいっぱいになりそうだね」
「その時は次のを用意する!」
迷いのない返事に、リリアが笑った。
やがて前方の扉が開き、数冊の教本を抱えたクラリス・エヴァンが入ってきた。
「おはようございます」
「おはようございます」
周囲に合わせて声を返す。
クラリスは教本を置き、教室を見渡した。
「本日から、このクラスに新しい生徒が加わります。ユウ・リシェルさん、前へ」
「はい」
教壇の横へ向かう。
大勢の視線が集まり、胸の奥が固くなる。
教室には、リリア、カイル、エステルがいた。
両手を体の前で重ね、丁寧に頭を下げる。
「ユウ・リシェルです」
顔を上げた。
「これまでは森で暮らしながら、本を読んで魔法や生活に必要なことを勉強してきました。魔法式を考えることと、知らないことを知るのが好きです」
一度息を整える。
「まだ知らないこともたくさんありますけど、皆さんと一緒に勉強できるのを楽しみにしています。これからよろしくお願いします」
もう一度、一礼した。
最初にリリアが拍手し、カイルとエステルも続く。やがて教室のあちこちへ拍手が広がった。
「ありがとうございます!」
席へ戻ると、カイルが声を潜める。
「ちゃんと話せてたじゃないか」
「緊張したよ。でも三人が見えたから、話しやすかった」
「俺たちがいなくても平気だったと思うけどな」
「いてくれた方が嬉しいよ」
「……そうか」
クラリスの声が教室に響いた。
「ユウさんは途中からの入学となるため、未履修の内容については補習を受けてもらいます。一部の実技についても、安全を確かめながら参加してもらいます」
教室にざわめきが起こる。
「特例入学は、特別な優遇を意味するものではありません。必要な確認を経て、学院が入学を認めた生徒です」
後方には、以前廊下で言葉を交わした赤茶色の髪の男子生徒もいた。
腕を組んだまま、こちらを見ている。
「そして、このクラスの一員として授業を受け、学ぶ権利があります。その点は皆さんも理解してください」
ざわめきが収まった。
「では授業を始めます。今日は魔法式の基礎構造を復習します」
◇
黒板に、大きな円と三本の線が描かれた。
「魔法式は基本的に三つの部分から構成されます。魔力を受け取る起点。属性と形を定める変換部。そして、目的を現実へ表す発現部です」
起点。変換部。発現部。
本の中で何度も見てきた構造に、学院で使われる正式な名前が与えられていく。
「なるほど……」
聞いた言葉を帳面へ書き留める。
「魔法は、多くの魔力を注げば必ず安定するわけではありません」
クラリスは隣へ歪んだ円を描いた。
「術式が受け止められる以上の魔力を流せば、形は崩れます。器へ水を注ぎ続ければ、やがて溢れるのと同じです」
前のリリアが振り返った。
川で練習した《水球》を思い出したらしい。
互いに頷き、すぐ黒板へ意識を戻す。
「では、この光属性の術式を効率よく安定させるには、どこを変えればよいでしょうか」
何人かが手を挙げた。
「発現部を小さくします」
「流す魔力量を減らします」
「変換部を短くします」
クラリスが一つずつ整理していく。
「発現部を小さくすれば必要な魔力は減りますが、効果範囲も狭くなります。変換部を短くしすぎれば、属性の形が不安定になります」
黒板の術式を眺めながら考える。
発現部で使われなかった魔力は、どこへ行くのだろう。
術式の中へ残るなら、次の発動へ影響しないのだろうか。
「クラリス先生」
「はい、ユウさん」
「発現部で使われなかった魔力は、どこへ行くんですか?」
「多くは術式内で散りますが、構造によっては変換部へ残ります」
「それなら……起点の方へ戻すことはできないんでしょうか。全部じゃなくても、残る量を減らせたら次の魔法を邪魔しにくいと思うんです」
クラリスは一拍置いた。
「その考え方を《魔力還流》と呼びます」
「魔力還流……」
「二年生以降の授業で詳しく扱う内容です。ただし、単純に戻せばよいわけではありません」
黒板へ戻る線と、小さな円が追加された。
「戻る流れが強ければ、術者側の魔力経路へ負担がかかります。そのため、途中に調整部を置いて流れを弱めます」
「そうなんだ……!」
新しく知った言葉と仕組みを、すぐ帳面へ書き加えた。
自分が疑問に思ったことには、すでに名前があり、その先まで研究されている。
知りたかった答えの向こうに、さらに知らないことが続いていた。
「ユウ」
カイルが小声で呼ぶ。
「すごく楽しそうだな」
「うん! 疑問が一つ解けたから」
その時、授業の終わりを告げる鐘が鳴った。
「次の時間は実技場です。各自、練習用の杖を持って移動してください」
教室のあちこちで椅子が動き始める。
「一緒に行こう、ユウ」
「うん!」
帳面を閉じて鞄へしまい、練習用の杖を手に取る。
「実技、何するんだろう」
「行けば分かるよ」
リリアに言われ、頷いた。
「それもそうだね」
三人と一緒に、教室を出た。




