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白き天使と金色の竜眼Ⅰ  作者: 蒼空れっど
第五章 帝国侵攻編
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第108話 冥影

 研究区画を離れたシェルは、そのまま神殿の出口へ向かっていた。


 長い廊下の左右には、いくつもの閉ざされた扉が並んでいる。


 その前を通り過ぎようとしたところで、シェルの足が止まった。


「……」


 壁のさらに向こうから、複数の人間の気配が伝わってくる。


 弱っている者も、魔力を大きく消耗している者もいたが、まだ生きていた。


 シェルは目を伏せる。


 自ら向かう理由はない。


 だが、彼らをこのまま帝国の檻へ残しておく理由もなかった。


 再び歩き出し、数歩進んだところで自らの影へ視線を落とす。


「《冥影(シェイド)》よ」


 足元の影が揺れた。


「錠だけを壊しなさい」


 その影から一つ、また一つと黒い存在が分かれ、瞬く間に数え切れないほどへ増えていく。


 ただの黒い染みではない。


 ぼやけた輪郭から細長い腕が伸び、その先には爪のように尖った指があった。


 人の姿にも、魔物のようにも見える。


 だが、そのどちらとも言い切れない。


 下半身に脚はなく、黒い煙のように細く揺らめきながら床の影へ溶け込んでいた。


 曖昧な姿でありながら、そこには確かな意思がある。


 禍々しい影の群れが、シェルの周囲へ広がっていった。


 冥影たちは音もなく床へ沈み、壁へ溶け、あるものは天井を這いながら施設の奥へ散っていった。


 気配さえ残さない。


 シェルはすでに前を向いていた。


     ◇


「……水……」


 掠れた声が、暗い部屋へ落ちた。


 部屋には鉄格子の檻がいくつも並び、その中では学院生や王都から連れ去られた人々が、疲れ切った様子で床や壁へ身体を預けていた。


「まだ……誰も来ないのか……」


「分からない……」


「ここから……出られるのかな……」


 答えられる者はいない。


 重い沈黙だけが、その場を満たしていた。


 その時。


 ――パキン。


「……え?」


 小さな音に、一人が顔を上げる。


「今の……」


 檻の外を見ると、金属の錠が床へ落ちていた。


「……鍵?」


 近くにいた学院生が立ち上がり、鉄格子へ手を掛ける。


 恐る恐る押すと、扉は抵抗もなく開いた。


「……開いた」


「なんで……?」


「誰かいるのか?」


 周囲を見回す。


 だが、誰もいない。


 その間にも。


 ――パキン。


 別の檻から同じ音が響いた。


「こっちもだ!」


 ――パキン。


「また……!」


 錠だけが、次々と正確に砕かれていく。


「何が起きてるんだ……」


「分からない……」


 やがて最後の錠が床へ落ちた。


 その傍らを、一つの黒い影が音もなく滑っていく。


 誰一人として、その存在には気づかなかった。


 役目を終えた冥影は、床へ沈んでいった。


     ◇


 別の収容区画でも、同じ頃。


 鉄格子や魔法錠が、次々と開いていた。


「開いたぞ……!」


「外へ出られる!」


「動ける人から手を貸して!」


 捕らわれていた者たちは、互いを支えながら檻の外へ出ていく。


 解放した者の姿を見た者はいなかった。


     ◇


 神殿へ続く廊下。


 床を這い、壁から滲み、あるいは天井から垂れ落ちるように姿を現した冥影たちは、細長い腕を揺らし、煙のような下半身をたなびかせながら、次々とシェル自身の影へ溶けていった。


 やがて最後の冥影が戻る。


 影が一度だけ揺れた。


「……」


 その直後。


 シェルの左手の傍らで空間が歪む。


 研究者へ与えた赤黒い血が、一滴の雫となって現れた。


 それはシェルの人差し指へ吸い寄せられ、触れた瞬間、指先へ溶け込むように戻っていく。


 シェルは、そこへ視線すら向けなかった。


 通路の先には、外の光が差し込んでいる。


 シェルは歩調を変えることなく、その光へ向かって進んでいった。

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