第10話 怒る理由
昼過ぎの古書店で、風魔法についての本を開いていた。
けれど、さっきからほとんど頁が進んでいない。
机の端には、『特例入学試験受験許可書』が置かれている。
「その紙を見ても、試験の答えは書いてないぞ」
本棚の向こうから店主の声がした。
「分かってるんだけど、やっぱり気になって……」
本へ視線を戻す。
「同じ頁を三度読んでいる」
「えっ?」
確かめると、見覚えのある図が目の前にあった。
「……本当だ」
「今日は少し休め」
「うん。そうする」
素直に本を閉じたところで、入口の鈴が鳴った。
入ってきたのは、王立魔法学院の紋章を付けた男性だった。
森の家には学院からの書類を届けられないため、連絡は古書店で受け取ることになっている。
「ユウ・リシェルさんでいらっしゃいますか」
「はい。僕です」
「特例入学試験についての書類をお持ちしました」
差し出された封筒を両手で受け取る。
「ありがとうございます」
試験は五日後。
一年生の授業への参加。複数人で行う基礎実技。そして教師との面談。
もう一枚には、『特例入学試験・受験意思確認書』とある。
本人の署名に加え、現在申告している住居で実際に生活していることを確認した成人の署名が必要だった。
男性を見送ったあと、店主を見る。
「店主さん、お願いがあるんだけど」
「先に言っておくが、聞いただけで確認したとは書けんぞ」
「うん。だから……僕の家を見に来てもらえないかな?」
店主が眉を上げる。
「実際に見てもらって、それから書いてほしいんだ」
「店を閉めたあとでいいならな」
「本当? ありがとう!」
「署名するかは見てからだ」
「うん。それでいいよ!」
◇
夕方。
二人は川を渡り、森の奥へ進んだ。
木々の間に、小さな家が見えてくる。
「ここだよ」
壁や屋根には何度も補修した跡がある。板の長さも揃ってはいない。
それでも窓は拭かれ、薪は整えて積まれ、小さな畑も手入れされていた。
店主は家の中へ入る。
寝具。水。乾燥させた食料。かまど。そして、壁際には何冊もの本。
「水はどうしている?」
「川から汲んでるよ。飲む分は沸かしてる」
「食料は?」
「森で採ったものと、町で買ったもの。残したいものは乾かしてるよ」
「壁も自分で直したのか?」
「うん。まだ少し曲がってるけど」
「少し、か」
傾いた板へ目を向けた店主は、それ以上何も言わなかった。
「ここで一人で暮らしているんだな」
「うん」
狭い家をもう一度見回す。
この年頃の少年が一人で暮らしていること自体は気になった。けれど、生活に必要なことを一つずつ覚え、ここで毎日を過ごしていることは分かる。
「確認した」
その言葉に背筋を伸ばす。
「じゃあ、学院にも伝えてもらえる?」
「見たことならな。署名は学院で説明を聞いてからだ」
「うん。僕も一緒に聞くよ」
◇
次の日。
授業を終えたリリア、カイル、エステルも古書店へ集まり、ユウと店主と一緒に学院へ向かった。
門をくぐると、近くの生徒たちから小さな声が聞こえる。
「見学日に検査室で何かあった子だ」
「学院長まで来たらしいよ」
「特例試験を受けるって聞いた」
聞こえないふりをして、事務室へ続く廊下を進む。
その途中、一人の男子生徒が足を止めた。
「君が特例入学試験を受けるという生徒か?」
きちんと向き直る。
「はい。ユウ・リシェルです」
「以前はどこの学校に?」
「学校へ通ったことはありません」
少年の眉が寄った。
「通常の入学試験はもう終わっている。そのために何か月も準備して、それでも落ちた者だっている」
何も言わず、その言葉を聞く。
「なのに君には、別の試験を受ける機会が与えられた。特例というのは、公平なのか?」
「おい」
カイルが一歩前へ出た。
「それをユウに言ってどうするんだよ」
「俺は疑問を言っているだけだ」
「だったら学院に聞けばいいだろ」
少年はエステルへ視線を移した。
「ヴァレイン男爵家の令嬢なら、公平さが重要なのは分かるだろう」
「ええ。分かります」
エステルは静かに答えた。
「制度に疑問があるのでしたら、学院へ正式に尋ねるべきです」
「特例そのものが不公平に見えると言っているんだ」
「でしたら、なおさらユウさんへ向ける言葉ではありません」
声は穏やかなままだったが、視線は揺れない。
「試験を許可したのは学院です。制度への疑問と、受験を許可された本人への非難を混同しないでください」
少年が黙る。
三人が自分の前に立っているのを見て、胸の奥が少し詰まった。
「もういいよ。僕は平気だから」
「ユウ?」
「でも、僕のことでみんなまで嫌なことを言われるのは……」
「それはユウが決めることじゃないよ」
リリアの声が重なった。
「え?」
「私も、今の言い方が嫌だったから。ユウに頼まれたからじゃない」
「でも……」
「私たちがどう思うかまで、ユウが決めなくていいの」
カイルも腕を組む。
「俺が腹立てたのも、俺がこいつの言い方を気に入らなかったからだ」
「誰かが怒った理由を、すべてご自身の責任だと考える必要はありません」
エステルの言葉を聞き、三人の顔を順番に見る。
頼んだから庇ってくれたわけではない。
三人には三人の考えがあって、自分で言葉を選んでいる。
「……そっか」
少しだけ息を吐く。
「僕、自分のせいだと思ってた」
「違うよ」
「うん。分かった」
もう一度、三人を見る。
「ありがとう」
それまで黙っていた店主が口を開いた。
「制度に不満があるなら学院へ言え。特例試験を許可したのは、この子じゃない」
男子生徒はしばらく黙ったあと、こちらを見る。
「……試験の結果が出れば、分かることだ」
そう残して歩き去った。
◇
事務室では、特例試験を受けても入学が約束されるわけではないことや、合格した場合は平日に学院寮で暮らすことが説明された。
最後に職員が確認書を店主へ差し出す。
「この子が森の家で暮らしていることは、自分の目で確認した」
店主は言った。
「寝床も食料もある。水や火の扱いも理解していた」
「確認していただき、ありがとうございます」
確認者の欄へ署名が入る。
続いて受験意思の欄へ、丁寧に自分の名前を書いた。
書類を提出し、職員へ頭を下げる。
「ありがとうございました」
事務室を出た頃には、夕方の光が廊下へ差し込んでいた。
「ユウ」
リリアが呼ぶ。
「帰ろう」
三人を見る。
先ほどまで怒っていたせいか、まだ誰も完全にはいつもの表情へ戻っていない。
それでも、三人とも隣にいた。
「うん。帰ろう」
その間へ並び、四人で学院の廊下を歩き出した。




