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白き天使と金色の竜眼Ⅰ  作者: 蒼空れっど
第五章 帝国侵攻編
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第103話 反転

 白い光は、闇を押し返すのをやめた。


「……?」


 最初に異変へ気づいた研究者が、術式へ目を凝らす。


「拒絶反応、さらに低下」


「そのまま維持しろ」


「はい」


 黒い術式線から、なおも闇が送り込まれている。


 これまでなら。


 そのたびに純白の輝きが強まり、侵入してくるものを必死に押し返していた。


 だが。


 もう抵抗しない。


「そろそろ出るはずだ」


 一人が呟いた。


「抽出側を開け」


「準備できています」


 弱った心核へ闇を押し込み。


 耐えられなくなった光を外へ逃がす。


 その瞬間を捕らえる。


 それが研究者たちの想定していた結果だった。


「外部流出は?」


「……ありません」


「まだか?」


「ありません」


 短い沈黙。


「流量を上げる」


「ですが――」


「拒絶反応は落ちている。続けろ」


「……分かりました」


 黒い術式線が濃くなる。


 送り込まれる闇の量が増した。


 拘束椅子に座るユウは動かない。


 頭を垂れたまま。


 意識も戻らない。


 右の頬には、涙の跡が残っている。


 左目。


 焼かれた腕。


 首元の傷。


 そのどれにも、まだ変化はなかった。


 ただ。


 胸元に浮かぶ心核だけが。


 妙なほど静かだった。


「……妙だ」


「何がだ?」


「送り込んだ闇の反応が、途中で消えている」


「どういう意味だ」


「心核へ入ったあと……術式で追えなくなっています」


「外へ流れているんじゃないのか?」


「出ていません」


「なら、どこへ――」


 その時。


 心核の表面を走る亀裂へ、黒いものが入り込んだ。


「……」


 研究者たちの動きが止まる。


 黒は亀裂の奥へ沈み。


 その反応が消えた。


「今のは……?」


「記録を確認しろ」


「外へ流れたのか?」


「違います」


 一人の声が低くなる。


「内部です」


「何?」


「心核の内側へ……取り込まれています」


「そんなはずはない」


 すぐさま否定する声が上がった。


「これほど純度の高い光を持つ心核だぞ。闇を内部へ留められるはずがない」


「ですが――」


「もう一度だ」


 全員の視線が、心核へ集まる。


 新たな闇が触れた。


 押し返されない。


 外へ逃げることもない。


 純白の輝きが、それを包み込む。


 そして。


 闇は白の中へ沈んでいった。


「……心核が……闇を?」


「違う」


 別の研究者が息を呑んだ。


「ただ流れ込んでいるんじゃない」


「なら何だ」


「光が……」


 言葉が止まる。


「自分から取り込んでいる……」


「……」


 室内が静まり返った。


 その間にも。


 闇は次々と白の中へ沈んでいく。


 拒絶しない。


 逃げない。


 ただ受け入れているだけでもない。


 闇が存在する状態へ、自分自身を合わせるように。


 純白そのものが。


 少しずつ性質を変え始めていた。


「流量は?」


「維持しています」


「……記録を続けろ」


「ですが、これは――」


「分かっている」


 低い声が遮った。


「だから記録するんだ」


 誰も心核から目を離さなかった。


 予測から外れている。


 だからこそ。


 何が起きているのか見届けなければならない。


 その心核の中央で。


 純白の輝きの中に、小さな黒が生まれた。


 点のような。


 ほんのわずかな色。


 その中心へ。


 暗い赤が混じる。


「……色が」


 一人が掠れた声を漏らした。


 赤黒い部分は消えなかった。


 新たな闇が白の中へ沈むたび。


 少しずつ。


 確実に。


 その色が広がっていく。


「汚染か?」


「違う……」


「何が違う!」


「私にも、何が起きているのか分かりません!」


 研究者の目が見開かれる。


「ただ……心核そのものが、自ら赤黒い何かへ変貌している……」


「そんな馬鹿な……」


 純白。


 黒。


 暗い赤。


 三つが混ざり合っているわけではない。


 白かったものそのものが。


 赤黒い何かへ変わっていく。


「外への流出は!」


「ありません!」


「一切か!」


「はい!」


 研究者の声に。


 隠しきれない動揺が滲んだ。


「これまでとは……あまりにも違いすぎる……」


 心核を見つめる目が。


 僅かに揺れる。


「それに、この禍々しさ……まるで、地の底から無数の悪魔が押し寄せてくるような……」


 弱った光へ闇を押し込めば。


 耐えきれなくなった光は外へ逃げる。


 そうなるはずだった。


 しかし。


 目の前の心核は逃げない。


 むしろ。


 闇が存在する状態へ。


 自ら合わせ始めている。


「……順応しているのか?」


「そんな現象、記録にありません」


「ならこれは何だ!」


 答えられる者はいなかった。


 赤黒い部分がさらに広がる。


 半分。


 そして。


 それ以上。


「待て……」


 一人の研究者が声を低くする。


「流入を止めろ」


「はい!」


 術式が操作される。


 黒い線が弱まり。


 やがて。


 外から送り込まれていた闇は止まった。


「流入停止!」


 だが。


「……なのに」


「何だ?」


「変化が続いています……!」


 すでに心核の内側へ入った闇は残っている。


 そして。


 もう外から新たな闇を送り込まなくても。


 その内側で。


 白そのものの変質が進み続けていた。


「そんな……」


「もう外部干渉の段階じゃない……?」


「だとしたら……これは……」


 最後まで残っていた純白が。


 内側に抱えた闇を包み込んだ。


 一瞬だけ。


 白い輝きが強まる。


 そして。


 内側から。


 赤黒く変わった。


 純白が消える。


「……」


 そこに浮かんでいたのは。


 先ほどまでの美しい純白とは似ても似つかない。


 深い赤を孕んだ。


 禍々しい赤黒の心核だった。


「何だ……これは……」


 掠れた声が落ちる。


 次の瞬間。


 赤黒い魔力が、心核の外へ溢れた。


「下がれ!」


 研究者の叫び。


 しかし。


 噴き出した魔力は、誰かへ襲いかかることはなかった。


 霧のようでありながら。


 煙とも違う。


 視界を遮るほど濃密な、赤黒い魔力。


 それがユウの胸元から。


 ゆっくりと広がっていく。


「……?」


 一人が足を止める。


 赤黒い魔力は、荒れ狂ってはいなかった。


 むしろ。


 不気味なほど静かだった。


 胸。


 肩。


 腕。


 脚。


 少しずつ。


 ユウの身体へ沿うように広がっていく。


 まるで。


 傷だらけの身体を覆い隠すように。


 ゆるやかに。


 静かに。


 赤黒い揺らめきが、その全身を包み始めた。


「近づくな」


「しかし――」


「触れるな!」


 研究者たちは距離を取る。


 魔力はさらに広がっていった。


 ユウの手も。


 足も。


 椅子も。


 拘束具も。


 少しずつ見えなくなっていく。


 最後まで見えていた金色の髪さえ。


 赤黒い揺らめきの向こうへ隠れていった。


「対象が見えません!」


「観測術式は?」


「反応が乱れています!」


「心核は!」


「あります! ですが……!」


「ですが何だ!」


「数値が……読めません!」


 赤黒い魔力は。


 向こう側を見通せないほど、さらに濃さを増していく。


 研究者たちは後退したまま。


 部屋の中央を見つめていた。


 心核へ繋がっていた術式線も。


 拘束具も。


 その中心にいるユウの姿も。


 すべてが、赤黒い揺らめきの向こうへ隠れていった。


 やがて。


 ユウ・リシェルの姿は。


 完全に見えなくなった。

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