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白き天使と金色の竜眼Ⅰ  作者: 蒼空れっど
第五章 帝国侵攻編
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第101話 走馬灯

 何も聞こえなかった。


 痛みもない。


 身体の重さも。


 左側を焼くように残っていた激痛も。


 腕にこびりついていた熱も。


 すべて、どこかへ消えていた。


「……」


 ユウは、自分が目を開いているのかさえ分からなかった。


 暗くはない。


 けれど、明るいとも思えない。


 何もない場所だった。


 どこまでも続いているようで。


 どこにも続いていないような場所。


 その中に、自分だけが取り残されている。


 そんな感覚だった。


 やがて。


 遠くに、小さな光が浮かんだ。


 ぼんやりとした輝きはゆっくり広がり、やがて一つの景色へ変わっていく。


     ◇


 森だった。


 木々の隙間から朝の光が差し込んでいる。


 鳥の声。


 風に揺れる葉。


 そして、小さな家。


 まだ壁も屋根も整っていなかった頃の姿だった。


 足りない板を直した。


 雨が入り込まないよう、隙間を塞いだ。


 一つずつ。


 できることから手を加えていった。


 椅子は一つ。


 棚も大きくはない。


 決して立派な家ではなかった。


 それでも。


 いつしか、そこは自分が暮らす場所になった。


 朝になれば森へ出る。


 薬草を採り。


 必要な分を持って町へ向かう。


 売ったお金で食べ物を買い、また森へ帰る。


 同じような毎日。


 静かな日々。


 あの頃は、それを寂しいとは思っていなかった。


     ◇


 本の匂いがした。


 町の小さな古書店。


 初めて入った時、棚に並ぶ本の多さにどこから見ればいいのか迷った。


 文字は読める。


 けれど。


 そこに書かれていることの多くを、自分は知らなかった。


 町のこと。


 王国のこと。


 人々の暮らし。


 学院。


 魔法。


 ページをめくるたび、知らなかった世界が広がっていった。


 もっと知りたい。


 そう思った。


 そして。


 あの店で、一人の少女と出会った。


 赤い髪。


 明るい声。


 リリア。


 あの時はまだ。


 その名前すら知らなかった。


     ◇


 森の家の前。


 今度は、一人ではなかった。


 地面には何枚もの紙が広げられている。


 リリア。


 カイル。


 エステル。


 三人がいた。


 計算。


 王国についての知識。


 属性の違い。


 分からなかったものを、一つずつ教えてもらった。


 カイルが何かを言えば、リリアが返す。


 エステルが静かに補足する。


 三人の声が、森の中で重なっていた。


「ありがとう。みんなが来てくれて、すごく助かったよ!」


 自分の声が聞こえた。


 三人を見送ったあと。


 家の前に広げた紙を一枚ずつ揃えた。


 椅子も。


 棚も。


 窓から見える木々も。


 いつもと何も変わっていない。


 なのに。


 三人が帰ったあとの森は、いつもより静かに感じた。


     ◇


 大きな門が見えた。


 王立魔法学院。


 初めて見上げた時の気持ちを覚えている。


 ここで学びたい。


 もっと魔法を知りたい。


 知らないことを、もっと知りたい。


 試験。


 教室。


 制服。


 初めて会う生徒たち。


 そして、男子寮の部屋。


 机へ荷物を置いた。


 店主からもらった薄い帳面も、そこへ置いた。


 森の家とは違う場所。


 それなのに。


 ここも帰ってくる場所になるのだと思った。


 帰る場所が増えた。


 それが、嬉しかった。


     ◇


 景色が次々に変わっていく。


 灰牙狼。


 四人で力を合わせた戦い。


 世界樹。


 見上げても先の見えない巨大な幹。


 長い道を、みんなで歩いた。


 怖いこともあった。


 傷ついたこともあった。


 思うようにいかず、悔しかった時もある。


 けれど。


 振り返れば。


 そこにはいつも、誰かがいた。


     ◇


 町の店。


 小さなアクセサリーが並んでいた。


 エステルが淡い青色の石を指し、自分に似合うと言った。


 リリアも覗き込んでくる。


 カイルまで横から何かを言っていた。


「そ、そんなに整ってないよ……」


 そう返すと、三人が笑った。


「もう……」


 恥ずかしかった。


 困りもした。


 けれど。


 嫌ではなかった。


 四人で町を歩いている。


 ただそれだけの時間が。


 楽しかった。


     ◇


 教室。


 食堂。


 図書館。


 廊下。


 実技場。


 何か特別なことがあったわけではない。


 それでも。


 そこには、いくつもの声が残っていた。


「ユウ!」


「おい、ユウ」


「ユウさん」


 何度も。


 何度も。


 名前を呼ばれた。


 最初は森で一人だった。


 それなのに。


 気づけば、誰かに名前を呼ばれることが当たり前になっていた。


     ◇


 不意に。


 景色が暗くなった。


『来ないで』


 リリア。


『なんか、お前のこと信用できねえんだよ』


 カイル。


『今は、以前のようにユウさんとお話ししたいとは思えません』


 エステル。


「……」


 あの時の苦しさが蘇る。


 理由が分からなかった。


 自分が何かしたのだと思った。


 嫌なことを言ったのかもしれない。


 知らないうちに、誰かを傷つけたのかもしれない。


 何度考えても。


 答えは見つからなかった。


 けれど。


 その前にあった時間まで、なくなったわけではない。


     ◇


『だから、何があってもみんなのことは守るよ。約束する!』


 自分の声だった。


 あの日。


 失踪事件について四人で話していた。


 自分がそう言うと。


 カイルがすぐに返した。


 一人だけで守るんじゃない。


 四人で助け合うんだ、と。


 リリアも。


 エステルも。


 同じように言ってくれた。


「……」


 嬉しかった。


 自分一人ではないのだと思えた。


 本当に。


 嬉しかった。


     ◇


 いくつもの記憶が重なっていった。


 森。


 学院。


 町。


 三人の声。


 笑った顔。


 そして。


 また、森の家が現れた。


 燃えていない。


 記憶の中に残っている、昔のままの姿。


 不揃いな壁。


 小さな窓。


 一つだけの椅子。


 扉の前には、三人がいた。


 リリア。


 カイル。


 エステル。


「ユウ!」


 リリアが手を振っている。


 カイルが隣で何かを言っていた。


 エステルもこちらを見ている。


「……」


 行きたい。


 そう思った。


 みんなのところへ。


 もう一度。


 一緒にいたい。


 そちらへ進もうとした。


 けれど。


 距離が縮まらない。


「待って……」


 三人が遠ざかっていく。


「行かないで……」


 追いかけたい。


 それなのに、足を動かせない。


 手を伸ばしたはずなのに。


 何にも触れられなかった。


「僕も……」


 白い霞が広がっていく。


「僕も、そっちに……」


 届かない。


「待って……」


 森が薄れていく。


 三人の姿も。


「まだ……」


 消えてほしくなかった。


 森も。


 学院も。


 店主の古書店も。


 三人と過ごした時間も。


 名前を呼ばれた日々も。


 全部。


「……戻りたい……」


 どこへ戻りたいのか。


 もう分からなかった。


 森の家なのか。


 学院なのか。


 三人のところなのか。


 ただ。


 もう一度、誰かと話したかった。


 もう一度。


 自分の名前を呼んでほしかった。


「……リリア」


 赤い髪。


「……カイル」


 ぶっきらぼうな声。


「……エステル」


 自分を「ユウさん」と呼ぶ声。


 三人の姿が、白い霞の中へ消えていく。


 やがて。


 何も見えなくなった。


     ◇


 再び。


 音のない場所。


 白い空間。


 ユウは一人で立っていた。


 さっきまで見えていた森も。


 学院も。


 三人の姿も。


 もう、どこにもない。


「……」


 その時。


 遠くに何かが見えた。


 人影だった。


 いつからそこにいたのか分からない。


 白い空間の向こう。


 ただ一人。


 こちらを向いて立っている。


「……?」


 ユウは目を凝らした。


 人影が、ゆっくり近づいてくる。


 一歩。


 また一歩。


 少年だった。


 黒い髪。


 周囲が白一色だからこそ、その色だけがひどく鮮明に見えた。


 顔を見ようとする。


 けれど。


 なぜか、その輪郭だけがはっきりしない。


 ただ。


 目だけは見えた。


 黄金色。


 そして。


 その中心には、人のものとは違う細長い瞳孔が縦に伸びている。


「……」


 ユウは動けなかった。


 知らない姿だった。


 見覚えもない。


 それなのに。


 目を逸らすことができなかった。


 人とは違う瞳をしている。


 それでも。


 不思議と怖くはなかった。


 理由は分からない。


 ただ、その姿から目を逸らす気にはなれなかった。


 少年は何も言わない。


 静かに歩いてくる。


 やがて。


 数歩ほどの距離で立ち止まった。


「……」


 黄金の瞳が、まっすぐユウを見ている。


 怒っているようには見えない。


 笑ってもいない。


 敵意も感じなかった。


 ただ。


 そこにいる。


「……君は……」


 声が小さく響く。


 少年は答えない。


 ユウは、その姿を見つめた。


 黒い髪。


 黄金色の、縦長の瞳。


 何者なのか。


 どうしてここにいるのか。


 何も分からない。


 それでも。


 聞かなければならないような気がした。


「……誰……?」


 問いかけが、白い空間へ落ちた。


 しばらく。


 何の音もしなかった。


 黒髪の少年は、ただユウを見つめている。


 そして。


 その唇が。


 ゆっくりと動いた。

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