20話「ユース・アルタイルと舞踏会」
フィオール・シュテルンは、息を押し殺して布団を被っている。アルタイル城内にある客間でなぜこんなことに。
ウェイルズに設営された、国立の臨時軍治療病院——通称野戦病院の戦後処理関係で王都に呼ばれて、書類作成や面談に追われる日々。今夜は慰労会に参加した。
慰労会の主催者は、ホール軍医長官だった。ユース王子曰く、ホール軍医長官はフィオールを敵視しているらしいのに、いつも通り気さくで穏やかで優しかった。
だから、フィオールはユース王子こそ疑っている。
フィオールの嘆願、病院の衛生向上についての相談を、国王陛下に繋いでくれたのはユース王子だ。感謝していたし、亡き友人の息子だから、まさかあんなことをされるなんて思いもしなかった。
社交場での女性遊びという欠点はあるものの、他人と波風を立てない、愛嬌良しで優しい末の王子。そのはずが、自宅に押しかけて脅迫してきた。
今も、言葉巧みにフィオールを空き部屋へ連れ込み、部下を使って布団の中に押し込めた。
二度目の脅迫に憤っていたら、部屋にホール軍医長官が来訪して、今に至る。
寝台を隠す天蓋の布の向こうから、ホール軍医長官とユース王子の雑談が聞こえる。
ユース王子は国王陛下に頼まれて、医療大国である煌国に、視察団受け入れを嘆願する担当になったらしい。 他国との外交は、外交官にユース王子が帯同することが多いと、噂で耳にしたことがある。
「父上は私を成長させたいようだけど、どう考えても無理だ。そこで君に手助けをして欲しい」
脅迫時と異なり、わずかに声が高い。こちらが何度か聞いているユース王子の声だ。あの美麗な顔でこの甘い声を出すから、聞く人の心は揺さぶられる。まさか、普段から演技だったとは。
「私ですか?」
「無事に終わったら『君のおかげ』だと父上に伝えるから頼む」
「しかし、私には外交経験なんてありません」
そう言ったものの、ホール軍医長官の声色には、拒否は滲んでいない。
「だから、逆なら私の失敗で終わらせる。相手を怒らせなければ、私に甘い父上は『他の人に任せて再交渉だ』と言って許してくれるだろう」
「成功したら私の手柄で、失敗したら殿下の……とは、それでよろしいのですか?」
「もちろんだ。君に助けてもらうのに、報奨がないとかリスクが高いなんておかしな話だろう? 成功したら、私も少しは評価される」
損はなさそうな話で、王族の一人の信頼を勝ち取れるからなのか、ホール軍医長官は快諾した。
「そうだホール長官、聞いてくれよ。私の可愛い部下の一人が、あの賤しい金儲け夫人の娘と結婚させられてしまうんだ」
瞬間、フィオールの心臓は嫌な音で跳ねた。
「殿下。賤しい金儲け夫人とは誰のことですか?」
「私を騙して母上の形見を奪ったフィオール・シュテルンのことだ」
「お母上の形見を奪った? どういうことですか?」
ユース王子はペラペラと嘘をついた。とても悔しくて悲しいという震え声で。
寄付は賜ったが、無心なんてしていない。国王陛下と繋げてくれるかもしれないと彼に手紙を送ったら、謁見してくれて、慈愛に満ちた笑顔で寄付を申し出てくれた。その裏側でこんなことを考えていたとは。腹の底から、怒りが込み上げてくる。
寄付金は有り難く受け取ったが、亡き友人、メテオーラの形見なんて受け取っていない。
「なあ、ホール長官。なぜ彼女は私から宝物を奪ったのか調べてくれ。君のことをあちこちから聞いていて、信用に足る人物だと思ったんだ」
「殿下はシュテルン男爵夫人を密かに調べてどうするおつもりですか?」
対面時はマダム・フィオールと親しげに呼んでくれるのに、陰では他人行儀な呼び方をされていたとは。
「証拠が揃ったら正式に訴える。そうだ、君や君の部下たちが調べやすいように、彼女と同じ視察団に入ってもらおう」
ユース王子はさらにペラペラ喋り、ホール軍医長官や関係者の褒め話をした。
その流れで、気分の悪いことにホール軍医長官がフィオールの悪口をいくつかした。
意見が対立することもあるが、共にこの国の衛生向上を担う戦友だと思っていたのに、こんな風に思われていたなんて。目の前が真っ暗になる。
「ああ、そうだった。今夜の連れをそこで待たせていて。悪いがまた」
「今夜の連れとは殿下、また誰かとお戯れを?」
「三人でする趣味はないから悪いけど、君は君で探してくれ。煌国には公娼施設があるから、上手いこと予算を確保しておくよ」
「それはぜひ。楽しみにしておきます」
ホール軍医長官が挨拶をして、部屋を出て行く音もした。少しして、寝台の天蓋が開かれて、ユース王子と部下一名が顔を出した。
「どうも、お待たせ。行きたくないってゴネるから、私は視察団受け入れ交渉に参加しない」
「殿下、これは一体どういうことですか⁈」
ユース王子は爽やかな笑顔なのに目がとても冷たい。嘲りが隠しきれていない。隠す気なんてないのだろう。
「実は、視察団受け入れ交渉はもう終わっているんだ。うちの天使が頼みに行くからお願いしますってお願いしてある」
「……それは一体」
「ホールのことをボロクソに言って欲しい。それも頼んである。君を上げて、あいつを落とす。左遷したいから汚点を積んでいく」
ふふっと笑ったユース王子の笑みの怪しさは産毛が逆立つほど。
さっきまで、ホール軍医長官に無邪気な信頼を寄せて、甘えるように頼み事をしていた人物とは思えない。
「私がそうしなかったら、娘に何かするということですか?」
「まさか。私は君を気に入っている。私の部下や民を救ってくれたから。君は私に気に入られたから一蓮托生。失敗したら共に地獄……は嫌だからみんなで亡命しよう」
「亡命しなければならなくなるような計画があるのですね」
「ビルマだビルマ。兄上を差し置いて王になろうとふんぞり返って民を虐げている。弟は兄を支えるものだ。足りないものを補い、助け合うのが兄弟である」
冷たいと感じた瞳に炎が灯ったように感じた。
「王位継承権争いに、私の夫や娘を巻き込まないで下さい。私は構いませんから」
「ホールには騙されて奪われたって言ったけど、母上の形見は部下のフィラントに贈与した。証明書付きで。今頃、エトワール令嬢が使っている」
ひゅう〜と口笛を吹くと、ユース王子はステップを踏むような足取りで一人掛けのソファに優雅な所作で腰掛けた。
「詐欺の証拠なんて見つからないのに調べるなんて大変だ〜。君を攻撃する材料を見つけたから、他の方法は考えないだろう」
ユース王子の部下に手を取られて寝台から降ろされた。その護衛騎士はなぜか膝をついてこうべを垂れた。
「このマシューの息子も君が地獄から救った」
「マダム、本当にありがとうございます」
感謝はいつだって胸を打つ。人が一人救われているという事実は、その感謝の何倍も嬉しい。
「どうか親子共々、幸あらんことを。私はそのために働いています」
両手で手を包まれて祈られた。フィオールたちを横目で眺めるユース王子は、とても優しげな眼差しだった。どの目が演技で、何が内心なのかさっぱり分からない。
「アストライアにもマシューに似た者、君たち親子に恩がある者たちを配置して、小さな天使様を守らせている。手駒の無い君は、駒持ちの私を信じる方がいいぞ」
食えない青年とどう付き合っていくべきなのか、フィオールには皆目、見当がつかない。なにせどんどん包囲されている。
止めたのに、エトワールは「大丈夫です」と一人でアストライアへ行ってしまった。手紙の頻度と内容には安心しているが油断はできない。
「殿下。娘はどうか、お助け下さい」
「亡き母上とこの心臓に誓う。宝飾品については、公的な証明書の控えがあるから君に渡す。もう一枚はアルタイル大聖堂の大司教様に預けた。君は私を騙していないという証拠だ」
一緒にワインを飲もうと誘われて、戸惑いながら誘いに乗った。差し出された、箱入りの書類は確かに、どこからどう見ても公的なもの。
大聖堂にある書類は、ユース王子とフィオールだけはいつでも閲覧可能で、裁判所からの申請があれば公開されると告げられた。
「嘘だらけ王子は怖いだろう? 信じなくていい。誓う必要もない。敵対しなければ勝手に味方する。敵になったら潰すけどな」
笑顔で差し出された手を、フィオールはそろそろと掴んだ。その手はやけに温かった。
★
フィラントは羽根ペンを置いた。
前回は、ユース王子への手紙に、戦場の天使たちを揶揄する者たちへの怒りをぶちまけて、投函してから後悔した。今回は慎重にならねば。
今夜は領主邸で、この街の貴族の仲間入りを果たしたエトワールの歓迎会が行われる。
フィラントは表向きは、彼女の見合い相手として歓迎会に招かれた。
フォンの指示通り、勤務用の馬でシュテルン邸を訪ねて、到着している馬車を横目に玄関へ向かう。
玄関の呼び鐘を鳴らして挨拶をすると、しばらくしてから扉が左右に開いた。
邸宅内の灯りが漏れ出てくる。その光の中心で、エトワールが微笑みながら立っていた。
ダンスレッスンの時も美麗で愛らしかったが、さらに磨きがかかっている。
耳や首元を照らす宝石の輝きが、ますます彼女を……フィラントはゆっくりと目を見開いた。
エトワールの耳飾りと首飾りは、ユース王子の母、亡きメテオーラ王妃の物。家具に続いて宝飾品まで使うなんて……と空いた口が塞がらない。
眩い白天使の前に、野良猫みたいなサシャが躍り出た。目の保養を隠すなんて邪魔だ。
「サー・フィラント。エトワール様はどうですか? ヴィクトリアとミレー、そして私がさらに綺麗にしたんですよ」
エトワールは扇を広げて顔を半分隠した。
「……この化粧は、派手ではないですか?」
エトワールの視線は自分なので、返事をしないとならない。けれども、胸がいっぱいで声が出てこない。
ユース王子に『ラブラブ作戦』と言われた時は、たまにバカでアホな主だと呆れたが、部下想いの彼らしい最高の作戦だ。この可憐な天使をエスコートする名誉を賜われたのだから。
「参りましょう。エトワール様のことはしかとお守りします」
エトワールの目を見れなくて、ヴィクトリアに宣言していた。
「サシャ、留守を頼みましたよ。疲れて帰ってくるエトワール様のために、寝室を整えておきなさい」
「ヴィクトリア様、ほいさです!」
ヴィクトリアはしかめっ面でサシャを見送ると、フィラントに視線を移した。
「サー・フィラント。守るとは、お嬢様に伝える台詞です」
小さく咳払いをすると、ヴィクトリアは「人目が無いので」と続けた。
「雇用関係を同意の上で結んでいるとはいえ、エトワール様は貴方の出世のために徒労して下さるのです。やり直して下さい」
「やり直すってどういうことですか?」
問いかけたのにヴィクトリアは無言でエトワールを手で示した。ああ、そういうことか。フィラントは、直視したら眼球が溶けると軽くうつむきながら、口を開いた。
「エトワール様、大変失礼致しました。社交への帯同は必須ではないのにありがとうございます。何もかもからお守り致します。参りましょう」
男爵令嬢に恥をかかせてはいけない。叩き込まれているエスコート術を総動員。
可愛いとか、心臓を吐きて死にそうとか、緊張で目の前がチカチカするとか、そんなことは全て忘れないといけない。
「あの、ありがたいのですが、今夜付き合っていただくのは私ですよね? 私の歓迎会に付き合っていただくのですから」
「そういう理由で招かれているんです。今夜の社交は私の仕事です。お付き合いいただく代わりに、しかと護衛致します」
影武者仕事ではないので、ユース王子の言動を模倣することは出来ない。しかし、彼の立ち振る舞いは全て体に染み付かせてある。
世間の評価が「死神」だの「血塗れ」であろうと、今夜は「英雄の一人」として振る舞う。先日のように、エトワールに気遣わせて傷つけてなるものか。
表向きは見合い相手なのだから、己の世間評価を上げて、エトワール・シュテルンという輝きを、より燦々と煌めかせよう。
★ ☆
会場に到着して馬車から降りる際、エスコートしたエトワールの手は小さく震えた。顔色も悪い。
「エトワール様、今夜は欠席にしましょう」
すると、彼女は弱々しく微笑んだ。
「両親やフィラントさんの名誉について語れる社交場が怖いなんて、子供で弱虫です。『頑張れ』と言って、勇気づけていただけますか?」
手を強く握りしめられた。心臓が破裂しそう。手を離さなくていい理由が、なるべく長く続きますように。手袋は邪魔だ。
「……頑張りましょう。私もエトワール様の役に立てるように、全力を尽くします」
「元気が出て、勇気が湧きました。ありがとうございます」
エトワールは突然、花が咲いたように屈託なく笑うので心臓に悪い。彼女が笑うたびに、寿命が減っている気がする。
少しでも長生きして、ユース王子とこの白天使をあらゆるものから守らないといけないのに。
エトワールと歩き出す。後ろには従者ということになっているフォンとヴィクトリアと、それから侍女ミレーが続く。
隣を歩くエトワールは「笑顔」と小さな掠れ声を出した。それも、二度も。
「扇ぐことで顔を隠すといいです。あと、とりあえず『緊張している』と言うことで、ぎこちない笑顔を隠さずに誤魔化せます」
「ありがとうございます。そうか。『緊張しています』と素直に言えばいいのですね」
領主邸に入ると、次々と客たちの目が自分たちに注がれた。
殺気に類似した目はないか。嘲りの視線はどこか。逆に親しげな雰囲気の者はいるか。どれも見逃すな、覚えろ、俺ならできると自分を鼓舞する。
主催者のレグルスとその隣で柔らかく微笑むフローラと挨拶を交わす。
「お噂はかねがね、小さな天使エトワール様。お会いできるのを楽しみにしていました」
フローラは優雅な手つきでエトワールの右手を取って、親愛のキスを落とした。その隣でレグルスが愉快そうに笑っている。何が楽しくて笑っているのか推測できない。
「お初にお目に掛かります伯爵夫人。このような煌びやかな場は初めてで、緊張しておりますが、失礼のないように過ごしたいと思っています」
エトワールは誰に見せても恥ずかしくないお辞儀をした。フローラが優しく笑いながら顔を上げる。
「あら? その首飾りと耳飾りは……」
フローラ・カンタベリはユース王子の幼馴染なのでメテオーラ妃の私物を知っていてもおかしくない。
「こちらはフィラントさんが貸して下さいました」
エトワールがおずおずと答える。
自分が貸したことになっているなら、この宝飾品は表舞台では自分の持ち物ということになっている。
フィラントは「説明しておけよ、ユース」と心の中でため息を吐いた。
「ウェイルズでよくやったと主から賜りました。所有権は殿下にありますが、メテオーラ様の形見の一部を自由に使って良いという誉をいただき胸がいっぱいです」
ユース王子の思考は大体読めるので、こう言っておいた。
いつもいつも、嘘は綻ぶから嘘はつくなと指示しておいて、嘘をつかないといけない場面を作る困った主だ。
「おみゅあい中……おみ、お見合い中なので貸していただきまして、その、さらに……お妃様の形見なんですか⁈ そんなの聞いていません!」
エトワールは悲鳴のような声を上げた。
「教えていませんでしたので、知るはずがありません」
ユース王子はエトワールを社交場で動揺させたかったのだろう。
フローラもどう見ても驚いているので、ユース王子は今夜のこの社交場にこの話題を振り撒きたいと結論づける。
「か、返します! 帰ったら返すではなく今すぐお返しします!」
おろおろするエトワールは大変、可愛らしい。レグルスが肩を震わせている。
「熱烈だな、サー・フィラント。主からの最高の誉をお見合い相手に貸すだなんて。先に伝えたら、畏れ多くて使えない。君は食わせ者なんだな」
レグルスがユース王子と結託していないはずがないので、これは答えだ。
フィラント・セルウスはエトワール・シュテルンを猛烈に口説いている。これはその印象づけ。
「成り上がり者なので、贅沢を差し上げられますと伝えるのが一番かと思いまして」
契約しているので、婚約は既定路線。今夜はそれに添った発言をし続けないとならない。
ますます注目を集めてしまったけど、代わりに敵と味方の選抜はしやすくなった。今夜はどうなることやら。




