21話「初めての演出」
亡き王妃の宝飾だなんて……とエトワールは固まってしまった。
「な、な、なぜですか? お妃様のものを私になんて!」
声は裏返った。
「恐縮されると思いました。豪華な宝飾なのは分かるとして、それ以外のことは気づかれないと思っていました」
無表情で淡々と語ったフィラントに、エトワールは無言で唇をぱくぱく動かした。
嘘は綻ぶからなるべく少ない方がいい。そう言ったのは彼なのに、嘘を増やしたなんて。
「ははは。君は少々抜けているんだな。私やフローラがいるのに、気づかれないと思っただなんて」
「気をつけていますが、そうなんです」
領主に背中を撫でられたフィラントが、ため息混じりでうつむく。
「それにしても、さすがユース王子のお気に入りだな。このような素晴らしい褒賞を賜れたなんて」
「殿下はどの部下にも甘いのです。レグルス様は殿下ともう仲直りされました?」
「私は殿下が心から謝らない限り仲直りなんてしない」
あの食わせ者王子と、食わせ者領主の喧嘩の理由はなんだろう。それは、両親を守るための材料になるだろうか。
エトワールは張り切って聞き耳を立てたが、領主夫人に「行きましょう」と声を掛けられた。
「皆さんに紹介しますわ」
「ありがとうございます」
領主夫人に嫌われたらこの街で暮らせなくなる。
そうなるとフィラントとの契約結婚話はどうなるのだろうか。裏にいるユース王子はどう思い、両親はどんな扱いをされるのか。
不安が押し寄せてきて、心の中で「礼儀。ドジ禁止」と繰り返し呟く。
ヴィクトリアと侍女ミレーはついてきて、フォンはフィラントの隣に残った。
今朝、自分のために調整された靴が脱げないように祈りながら、領主夫人の後ろをついていく。
「メテオーラ様とエトワールさんのお母上、マダム・フィオールが旧友だったから、お見合い話が出たんですってね」
そういうことになっているの? と首を傾げそうになりながら、エトワールは回答を悩んだ。
嘘はつけばつくほど繕えなくなり収集がつかなくなる。
フィラントの指示なのか、ユース王子なのか、ヴィクトリアはレッスンで「いつでもどこでもなるべく嘘が少ない言葉を探すように」と言っていた。
「母がお妃様と親しかったなんて知りませんでした。母にそろそろお見合いしてみましょうと言われて、フィラントさんと話してみています」
互いに協力する契約をしているから婚約、結婚は既定路線。
しかし、表向きは「お見合い相手」で婚約はまだ。エトワールとフィラントは親しくなっている途中なので、今の言葉選びで合っているはず。
「あら、そうでしたの。甲斐甲斐しくお世話してくれた女性とお近づきになりたくて、主であるユース殿下に頭を下げたと専らの噂ですわよ」
少し振り返った領主夫人は、首飾りをチラリと見た。色っぽい微笑みを浮かべて肩を揺らす。
「……噂ですか?」
自分の知らないところで、着々と計画が進んでいる。
あの凛々としたフィラントは、嘘を使いこなして任務を遂行していく男性ということになる。
領主夫人に連れられた場所にはソファやテーブルがあり、女性ばかりで集まっている。
次々と紹介され、挨拶を繰り返し、人が多くて顔と名前を覚えられないと嘆く。
藍色の凛としたドレスのご夫人——確かダードリ子爵夫人に名前を呼ばれて、秘密の話というように顔を寄せられた。彼女の持つ扇の飾り羽が頬をくすぐる。
「それにしてもサー・フィラントは目の保養ですわね」
人生で初めての社交場で初めての雑談。エトワールは遠くにいるフィラントに視線を移動させた。
美青年領主と同じかそれ以上に輝いている。人が増えているが、その中に彼ら二人以上の美形はいない。
フィラントを好きだと自覚したからなのか、星が落ちてきて彼を囲っているように、キラキラ光って見える。
返事に迷っている間に、夫人は喋り続けた。
「あのサー・フィラントがアストライアで任官する。爵位を求めて任官地でお相手探しをするという噂だったのに、もうお相手を選んでいたなんて」
「……あの、彼は有名人ですか?」
つい、熟考せずに尋ねていた。
「あら、ご存知なくて?」
今、彼女の目に棘があったのは気のせいだろうか。
甘ったるい香水の匂いが扇が作った風に乗ってきた。この匂いは苦手だ。
「無知ですみません」
「お見合い相手のことを知らないの?」
疑念の滲んだ眼差しに背筋が冷えていく。
「ウェイルズで活躍されたことは知っています。あとは……その、優しいです」
自分は間抜けな娘だなと、エトワールは己の対応力の無さに呻きたくなった。
「ふーん」
ダードリ子爵夫人はエトワールから離れて、似たような動きで他の夫人に話しかけた。あちこちの毛穴からどっと汗が噴き出す。
「エトワールさん。お飲み物は何にしますか?」
領主夫人が近寄ってきて、にこやかに笑う。可愛らしくて優しげな笑顔にホッと胸を撫で下ろす。
「お気遣いありがとうございます。レモネードをいただきます」
ヴィクトリアに社交場にある飲み物の種類を習ってある。
「フローラ様、私の出番でしたのに、お嬢様にご配慮していただき、ありがとうございます」
「あら、ヴィクトリアさん。久しぶりとはいえ、そんなに他人行儀にならなくても。気になっていたのですが、お二人はどのようなご関係で?」
「私は今、エトワールお嬢様の家庭教師でございます。王都で隠居だとレティア様に勧誘され続けて疲れるので、フィオール夫人に頼んで雇われました」
レティア様といえば、第一王女のレティア様が真っ先に出てくる。
ヴィクトリアが王女様に勧誘される女性だなんてまさか。しかし、正解だという予感がある。
「教育係を務めていらした頃はいつも『ヴィクトリアはどこ、ヴィクトリア』と呼ばれて大変そうでしたものね」
領主夫人が愉快そうに笑う。
「ええ。年齢を盾に王女教育係から降りさせていただきました。隠居に飽きてきたところに、マダム・フィオールに『娘の家庭教師を探している』と相談されて、それならと手を挙げました」
これでヴィクトリアは元王女教育係だと確定だ。そんな話、誰からも教わっていない。
「そうでしたの。エトワール令嬢が羨ましいです。あのマダム・ヴィクトリアに専属で教えていただけるなんて」
「ヴィクトリア……様がそのような高名な方とは知らず、恥ずかしいです……」
次々と知らない話が降りかかってくるので、思考を巡らす気力が湧かない。素直な言葉を口にして、空笑いしてしまった。
「お嬢様。私は付き人ですからヴィクトリアと呼び捨てに。そう教えましたよ。フローラ様も、マダムだなんて気恥ずかしいので以前のようにお願いします」
ヴィクトリアに返事をして、朗らかに笑う優美な伯爵夫人を眺める。生粋の貴族女性と、貴族の養子になった自分では、仕草にかなりの差があると感じる。社交場を避けてきたツケが回ってきた。
ヒソヒソ声が美味しそうな香りと共に届く。
元王女教育係、男爵令嬢なのにという単語が微かに聞こえた。
パーティーのざわめきの中、ぐううううとお腹が鳴って縮こまる。周囲の様子をうかがい、聞かれていないようだと安堵した。
レモネードが届いたので、緊張で乾いた喉に流し込む。他の人たちも飲んでいるから、好きなものを選んで良かったはず。
「そうでしたわ。お見合いしている同士、シャロット令嬢と話すと良いですわ」
領主夫人はそう言うと、エトワールを赤みがかった金髪のお嬢様のところへ連れて行った。
挨拶をしながら「人数が増えて、もっと覚えられなくなる」と背中が丸まりそうになる。
同年代に見えるお嬢様たちの輪の端で、シャロット令嬢のお見合い話に耳を傾ける。
誰もエトワールに興味は無いようだ。と、思っていたら「あのサー・フィラントに求愛されるなんて羨ましい」と話題の矢が飛んできた。
「あのとは、どのですか? その。母から少ししか教わっていないのです。『話しかけなさい』と」
ヴィクトリア作成の脚本に書いてある、覚えた設定を思い出しながら口にした。
覚えやすいように、設定は少ない。覚えた設定以外は『知らない』が鉄則。
「あのとは、ウェイルズで活躍した王宮騎士のサー・フィラントです。新聞で見た絵よりも美しいし、王都から遠いアストライアに王宮騎士ですよ」
「王宮騎士だから騎士なのに品がありますね」
「騎士になんて見えない見目麗しさですわ」
「父が、ウェイルズでの報奨はかなりのものだっただろうと。なにせ劣勢だった戦況を、ひっくり返したのですもの」
お嬢様たちが次々と甘ったるい声を出す。目も熱っぽい。どうやらフィラントは、お嬢様に人気があるようだ。
それなのに本人は自己卑下していた。両者の世界の違いはなんだろう。
「お嬢様」とミレーに渡されたお皿を、お嬢様たちの真似をして受け取る。美味しくも小さいタルト料理をつまんで、空腹を満たしていく。
そうしながら、フィラントが馬で駆ける姿を見た、格好良かった、素敵だったという話題にモヤモヤする。私も見たい——と。
何の前触れもなく、音楽が始まった。領主夫人が領主にエスコートされている。社交場のダンスは、突然始まるようだ。
「きゃあ。エトワールさん。サー・フィラントがこちらに来ますよ」
「噂通り、熱烈ですね。一直線ですもの」
「でも、もしかして私かも。なんて」
「順番に踊ってくださるかもしれませんよ」
「ご挨拶をしたら、そうなるかもしれませんね。サー・フィラントは新参者ですもの」
モヤモヤが強くなる。エトワールの目がフィラントを捉えると、途端に時間がゆっくりになった。
星を散りばめた彼が、ジッとエトワールを見つめて颯爽と歩いてくる。
遠いから靴音なんて聞こえないのに、ドキドキと鳴る心音がまるで彼の足音みたいに鳴る。
見つめ返していたので、フィラントにそれとなく近づいた女性たちが、次々と軽く避けられたことを目撃。
お見合いは嘘で、エトワールとフィラントは契約相手なのだが……それこそ嘘だと思い込みそう。
フィラントはエトワールの前に立つと、片膝をついて右手を差し出した。
「エトワールお嬢様。最初から最後まで、貴女様のお時間をいただきたいです」
ダンスレッスンとは違う誘われ方。エトワールはほとんど無意識に、小さく首を縦に振った。声が出ない。
背後で、お嬢様たちの小さな感嘆の声がした。熱烈、という単語も耳に届く。
左手を伸ばすと手を取られ、手袋越しなのにあまりにも熱い。顔から火が出そうだ。
口の中に残っていたトマトと肉の味が消えていく。
背後に感嘆のため息を浴びながら、ホールの中央へ向かう。
中央少し手前で、エトワールはフィラントに軽く抱きしめられた。
エスコートの範囲で、これから踊るポーズだけど、抱きしめられたと誤解してしまう。
「エトワール様、理由を作って手短にしますので、私の仕事に少しだけお付き合い下さい」
この人はまた、自分から遠ざかろうとした。エトワールは思わず嘘をついた。
「今夜をきっかけにして婚約に至るのですから、最初から最後まで踊るのが正解です」
考える前に口にしていた。誘われて嬉しかったのに、手短にするなんて言われたからつい。誘いがそもそも、偽装工作なのに。
「申し訳ありません。では、この手に触れ続けるご無礼をお許し下さい」
無礼ではありませんという言葉を飲み込む。ダンスレッスンの時に失敗したので、今夜はフィラントの心に踏み込まなかった。
貴方と踊れて嬉しいと伝わりますように。そう願って手を握りしめ、心のままに笑う。
ダンスレッスンの時とは違い、フィラントはエトワールとよく目を合わせた。
無表情で少し眉根を寄せて、時々困ったように笑う。たまに以前見た、サシャへの笑顔のような微笑みになり、嬉しくなった。
一曲終わると、ヴィクトリアとフォンがすぐ近くにいて「バルコニーで談笑」と小声で指示された。
「お嬢様、良ければ夜風に当たって休みましょう」
「はい」
フィラントのエスコートは完璧に見える。
昔々、母が良く寝る前に話してくれたおとぎ話から想像した王子様のようで、まるで知らない人みたい。
バルコニーへ出ると、エトワールの瞳に満天の星空が飛び込んできた。
「うわぁ! フィラントさん、今夜は雲がなくて綺麗ですね」
手すりに体を預けて振り返る。
ホールの灯りを背負う、逆光の中のフィラントは何も返事をしないで直立している。
人目が無くなったので、「お見合い相手」という演出演技は終わったようだ。
高揚は一気に冷め、首を絞められたように苦しくなった。
「星なんて見えません」
冷たい空気をさらに切り裂くような声だった。
「……」
エトワールはあまりのショックでよろめきかけた。仕事に来ているのだから、しっかりしなさいと両足に力を入れる。
「エトワール様が……眩しいので。あの、それで。うん。表向き親しくが命令なので、今のを何かで使って下さい」
言うやいなや、フィラントは背中を向けて足早に遠ざかっていった。
翻るカーテンの向こう、ホールの中でフィラントはつまづき、すぐに凛々とした歩き姿に戻った。
エトワールは両手で顔を覆い、「演出と本心どっち……」と呟いて、へなへなと座り込んだ。それからしばらく、動けなかった。




