16話「騎士、死神姿を見せる」
サシャはじゃんけんに負けたので、マルクに林檎を買う羽目になった。
「あっ、エトワール様とサー・フィラントだ」
店主から林檎を受け取った時に、二人の姿が視界に入った。エトワールは照れ顔でうつむいている。一方のフィラントは女性に慣れているというような涼しい顔だ。
「本当だ。はええええ。班長くらいになると、貴族のお嬢様と歩いてもサマになるな」
マルクに林檎を渡して、エトワールとフィラントの姿を目で追う。
「サシャ、知ってるか? 貴族とのお見合いを許される庶民って少ないんだぜ」
「勉強したから知ってる。マルク、サー・フィラントはエトワール様とのお見合いに真剣?」
フィラントは相手の様子を見ずに、いきなりエトワールを熱烈に口説いて怖がらせた。だからずっと、警戒している。
エトワールはサシャを人間として扱ってくれる、数少ない人間だ。部屋が余っているからと、侍女に豪華な部屋や寝具を与えてくれた天使のような女性。今日だって、レストランへ行くからと私服を貸してくれた。
ここ数年、貴族の屋敷で働いてきたが、そんな奇特な貴族に会ったことはない。どんなに優しい貴族の目にも、いつだって蔑みが滲んでいたがエトワールはなぜか違う。
ポケットの中のナイフも、拳に付けるメリケンサックもエトワールのためならいつでも使う。
「班長はモテまくりだけど、エトワール様にしか興味無さそう。あれだけの美人でお嬢様だから当然だ」
「ふーん。それならいいけど」
面白そうだから後をつけようと、マルクを誘った。マルクは悪戯っぽい笑顔で、大きく首を縦に振った。
☆ ★
市場へ到着したので、フィラントは近くの駐屯所に馬を預けた。常に周囲を警戒しながら、エトワールの後ろをついて歩いている。
太陽の日を浴びて、キラキラと光って眩しい白金を盗み見て、馬上での会話を思い出しては首を傾げる。
恐怖を感じたのではなく、助けられたと言われた。
交流したいという台詞は、引き離されている両親の身を案じてのこと。その上で紡ぐ気遣いの言葉は、媚び売りだ。そう思っていたのに、違うと言われた。
(『そうです』なんて言うか。俺はバカか)
願望が先行してつい信じかけたが、このような都合の良い話があるわけがない。
「フィラントさん! あの骨です!」
エトワールが振り返り、わりと大きな声を出したので驚いて固まる。
いきなり笑顔が目の前に現れたので、心臓が口から飛び出そうになった。
「私、初めてこの街に来た時にあれを見て、ずっと気になっていて」
エトワールはニコニコ笑い、両手を軽く握って、今から殴り合いをするというようなポーズをしている。
男、さらに敵なら、この臨戦体勢に対して即座に威嚇をするが、エトワールの殺気はゼロ。
どう見ても筋肉に力は入っておらず、腕はふわふわと柔らかに揺れている。
(……可愛い。でも、なぜいきなり殴り合いのポーズなんだ?)
周りを見渡しても警戒するべき人間はいない。可愛いし、笑顔も眩しくて目が痛いと、フィラントは片手で目を覆った。
護衛対象から目を離してはいけないと、慌てて腕を下ろす。その間に、エトワールから笑顔は失われていた。困惑しているという表情で、ふいっと目を逸らした。
「すみません。子供のようにはしゃいで」
「……はしゃぐ? ああ、変な魚の骨を見つけたからか。敵なんていないのに、誰を殴るのかと思いました」
一応、フィラントは周囲を見渡した。人は多いが不審人物はいない。
「殴る? 私が? なぜですか?」
「なぜって、先程のポーズは……」
その時、フィラントの近くを親子が通った。両親に挟まれた女の子が、片手に不思議な形のぬいぐるみを持って、跳ねるように歩いている。
「ありがとうお父さん!」
女の子の仕草は、先程のエトワールに少しだけ似ていた。
「女性は嬉しいと、あのような所作をするんですね。何かを殴るポーズだなんて考えは、俺の偏った生活のせいでした。すみません」
頭を下げると「やめましょう」と言われた。顔を上げると、エトワールと視線がぶつかり、息ができなくなる。
「すみません、すみませんでは親しくなれません。なるべく謝らない。これを約束の一つにしましょう」
予想外の台詞に瞬きを繰り返す。
『鬱陶しいから謝ることを禁止する。そもそも、私は言葉なんて信じない。行動で示せ』
かつてユース王子に言われたことが、脳裏をよぎる。
「では、参りましょう。私はあの露店を見たいです。その次はフィラントさんですからね」
「その次は……俺?」
「これは私の散歩ではなく、お見合い相手との交流……デートなんですから、お互いの行きたいところへ行かないと、社交場で使える話題はできませんよ」
突然、秘密の話というように、耳元で囁かれて思わず後退る。
エトワール・シュテルンが暗殺者なら、自分は今、首を切られて死んでいた。
油断すれば死ぬ、殺されると慄き、ここはそういう場——戦場ではないし、彼女は敵ではないと気を緩める。
(こんな考えばかり……俺はまだ戦場から帰ってこれてない……)
気を遣うユース王子が、あちこちへ連れ出してくれたというのに。己の心は弱い、弱過ぎるとフィラントは肩を落とした。
「……。馴れ馴れしくして、すみ……。いえ、謝りませんよ。直しますので、今の何が嫌だったのか教えて下さい」
ぐっと顔を覗き込まれて、『顔が近い』と驚いて数歩退がった。
「……別に何も。驚いただけです」
「それにしては眉間にシワが寄っていますけど。あの、もしや、目を細めるのは癖ですか? 目があまり良くないのですか?」
「えっ? ああ、すみません。そんなに目つきが悪いのか。すみません。気をつけます。視力はとても良いです」
「ピピーッ! 悪くないのに『すみません』は禁止です。先程、そう約束しましたよ」
提案はされたが、約束はしていない。そして、今、自分は悪いことをした。フィラントはそう、心の中で呟いたが、まるで笛の音とは思えない『ピピーッ!』がおかしくて、唇を綻ばせた。
「笛なら、こうですよ」
エトワールの前で口に指を突っ込みたくなくて、口笛で代用。
そうしてから、今のは失礼だった、ユース王子の前でのくだけた言動が表に出てしまったと慌てる。
「ふふーっ。ふーっ! 私、口笛を吹けないんですよね。お父様は曲も奏でられるのに」
エトワールの音の出ない口笛は、その表情は、無邪気でとても可愛らしい。
「それなら、助けを呼べないので笛が必要ですね。ああ、そうだ。買いに行きましょう」
四六時中、護衛をつけることになっているが、万が一ということもある。
ユース王子にも持たせているのに、忘れていた。
「では、まず変な魚の骨を確認して、次は笛探しですね」
早く、早くというように歩き出したエトワールの姿が、自分を連れ回すユース王子に重なる。
(『嫌ってない』は本当かもしれない。そんな気がする)
ここでようやく、フィラントはエトワールの言葉を信じた。媚び売りしなさいと命じられていない、彼をまだ嫌っていないという言葉を。
いかにも獰猛そうな魚の骨が吊るされている露店は、宝飾品店だった。
売られているものは、緑色の蝶貝製品のように見える。店主は『煌国』の商人から買ったそうだ。この宝石はピアリと言い、世にも珍しい宝石魚の鱗だと語った。
「煌国はどのようなお国でした? キモノは見ました? 着られました?」
「煌国の属国の国境沿いで買ったので入国はしていません。キモノは着ていませんが、見ましたよ」
「やはりあの絵のようでした?」
「麗しいお嬢さん、あの絵とはどのような絵ですか?」
「ああ、すみません。母が以前、都会で見つけたファッションのカード絵を買ってきてくれましたの」
店主と気さくに話していたエトワールは、宙に指で服とは思えない四角い絵を描いた。
ユース王子に頼まれ政務で見た書類の事を思い出す。
アルタイルは今年度、大国である煌国への媚び売り、国防のために、煌国の民族衣装を購入していた。それが確かキモノで、あの目録に『ピアリ』という単語もあった。
「それならぜひ、こちらの商品を。苦労して手に入れた最先端ですよ。宝飾店に話しても信じてくれなくて露店で売っているんです」
店主は営業話を続ける。ピアリの価値が知られるようになれば、今のうちに買った客は、転売で儲けることができると。
店主は半分をこの値段で売って世に広め、残りは高騰後に売って大儲けするそうだ。
「ですから、ピアリの価値を高めてくれるような、美しいお嬢さんに売りたいんです。ご友人などに広めて、評判を高めてくれませんか? 一緒に儲けましょう」
「うーん。それは魅力的なお誘いですけれど、これが二束三文の価値でしたら大損です」
エトワールは商品を手に取り、じっくりと観察を始めた。
「とても綺麗でしょう? お嬢さんのような美しい貴族様なら、価値を高められますよ。物の価値は、多くの人間が欲しがるかどうかですから」
「この骨ですから、宝石魚はゲテモノです。こんな魚の鱗だなんて、お嬢様たちに嫌われそう」
「こちとら正直者なんで、この骨は仕方ないんです。これが本物の証になるんで。これがないピアリ店は偽物なんですよ。私は煌国の証書も持っています」
それなのにと、店主は憤慨した。危険覚悟で旅をして行商をしたのに、王都で露店を開くことはできなかった。
身分が低いので、卑しい男で嘘つきそうだと、先入観で撥ねつけられたからだ。宝飾店でも、似たように追い払われた。
この街、アストライアならと期待してやってきたら、あっさり露店商の許可が出た。
「新領主様は若いのに、話の分かる差別心の少ない方だという噂は本当でした」
「うーん……。大勢の人が欲しがれば価値が出る……」
これは本物かもしれない。そうなるとかなりのお買い得で、転売で大儲けできる。
フィラントはそう思ったが、エトワールが何やら考えているので見守った。
「あっ。美しいお嬢さんと褒めてくださいましたが、私はなんと、あの『戦場の天使』の娘でございます」
「……えっ? あのフィオール様の? お嬢さんが?」
店主はエトワールを上から下まで眺めて「ははは」と笑って一蹴した。
「そのような白魚のような手で、野戦病院の看護婦をしていたと言うんですか? お嬢さんが?」
この発言に、エトワールはムッと顔をしかめた。
フィラントは腹わた煮えくり返って、「侮辱するな」と怒鳴りたくなったが、店主視点は大事、冷静になれと呼吸を整える。
「ようやく治りましたけど、この手は最近まで赤切れていましたのよ」
「あのフィオール様の娘を騙るだなんて、そんな女に売るものはない。帰った、帰った」
「失礼な。私は本物です。話を聞いて下さい」
店主はエトワールを睨みつけて、そっぽを向いた。
フィラントは剣の柄に手を伸ばした。侮辱罪で連行したら、エトワールとまともに話すだろう。
フィラントが喋る前に、エトワールが店主にずいっと近寄った。
「福祉にはお金がかかるので、『私財を確保せよ』、『節約しなさい』は母の教えです。母の名でチャリティーとして売れば、一部の貴族は買わざるを得ません」
これが本物の煌国の宝石魚の鱗であるなら、渋々ではなく喜んで買われる。エトワールはそう力説した。
気弱めだけどお転婆なところもある、おっちょこちょいで面白いお嬢様だと思っていたのに、なかなか策士で豪胆だ。
その時だった。
喧騒と悲鳴がして、体が瞬時に警戒態勢に入る。
叫びで真っ昼間だというのに盗賊団が出たと分かり、思わず走り出して抜剣していた。
そうしてから、自分は今、エトワールの護衛だったと焦る。だが、自分の背後は安全圏だ。盗賊団は前方にいる。
(俺の後ろに誰も行かせなければいいか)
業務時間外なので逮捕は同僚に任せ、市民を後ろに逃しつつ、背後にいるエトワールも守る——
「フィラントさん!」
悲痛な叫びだ、この声はエトワールだと振り返る。 エトワールが、避難する者たちとは逆に、こちらへ向かって来る。
次々と人々にぶつかられ、押される姿を見て冷や汗をかき、エトワールのところへ戻ろうとした。
敵を全員、後ろへ行かせなければ問題無い。それは戦場での考え方だったと血の気が引く。
「フィラントさん!」
「後ろ」という単語が耳に届く少し前に、気配がしたので振り返る。
「金を寄越せ!」と自分に襲いかかろうとした髭面男の足を突いて蹴り飛ばした。
ここは街で、自分は現在、兵士ではなく街の警務騎士なので殺すのではなく、極力逮捕しなければならない。
返り血を浴びて鬱陶しい。常にまとわりついている血の臭いが濃くなったことも。
(エトワール様!)
早く安全な場所に逃さなければ。先程、声がした方へ体を向ける。
エトワールは両手で口元を隠して大きく目を見開き、青ざめた顔で震えていた。美しい髪や顔、手や服、全てが血で汚れている。
「はっ……ひっ……」
彼女はガタガタ震えながら引きつれを起こしたような呼吸をして、瞬きもできずに固まっている。
怖い状況の中置き去りにして、心細くてフィラントを探しに来たエトワールに、血の雨を見せてしまった。
謝ってどうにかなるものではないが、まずは謝るしかない。
「すみま——」
声をかけようとしたその時、エトワールがよろめいた。そんな状況とは無縁の人間が、殺人未遂を目撃して大量の血を浴びれば気が遠くなるのは当然だ。
慌てて体を支えると、エトワールは気絶してはいなかった。真っ青な怯え顔でフィラントを見つめる。
「お怪我はどこですか⁈ すぐに手当てします!」
突然両手を頬で包まれた。目の前がチカリと白く光って、意識が飛びそうになる。彼女の宝石のような瞳も手も震えている。
「いえ、どこも……。これは返り血で……」
視界が白んで、軽い眩暈に襲われる。
「それなら良かったです。皆様を守ってくださり、ありがとうございます」
なぜか額に額をくっつけられ、フィラントの意識は遠のいた。
『大丈夫ですよ。きっと良くなりますからね』
やはりあの白天使と同じ声……白金の中に意識が沈んでいく。
『今度こっそり街へ行こう。今の季節の星空は、それもアルタイル大聖堂から眺める夜空は最高だ』
『殺せ。殺してみろ。殺せるものなら殺してみろ。さあ、僕は丸腰だ』
ハッと気づいたら、フィラントは騎士署で書類を書いていた。これまでの記憶が曖昧だ。あの後に何をしたのか、なんとなくの記憶はあるけど、他人事のような感覚だし残っている記憶は断片的。
かつての頭部外傷の後遺症のようで、極度の緊張があるとこうなる。ここまで酷い離人感は、ゲルダ砦を奪取した時の、最後の瞬間以来だ。
最近、なぜか古い記憶が蘇る。それも断片的で曖昧、時系列も狂っている。
夢のようなボヤけた記憶だから、脳裏によぎっても詳しいことは思い出せない。
人生初デートは、嫌われてなかったかもしれないエトワールに血塗れ騎士だと知られ、曖昧な意識の中で勝手にしてしまった臨時業務と事後処理に追われて終了。
今度こそ嫌われた。
寝るまで、幾度とないため息が漏れた。
★ ☆
話は少し遡り、騒動直後のこと。
エトワールは自分の体を抱き寄せたフィラントに一瞬、震えた。男性に急に触れられて怖かったが、それも温かさですぐに消えた。フィラントが凛とした表情で叫ぶ。
「貴様ら! この場で死にたくなければ投降しろ! 牢に行くなら、刑で処罰される前に話くらい聞いてやる!」
フィラントは足元に転がる賊を蹴り飛ばした。彼にあっという間に倒された数十人いる賊たちは、みんな、生きている。
大勢の悪漢に襲われたのに、情けをかけて、誰の命も奪っていない。今の発言だから、フィラントは形骸化している司法による罰則に重きを置いているようだ。
胸の音がやたらうるさい。誠実だし格好いい……
「クソ野郎共め。根城を突き止めて一網打尽にしてやる。マルクじゃないか! エトワール様を安全なところへお連れしろ!」
丁寧な口調はどこへやら。おそらく、これがフィラント本来の言葉遣いなのだろう。前にも少し、耳にした。
マルクとサシャが駆け寄ってきて、フィラントがエトワールから離れていく。
心細いし心配だから行かないで欲しい。自然と腕を伸ばしていた。しかし、触れられない。届かない。
フィラントは警務騎士を集めながら騎乗して、遠ざかっていった。




