12話「お転婆侍女」
フィラントとサシャの会話を聞いているうちに、くるくる癖毛の騎士マルクについて、妙に詳しくなってしまった。
猫嫌い、犬好き、とうもろこしに目がなく、毒舌だが根は優しいなど、正直、どうでもいい。
(私が知りたいのは、フィラントさんのことなのに)
それが言えない自分を情けなく思いながら、小さなため息を吐く。やがて、最初の目的地・サン=ガリル聖堂に到着した。
「あのフィオール様のお嬢様」として歓迎された。
母の名誉を守るため、今朝ヴィクトリアから叩き込まれた礼儀作法を思い出しながら、慎重に応対する。
「新しい領主様は本気でこの街を改革してくれるようです」
司教の言葉に、エトワールは小さく息をのんだ。
交易都市として急速に成長したアストライアは、整備の遅れにより無法地帯となりつつある。
娼館や浮浪児が増え、反社会的勢力がのさばっている。司教は「負の連鎖を断てば未来は変わると信じている」と熱っぽく語った。
「信仰と学びで導くのが私の使命です。フィオール様、それにお嬢様まで協力してくださるとは」
司教は、領主の命で『無償勉強会』と『公営孤児院事業』にシュテルン家が関わると話した。
領主に相談役を頼まれただけで、こんなふうに話が進んでいるとは聞いていない。
だが、熱意ある司教の前で「何も知りません」とは言えない。母の誉れに泥を塗るような真似はできない。
(領主様……。私にさせたいことを決めていたのね)
ヴィクトリアの「領主様は食わせ者」という言葉と、領主の愉快そうな笑顔が蘇る。
指示されたことを一生懸命こなしたことしかないので、母が不在の間、代わりに指揮官をするなんて不安でならない。しかし、母の生き方から学んできたので、方法は知っている。
「司教様、母は別件で到着までにしばらく時間がかかります。代わりに娘である私が、精一杯、お力添え致します」
エトワールは正直に、誰かの指示のもとで働いたことしかないと伝えた。
人は、いきなり大きなことを成そうとしても失敗するもの。それが田舎育ちの世間知らずの娘ならなおのこと。
「これまで暮らしていた村では、子どもたちに勉強を教えていました。勉強会でしたら、ぜひ引き受けたいです」
それから、とエトワールは続けた。
「孤児院の件はまずは一つ、どこかご指定下さい。現状を学び、問題を洗い出すことから始めます」
ゆっくりと腰を下ろし、祈るように両手を握る。
「司教様、どうか先を行く者として、未熟な私をお導きください。エトワール・シュテルンは、母と同じく聖典に従い、人々の幸福を願っております」
失敗したり、迷惑をかければ疎まれる。出来る、出来るとでしゃばった挙句だと、さらにそうなってしまう。
しかし、「ほとんど何も出来ません」では落胆されるだけ。何をするにも味方を作ることが大切だと、母から教わっている。
(領主様は敵かもしれないから、司教様を味方につけておかないと)
こうして、不安はあるものの、エトワールは自分が出来そうな範囲の仕事を引き受けた。
一部始終を聞いていたフィラントは何も言わなかった。だから、彼にとっても都合が良いと解釈する。
(思い込みは良くないから……)
話すきっかけができたと、意を決して隣に並んだ。この街を少し歩いてみたいと伝える。そうしてから、裏でコソコソ尋ねるべきことだと気づいた。
「歩きたい……。かしこまりました。ここから署はそこまで遠くありません。疲れたらすぐにお申しつけ下さい」
「お気遣いありがとうございます」
フィラントが馬を引いて歩き出したのでついていく。これから行くのは騎士本部署だ。シュテルン家の護衛をしてくれる班員たちへ挨拶をする。
司教から仕事を引き受けて良かったのか。それは後で、誰もいないところで確認するとして、今はとにかく話してみたい。けれども緊張で、気の利いた言葉は一つも出てこなかった。
隣を歩くサシャが街のことを教えてくれるので耳を傾ける。
この大通りは昔からあるもので、古いお店が多い。聖堂があるので治安は良く、それなりの庶民が集まっている場所だそうだ。
「ここをずっと進んで左に曲がると飲み屋通りでその先は娼館通りです。その近くに、私やマルクのいた根城がありました」
エトワールは、『娼館』という文字でしか知らない単語を自分よりも若いサシャが口にしたことに動揺した。近くで暮らしていたとは、エトワールよりも世間を知っていそう。
「サシャもマルクさんも苦労したのですね」
「まぁ、少しは」
辛いことは何も無かったというように、サシャはニコニコ笑っている。
「サー・フィラント。遊ぶなら、星乙女通り奥にある高級娼館がいいですよ。こっちは場末の安館なので」
「……」
あまりのあけすけな物言いに、エトワールは歩みを止めそうになった。フィラントがなんと答えるのか固唾を飲む。
「シュテルン家の侍女として、いかがな発言だと思うぞ。乙女がそういうことを口にするのはやめなさい」
フィラントは眉間にしわを刻んだ。真っ直ぐ前を見つめている。
「……あっ、つい。二人にあれこれ案内しないとと思って」
サシャから笑顔が消え、表情は曇った。
「君の発言は、すべて主人に返ると教わっていないのか?」
「いえ。ヴィクトリア様に言われました」
「男が全員娼館好きという考えも改めなさい。金で人を買うとは浅ましい……」
その時、フィラントはなぜかエトワールをチラリと見た。
「……ことだ。俺はそう思う。聖典にもそう書いてあるから、少数派の意見ではないだろう」
「聖典にも……。読んでみます。娼館生まれなので、偏った世界しか知らないようです。男は全員来るものだと思っていました」
「来る……君は娼館で働いていたのか?」
「いえ。母と同じ仕事をさせられる前に逃げました。それでスラム育ちです」
エトワールはサシャの生い立ちに胸を痛めた。自分も似たような人生になる可能性があったから余計に。
「元商売女と誤解されることもある。それは時に身を危険に晒す。ろくでもない男は一定数いる。発言には気をつけなさい」
「ありがとうございます。サー・フィラントは大丈夫そうなのでつい、身の上話をしていました」
サシャはフィラントに、聖典には他にどんなことが書いてあるのか尋ねた。
会話する二人の間を歩きながら、先程の彼の視線はなんだったのか考える。しかし、何も思いつかない。
聖典の話なら混ざれる。そう意気込んだのに照れが先行して声が出ない。フィラントの隣を歩いているだけなのに、馬上で二人の時のようにずっとドキドキしている。
フィラントは女性にだらしない人間ではなさそうだと知ったのでますます。
たまに、フィラントに「お疲れではないですか?」と気遣われ、「ありがとうございます。大丈夫です」と答えるので精一杯。
(こんな体たらくなのに、司教様から引き受けた仕事をお母様のようにできるかしら……)
母のようには無理でも、一定の成果はあげないとならない。
知らないうちに実母を失い、叔父と叔母に売り物にされそうだったところを助けてくれたのが今の両親だ。
助けてくれたばかりか、養子にしてくれて、愛情深く育ててくれた。自分にできる最大限のことをして、恩を返したい。
そのためには、気になる彼に話しかける度胸くらいつけないと。意気込んでも声が上手く出てこなくて、サシャとフィラントだけが会話し続けている。
「へぇ、聖典ってお説教みたいなことがつらつら書いてあると思っていたんですけど、物語なんですね」
「理解、共感しやすいように物語にして、道徳などを説く本だ」
ここだと、エトワールは大きく息を吸ってから唇を動かした。
「子供向けのものも、原典の複写本も持っていますので、良ければお貸ししますよ」
エトワールはようやく会話に混ざることに成功した。サシャに話しかけることに成功したので、次はフィラントだと、さあ話しかけてみなさいと、自分に檄を飛ばす。
「うわぁ、ありがとうございます。エトワール様は本当にお優しいです」
「大したことのないことでそのように感謝してもらえて嬉しいです」
フィラントさんは——そう名前を呼んで話しかけるはずが、彼がサシャに微笑みかけたので固まる。
「良かったな、サシャ」
なかなか笑わない意中の人の笑顔を一度ならず二度までも。エトワールの気持ちは一気に暗いところへ沈んだ。
「はい! っ痛」
驚いたことに、痩せた背の低い男性がわざと、というようにサシャにぶつかった。
おまけに、彼女が肩から下げている鞄をナイフで切り、奪い、走り去る。
瞬間、
「返せこのやろう!!」
脱兎のごとく走り出したサシャが絶叫し、おまけに跳んだ。彼女の足が強盗の頭に直撃。
呆然としていたら、サシャはナイフを振り上げていた。
起きようとした強盗をフィラントが蹴り飛ばした。さっと胸ぐらを掴んで頬を殴りつけ、「現行犯逮捕だ」と冷めた声を出す。フィラントは腰に下げている小さな鞄から布を出して、強盗の足と手を結んだ。
過去のことを思い出して暴力には身がすくんだが、悪党成敗とサシャを守るような所作はあまりにも格好良かった。
「おお。サー・フィラント。早いですね」
サシャが拍手をする。エトワールもそうしたいが、あまりにも胸が激しく鳴っているので、両手で抑えていないと心臓が飛び出してしまう。
「まぁ、これが俺の仕事だから。サシャ、君はとんでもないお転婆だな」
「お嬢様を守るために強い侍女が欲しいと採用されました!」
「そうか。護身の心得があることは良いことだが、俺や他の護衛がいる時は任せてくれ。それでエトワール様から離れるな」
「あー、そうですね。つい。私、体が先に動く方で。気をつけます」
「ったく。なんで近くに騎士がいるのにひったくりなんて。舐められているか、見逃されるように賄賂を握らせているんだな」
フィラントは、はぁ……と深いため息を吐いた。彼はそうしてから、見回り騎士はいないかと叫んだ。
「サシャ、大きな音がしたが足に怪我はないか?」
「靴のここに鉄板が入っているんです。相手は痛いですけど、私は平気です」
サシャは自慢げに胸を張った。
「鉄板? さすがこの街育ちというか、それほど自衛が必要な生活をしてきたのか」
「まぁ、そこそこ。侍女としては色々足りないですけど、付き添い人としては頼りになると思います!」
「もう一回言っておくが、俺や他の班員に任せてエトワール様から離れないように。最後の砦ってことだ。頼んだぞ」
「合点承知です!」
深呼吸をしているうちに落ち着いてきた。ときめいている場合ではないと、サシャの手を取る。
「フィラントさんの言うとおり、護衛がいますから、無茶をしないでくださいね。怪我がなくて良かった」
サシャの手を両手で包んで握りしめる。すると、満面の笑みを向けられた。ありがとうございますと感謝されながら。エトワールは何もしていないのに。
犯人が見回り騎士に連行されると、エトワールたちは再び歩き出した。
騒動で嫉妬心が消えてくれたのは良かったが、この街の治安の悪さを実感したので不安が募る。
自分に何か起きるかもしれない。けれど、それ以上にフィラントやサシャなど、他人が危険に巻き込まれる方がよほど怖い。
護衛たちの安全のためにも、危ないことはしないように気をつけよう。エトワールはそう、自分に誓いを立てた。
★
フィラントはエトワールとサシャの親しげな会話を聞きながら、重たい足を引きずるように歩いている。
金で人を買う者は浅ましい。当たり前のことを口にしてから思い至った。フィラントはエトワールを『妻役』として買ったようなもの。
自分の報奨品として用意される妻なんていてはならない。だから偽装結婚だったのに、それが『金で妻役を得る』になるとは。気づくのが遅かった。
なぜこんなことに——
『探してって言うから探したんだ。感謝してくれ』
探してくれるだけで良かったのに。ユース王子はいつも過剰だ。良くも悪くも。だからこんなことになっている。
エトワールはずっと物憂げで、もう怯えさせないと思ったのに逮捕でやり過ぎて怖がらせた。
怯えはやがて嫌悪になる。嫌悪が積み重なったら会話すら出来ない。どうにかしなければ。




