10話「領主」
変わり者の侍女——サシャはよく喋る。
エトワールはメレンゲクッキーを口に運びながら、サシャの言葉に耳を傾けている。
慣れない自室の窓辺の椅子に座り、外の景色を眺めながら、大きな建物ばかりの都会にいることを実感していた。
元同僚に教わった、王都へ行ったら食べられる人気のお菓子を、まさかこの街で口にできるなんて。
サシャの質問や話ぶりからすると、エトワールは母に頼まれて、貴族位が欲しい戦争の英雄の一人、フィラントとお見合いをする。
フィオールは知人に頼みに頼まれて、「お見合いだけなら」と引き受け、娘の気持ち優先と返答した。
ヴィクトリアは偽装結婚計画を把握しているが、侍女はそうではないとはこのこと。
「いくら美青年だとしても、いきなり襲われそうになるなんて災難ですね」
あけすけな物言いに、エトワールは「けほっ」とむせた。
「襲われていません。フィラントさんは、具合が悪くなった私を気遣ってくれただけです」
この侍女は「見せつけプレイかよ」という発言といい、思考回路が独特だと、エトワールは苦笑いを浮かべた。
「今のは冗談です。エトワール様、顔色が良くなってきましたね」
サシャの猫のような目が細くなる。子供のような無邪気な笑顔を向けられたので、エトワールも自然と微笑んだ。
「ありがとうございます。あの、良ければサシャさんもどうですか? こんなにあって食べきれません」
すると、サシャは目を輝かせて「いいんですか!」と元気な声を出して、にっこりと笑った。
「ええ、どうぞ」
よければ座ってという気持ちを込めて、手のひらで向かい側の椅子を示す。
サシャはお菓子に気を取られているようで着席せず、「うわぁ、メレンゲ」と感嘆の声を出した。
「んんー、幸せの味。エトワール様が初めてです。良かったらどうぞなんて。一生ついていきます!」
祈るように両手を握り、歯を見せて笑うサシャの発言に、瞬きを繰り返す。
「っふふ。一生? まさか。でも、そうなったら私としては楽しそうです。そんな風に親しくなれたら嬉しいです」
「侍女と仲良くなりたいなんて人も初めてです。呼び捨てでいいですからね。そう自分から言うのも初です」
サシャは満面の笑みを浮かべた。
「いけない。ヴィクトリア様に元気になったって報告しないと」
慌てた様子で退室するサシャを目で追う。女性なのに男性のように髪を短くしているのはなぜなのか。顔立ちは幼かった。彼女はエトワールよりも年下そうだ。
しばらくするとヴィクトリアが現れ、「体調はもう良いと報告を受けた、顔色も良さそうだ」と微笑んだ。
「旅疲れのようですので、街の大まかな案内は明日にしました。護衛につく騎士たちへの挨拶も同じく」
「お気遣いありがとうございます」
立ち上がって頭を下げたら、小さく首を横に振られた。
「配慮が足りず、申し訳ありませんでした。夕方からの領主様への謁見は変更できませんので、励みましょう」
「もうすっかり大丈夫です。緊張でふらつかないように気をつけます」
この後、エトワールはヴィクトリアとサシャの手で着替えた。
空色のドレスに、白糸で草花が刺繍されている。都会の良家の娘が着るような、華やかな衣装だ。思わず「うわぁ」と喜びの声が漏れ、つい、鏡の前でくるりと回る。
「サシャ、サー・フィラントたちが到着したか、確認してきてちょうだい」
「はい!」
サシャが元気な声を残して去る。彼女が通った場所を、ヴィクトリアはしばらく見つめていた。
「なぜフェンリスさんは、あのようなガサツな娘をお嬢様の付き添い人にだなんて」
非難めいた声と呆れたような表情だ。
「……今のはわざと私に言いました?」
尋ねずにもやもやするより聞いた方が心が軽くなる。そう考えて、質問することにした。
「ええ。お嬢様がお気に召さなければ解雇可能です。決定権は私にはございません。今のところ、教育次第かと」
ヴィクトリアの表情には「不本意」と書いてあるが、その目に冷たさはない。
「私は田舎娘なので、今のところ気楽です」
「そういうことでしょう。他の二名は、社交場へ伴わせても恥ずかしくない者たちですから。お嬢様の到着までに、私がそれなりに教育しました」
「そういうこと……私に友人を、ということでしょうか」
「そばにいることで気が休まる相手を友人と呼ぶのなら、そうでしょうね。まだ一ヶ月もともに過ごしていませんが、サシャは人懐こく、明るく、愉快です」
吹き出すように笑うと、ヴィクトリアはサシャに運ばせた箱から帽子を取り出した。ドレスと揃いで作ったというように、同じ色でデザインの雰囲気も似ている。
「こちらもサー・フィラントからです。世間的にはまだ出会っていない時のことですから、何か聞かれたら私物だと答えてください。村に来た行商から買った。それで」
「……はい。こちらをフィラント様が」
また、くるりと回ってしまった。ますます素敵なドレスに見えてくる。
「入籍するまでは『フィラントさん』です」
「気をつけます」
気になる人が選んで贈ってくれたドレス。そう考えたら喜びは増し、つい、ドレスを手で広げて鏡の前で揺れていた。
自分で言うのもなんだが、とても似合って見える。髪を結ってもらい、化粧もしてもらったから、可愛さが何割も増した。まるで魔法をかけられたみたいに。
「あの、ヴィクトリアも一緒に買いに行ったのですか?」
「ええ。女性ものは何も分からないから頼むと任されました。お気に召したようでようございます」
つまり、フィラントは支払いだけをして、ドレスを選んだのはヴィクトリアということになる。エトワールは少し落胆したものの、「でも、贈り物だ」と喜び続けた。
「色だけは指定されましたよ」
「……それは、どのような理由でした?」
期待に胸を膨らませたものの、エトワールに返ってきたのは「ご自分で尋ねるとよろしいかと」の一言。
「では、参りましょう。そろそろでしょうから」
ヴィクトリアに手袋を差し出されたので受け取る。
美しくも可憐なドレス、揃いの帽子に純白で肌触りの良い手袋。教育や絵、それに自分の目で見てきた上流階級の嗜み。
自分がこのような服装をする日が来るとは。
この姿を両親に見せて驚かせたいという気持ちよりも、「フィラントさんはどんな反応をするだろうか」という想いで胸がいっぱいになった。
☆ ★
我ながら可愛らしい格好だから、褒められるかもしれない。そう、とてもドキドキしていたのに、フィラントは何も言わず、表情も変えなかった。
無表情のまま、「護衛として、領主邸まで同行いたします」と告げただけ。
ヴィクトリアと彼女の夫フォンの三人で馬車に乗り、窓の外にある夕焼けに染まる街を眺める。
馬車内でフィラントとお喋りできるかもしれないと期待したのに、彼は操者の隣を選んだ。そんなに危険な街なのだろうか。
自分にもしも危険が迫ったら、護衛のフィラントは戦うことになる。病院で見送った多くの兵士たちのように、亡くなってしまったらどうしよう。
そんなことを考えてしまい、エトワールの心は沈んでいく。
バロン夫婦が喋らず、彼女も無言で窓の外を見ているので馬車内はずっと静かだ。
静寂は目的地まで続いた。馬車を降りる直前に、エトワールはヴィクトリアにこう言われた。
「もう一度忠告ですが、領主であるレグルス・カンタベリ伯爵は癖者ですのでお忘れなく。沈黙は金なり、ですからね」
「ありがとうございます」
領主への挨拶がある、歓迎はされないだろう。今日はあまり喋らない方が良い。先入観は無い方が良いが、癖があることくらいは念頭に入れておくべき。それだけ言われたので、ずっと緊張している。
領主邸は新しい住居とそこまで大きく変わらなかった。ただ、門構えはもっと立派だ。
フォンが門番に声をかけ、少し待たされ、屋敷の方から現れた従者に案内される。
応接室に通されたエトワールは、三人がけのソファの真ん中に座ることになった。
バロン夫婦が彼女の左右に着席し、背後にはフィラントが立つ。
お茶とお菓子が運ばれてきて、少しするとレグルス・カンタベリ伯爵が軽やかな笑顔とともに登場した。甘めの顔立ちで、長めの金髪がさらさらと揺れる。
自分と十は離れてなさそうな若者の登場に面食らう。大きな街の領主は、父親世代だと思い込んでいた。
挨拶を交わすと、レグルスはエトワールの母を褒めた。
「風の噂で、お母上はしばらく王都で働くことになったそうです。そこでだ」
レグルスは終始笑顔を浮かべているが、その笑みにはどこか薄ら寒さがあった。ふと視線が合ったとき、その目の奥に鋭い棘を感じたような気がした。
「お母上が来られるまで、お嬢様に代わりをお願いしたい。私も市民も待ち焦がれていたのでね」
レグルスの視線はやはり友好的なものではない。
「……母の代理ですか」
「サン=ガリル聖堂の司教様の相談役を頼むよ。色々困っておいでだ。ひとつでも多くの問題を解決してくれ」
「その件でしたら……」
フォンが口を挟もうとしたが、レグルスが手で発言を制した。
「私が、エトワールお嬢様に頼んだんだ。父からこの街を任されたこの私が、エトワールお嬢様に。君ではなく」
レグルスの目は笑っていない。こちらを見下すような笑顔だと、エトワールは重ねている自分の手を少しさすった。
「エトワールお嬢様はお母上から学ぶためにこの街へ参りました。いきなり指揮官などできません」
言葉を止められたというのに、フォンはそう続けてくれた。
「"戦場の天使"はいきなり指揮官になった。娘にもその素質があるだろう。失敗は誰にでもある。きちんと尻拭いはするさ」
レグルスは「必要経費は出す。審査制で」と続けた。詳しくは秘書が明日、シュテルン邸へ赴くと。
「では、失礼。私はそこそこ忙しくて。期待しているよ。小さな天使様」
レグルスがエトワールに近寄り、膝をついて手を取った。思わずビクリと体が竦み、血の気も引いていく。挨拶だからしっかりしろと、エトワールは強張る体に命令した。効果は薄い。
「とって食いやしないのに、そんなに怯えなくても。お母上は豪胆らしいのに、お嬢様は箱入りかな?」
エトワールは、母のために発言しようとしたが、レグルスは颯爽と退室した。
室内にいた侍女が、誰も手をつけていないお菓子を包み、小さなバスケットに入れ、柔らかな笑顔でヴィクトリアへ差し出した。
「ありがたく頂戴いたします」
フォンとヴィクトリアに促されて、エトワールは領主邸を後にした。行きと同じく、帰りも馬車内は三人。
行きと違い、フォンとヴィクトリア夫婦はエトワールに話しかけ、予想通り領主は嫌がらせをしてくるようだと言い、自分たちが力になると熱っぽく話した。
なぜ二人はユース派で、あのレグルスという若い領主は敵対派なのか、我が家が踏み入れてしまった政治闘争の地図はどのようなものなのか。
何も分からない。そう、心の中で呟いたときに、夜——十八時を告げる鐘の音が響き渡った。
両親はしばらく王都。何が起こっているのか、この町でどうなるのかまるで想像がつかない。
敵も味方も、状況すらも見えない。けれど、ひとつだけ信じられるものがある。
『すみません……。宝物だと思って大事にします……』
——フィラントの言葉。あの瞳、あの言葉は信じられる。
大切にされるのは嬉しいが、なぜ謝ったのだろう。
彼ともっと話したかったのに、屋敷に着くと、フィラントは短い挨拶を残して帰ってしまった。
★
フィラントは予定通り馬で領主邸へ向かい、領主の客として招かれた。
ユース王子の乳兄弟、レグルスは政務室の机と向かい合い、書類の山に囲まれている。ユース王子とレグルスは表向きは不仲だが、彼らは結託している。
「遅いじゃないかフィラント。助けてくれ」
「俺は騎士で事務官ではありません。領主秘書官にさせて下さい」
言いながら、フィラントはソファに着席して、目の前のテーブルに用意されている書類を手にした。流し見して、今夜、求められている仕事の把握に取り掛かる。
「リムが君を鍛えておいてって言うから。結婚して子爵になったら私の秘書官の一人だ。今から覚えろ」
フィラントの手から書類がはらりと舞い落ちた。
「子爵? 今、そう言いました?」
ユース王子の策略はまだあったのかと、フィラントは深いため息を吐いた。阿吽の呼吸で合わせられるから、疲れているから任せたと、ユース王子はたびたび説明を怠る。
「サプラーイズ! 結婚おめでとうフィラント。これからだけど。リムから、お見合いをして絶対に成功させろ命令が出たんだろう? 初恋の人と」
レグルスは腹を抱えて笑い始めた。「お見合いをして」と発言したから、王命のことは知らないようだ。
「出世予定の田舎文官を探して、その中から選んだら君の初恋の人のお父上。あはは。あいつは抜け目ないし、君は運を持っている」
「……俺は護衛です。リムとシュテルン家の政敵が同じなので」
「それを理由に初恋の人を口説くんだ! 援護は私に任せろ!」
昔からだが、レグルスという男はあの主の親友だとフィラントはこみかみに手を添えた。
「エトワール様にさっそく嫌われました。いいですか。余計なことはしないで下さい。眺められる位置、護衛する地位だけは死守しないといけません」
「へぇ。リムに対して以外で、君のそんな執着心は初めて見た」
「可及的速やかに、護衛担当の調整をしなければなりません。私は外れて……あの部下たちで平気なのか分からないので鍛えます」
言いながら、フィラントは床に落ちた書類を拾い上げた。しなければならないことが山積みだ。
ただ——この街には明日もあの白天使がいる。声と雰囲気だけしか知らなかった頃とは違い、容姿も表情も知ってしまった。
「ふーん。君もそういう顔をするんだな。私は表向き少し敵だから、然るべき時までエトワール男爵令嬢を虐めないとならない。助けてやれ」
「そんな顔? どんな顔ですか? 虐めるって、やめてください」
満面の笑みのレグルスが一気に青ざめた。理由は簡単に予想できる。
「すみません、つい」
「その殺気をお嬢様に放ったらそりゃあ嫌われる。気をつけろ」
「もうそうなりました」
絶望。フィラントはその気持ちをかき消すために、書類仕事に打ち込んだ。
☆
エトワールは寝る前に窓を開いて夜空を見上げた。流れ星は見当たらない。明日はきっと、今日よりもフィラントと話せるだろう。そう信じて、白銀に輝く月を眺め続けた。




