公爵令嬢カタリナの爆速な決断
ベスタス公爵家の豪奢なホール。私とターニャはきらめくシャンデリアの下、給仕の格好をして壁際に立っている。社交に勤しむきらびやかなドレスの海の中で、私たちの纏う質素な白いエプロン姿は背景の一部として溶け込んでいる。狙い通りだ。
私は正体がバレないように、赤い癖っ毛を引き絞って、後頭部できっちりとまとめ上げて、ピッチリと端が立った白いリネンのヘッドドレスをつけた。ターニャもお団子頭に丸眼鏡という、いかにも給仕の女性というスタイル。これで誰にも気づかれずに、社交の様子を間近に見ることができる。
「こんなに美味しそうなものたくさんあって食べれないのは残念だねぇ」
「そう?味が濃いし、冷え切ってて、そんなに美味しいものでもないわよ」
「おぉ〜〜経験者らしいお言葉。さすが元伯爵令嬢」
「ちょっと、こんなとこでやめてよ」
ターニャと小声でおしゃべりしていると会場の喧騒が一瞬、凪いだ。ホール中央の大扉が開き、この晩餐会の主、カタリナ・ベスタス公爵令嬢が姿を現したからだ。参加者の視線が一斉に注がれ、感嘆のため息がさざ波のように広がる。
金色のショートヘアに、涼やかな切れ長の黄金の瞳。貴公子然とした中性的な美貌を、漆黒のドレスが引き立てている。華美な装飾に頼らずとも、仕立ての良い布地が彼女の持つ凛とした威厳とたおやかな美しさの双方を際立たせていた。彼女が静かな動作で会場を見渡したその時、視線がふと私たちのいる隅へと止まる。誰にも悟られない一瞬のアイコンタクト。端正な顔立ちに、微かな笑みが浮かぶのが見える。
「あ、カタリナ様、こっち見てくれた。気にしてくれてるね」ターニャがぼそっと呟く。
「気配りがすごいわね……」
「本当にカタリナ様にお願いして本当によかったよ」
「そうね……彼女でなければ、こんな無茶通らなかったでしょうね……」カタリナ様の悠然たる表情を見て、今朝の顛末を思い起こす。
依頼人アレクセイ・オルロフ侯爵の社交界での振る舞いを自分の目で観察するため、公爵家の晩餐会に給仕として潜入する。その無茶な作戦を実現するために、私とターニャは晩餐会当日の朝、準備で慌ただしいベスタス公爵家へ赴いた。
ベスタス公爵家は、二代前に臣籍降下した王弟の血統を引く王族に近しい至高の家系だ。カタリナ・ベスタス令嬢も、順位こそ低いものの王位継承権を有している。そんな大物のところに乗り込み「今日の晩餐会に給仕として潜入させてくれ」などと直談判するのは、無謀な行為だ。けれど、私の占いの上客でもあるカタリナ・ベスタス公爵令嬢は、気さくで、驚くほど度量の大きな人だ。この無茶苦茶な願いであっても、彼女なら笑って聞いてくれるのではないか――そんな期待を抱かせる魅力が、彼女にはあった。
朝の訪問で、案内されたのは、高い天井の広大な執務室だった。 大きな窓から差し込むさわやかな日の光を背にして、カタリナが涼し気な笑顔で私たちを歓待してくれた。その周囲では、今夜の準備に追われる執事や大勢の使用人たちが、慌ただしく行き来していた。
「おはよう。ミリヤ、ターニャ。今日は晩餐会の準備で朝から忙しくてね。作業しながらで悪いね」
カタリナ様はにこやかに応対しながらも、広い執務机の上の書類に次々と書き込みをしていく。この人の事務処理能力はどうなってるのだろう?
「月定例の占いの日は来週だよね?それを待たずに今朝来たってことは、急な用でしょう?このままで良ければ、今でも話を伺うけれど?」
せっかくの面会のチャンスと公爵令嬢の貴重な時間を無駄にするわけには行かない。私は単刀直入に用件を切り出す。
「お忙しい時に、本当に申し訳ありません……カタリナ様、今晩の晩餐会で、私とターニャの二人を、臨時の下働きの給仕として雇っていただけないでしょうか?」
私の唐突な願いに、周囲の使用人たちの動きがピタリと止まった。カタリナ様は書類にペンを走らせたまま、ちらりと私の表情に視線を向ける。ほんの数秒、部屋が沈黙した。
「申し訳ありません。無理なお願いだということは分かっています……」
私が頭を下げようとしたその時に、カタリナ様はこともなげに答えた。
「わかった。手配しておこう。――ニルス、この二人を本日の晩餐会の給仕スタッフとして配置してくれ。割り振る作業は最低限でいいけれど、怪しまれない程度にはフロアを動く役割を与えてやってほしい」
「はっ。かしこまりました」
カタリナの傍らに控えていたニルスと呼ばれる小柄な青年は、銀色の短髪を下げて、一礼すると、素早く部屋の外へと出て行った。使用人たちもすぐに仕事を再開した。再び慌ただしい空気が室内に戻る。
「あっ……ありがとうございます。でも……り、理由を聞かないんですか?」
あまりの早い決断に驚きながら、間の抜けた質問をしてしまう。
「ミリヤが朝早くから深刻な顔で、私のところに来たのなら仕事のことに決まってる。大事な依頼人のためなのでしょう?それが誰で何の目的でなんて、ミリヤの口から言えるわけがない。そこまで分かってるのに、無理に聞いても悪いでしょう?」
カタリナ様は書類から目を外して、いたずらっぽく笑う。隙無く引かれた口紅が輝いて見える。
「あっ……いえ、その通りです。ありがとうございます!でも、例えば、私がなにか悪事に加担しているとか、そういう可能性も……」
私の言い訳がましい物言いをカタリナ様は遮って
「ミリヤ・ミリヤッドはそんなことしません。大丈夫です」
と少し怒ったような眼で私を見つめて、きっぱり言うので、クラっときてしまった。
「ありがとうございます!なんとお礼を言っていいか……」
私はあわてて頭を下げてお礼を言う。
「お礼ねぇ……」
カタリナはペンを動かすのを止め、顎に細い指を当て、楽しげに目を細めた。
「前から言ってる通り、うちに来て、仕事を手伝ってくれると嬉しいのだけど……もちろん、ミリヤとターニャの二人で」
カタリナは悪戯っぽく、それでいて有無を言わせぬ魅力で笑いかける。
「えっ。あの! それは、その、本当に光栄でありがたいお話なのですが……それはちょっと……」
へどもどして断る私の横で、ターニャも恐縮して固まっている。
「ふふ、冗談だよ」
私の慌てぶりを見て、カタリナは低く心地よい声で笑った。そして、すぐにその涼やかな瞳に真剣な光を灯す。
「でもね、本気でもあるんだ。君たち二人のことは、ものすごーく高く買っている。もの凄く、だよ」
「きょ……恐縮です……」
評価されるのはありがたい話ではあるが、こんな大物貴族のところで働くのはどうしても勘弁してほしい。ただ、カタリナ様がここまで信頼してくださっていることに心安らぐものを感じた。
「あ、そうだ。晩餐会で話しかけないほうが良いよね?無視しちゃうけど、気を悪くしないでね。じゃ、頑張ってね!」
カタリナ様の爆速な決断で、あっさりと潜入の算段が決まってしまったのだった。




