裁判の後
法廷をあとにしてもなお、オルロフ侯爵は私の肩を抱いたまま離そうとしなかった。廊下ですれ違う貴族や役人たちの好奇の視線が突き刺さり、私の顔は果てしなく熱くなっていた。彼の太い腕の温もりがローブ越しに伝わり、歩くたびに心臓が跳ね上がってしまう。せめて視線を遮ろうと、紫のフードを目深にかぶってやりすごす。
(っ……み……みんな見てるじゃない……!)
赤く染まった私の耳に、大きな泣き声が飛び込んできた。
「ミリミリ〜〜っ! 良かったよ〜〜っ!!」
扉の外で待っていたターニャが、丸眼鏡を乱しながら大粒の涙をこぼしている。
「ありがとう、ターニャ! 助かったよ!」
「ターニャ嬢、法廷への案内ありがとう」
オルロフ侯が柔らかに微笑みかけると、ターニャは涙を拭いながら深々と頭を下げた。
「いえ! とんでもありません! ミリミリを守っていただき、本当にありがとうございます!」
そしてターニャは鼻をズビズビと鳴らし、感動に震える声でとんでもないことを口にした。
「うう……っ!ミリミリと離れるのはすっごく寂しいけど……オルロフ侯なら安心して任せられます! ううう……ミリミリ、どうかお幸せにねぇっ……!」
「ちょっとターニャ! 話が早すぎるから!」
慌てて突っ込む私のかたわらで、オルロフ侯が不思議そうに首を傾げた。
「そうか? これ以上ない完璧なタイミングだと思ったのだが……」
「いや、二人ともちょっと待って!どっちにしても 裁判所の廊下で話すようなことじゃないでしょう!?」
「うぅ〜〜っ! 末永くお幸せにねぇ〜〜っ!」
泣きじゃくるターニャの耳に私の抗議は届いていない。溜息をつき、私はふと思い出した疑問を彼に投げかけた。
「……そうだ。閣下はどうして、駆けつけることができたのですか?」
一瞬、彼が何かを引っかかるような仕草を見せたが、すぐにいつもの穏やかな調子で答えてくれた。
「かつて、私に君と会うことを薦めてくれた人物がね。一週間ほど前に、ベルタの居城で君の危機を教えてくれたんだよ」
「一週間前……? 私が館に踏み込まれたのは、昨日ですよ……!?」
一週間前はブレー家の店で買物をする前で、全ての事が起こる前だ。
首をかしげる私に、彼はいたずらっぽく微笑んだ。
「会えばわかるよ。君もよく知っている方さ、馬車の中で待ってくれている。私はこれから役所の面々と今後について話さなくてはならないから、先に彼女と君の館に戻っていてくれ」
彼女と言うことは女性。だが、ここに至っても、心当たりがなかった。
「えっ……どなたでしょう?」
「ふふ、行けばわかるさ」
そう言って片目をいたずらっぽくつぶってみせる。
「……わかりました。お会いしてきます」
「ああ。それと、ミリヤ。ひとつお願いがあるのだが」
「はい? なんでしょう?」
彼から「お願い」をされるのは初めてのことだ。背すじを伸ばして待っていると、彼は気まずそうに視線を泳がせ、耳を赤く染め、お願いを口にした。
「その……『閣下』という呼び方は、やめてくれないだろうか?……伴侶への呼びかけとしては、不適切ではないだろうか……」
「えっ……あ、あの……では、なんとお呼びすれば……」
「いいんだ。二人でゆっくり考えていこう。私も良い呼び方を考えておくよ」
彼は恥ずかしさを誤魔化すようにふっと微笑むと、ようやく私の肩から手を放した。
そして、手を軽く振りながら廊下の奥へと消えていった。私は残された肩の温もりと「お願い」の甘い余韻を味わいながら立ち尽くしていた。親友のすすり泣く音を聞きながら。




