旅の準備と不意の危機
初冬のある日、私は服飾店でボーッと立っていた。
様々な布と、仕立てられた衣装がそこかしこに並ぶ王都でも大きな服飾店。
眼の前で必死に語りかける店員の高い声が、遠くからのささやき声のように聞こえる。
「……ですからお客様……こちらのコートは非常に細かな織りとなっておりまして、寒いところでお過ごしいただくのには最適でございます……お客様?」
「えっ!? あっはい?!」
私は慌てて答えるが、聞こえてなかったのがバレているようで、店員が愛想笑いで取り繕っている。
「こちらのコートはいかがでしょうか?北に行かれるとのことでしたが?」
「えぇベルタまで……」
「オルロフ侯爵領のベルタですか……これから行かれるのでしょうか?もう道に雪が積もっていますから馬車でも二週間ほどはかかるかと。防寒着はしっかり用意されていったほうがいいですよ」
「そうですね……ではその白い服を……」
「いえ! それは室内用の薄手のドレスでございます! お客様!」
「あぁ……すいません……そう私が行くのは北国でした……」
受け答えがおぼつかない私を、店員が心配そうに見つめている。
心ここにあらずと言った感じなのは私もわかっている。この冬の初め、ついにオルロフ侯爵からの招待状が私宛に届いたのだ。夏のあの夜、彼が予告した通りに。ベルタへの馬車のチケットも同封されていた。出発は一週間後。あれから慌てて用意をしているが、どうにも調子が出ない。
「この時期にベルタに行かれるのは珍しいですね? 冬は行き来が難しいので、馬車の手配一つでも大変ですよね……」
「えぇ……先方から招待いただいて、馬車なども手配いただきまして……」
「それはすごいですね!馬車代だけでもかなりのお値段でしょう?!どなたのお誘いですか?」
「それは……」
うっかりオルロフ侯爵の名前を出してしまいそうになるが、慌ててごまかす。
「あっ。いや。ちょっとしたツテで。あっ!そちらのコートよさそうですね。それでお願いします」
慌てて会話を打ち切り、旅装のコートを買って、店を後にした。
この買い物が、後で自分を危機に追いやるとは露ほども思っていなかった。
占いの部屋で旅支度をする。
大窓の向こうの、街の雪景色と曇り空を見る。オルロフ侯爵が初めて来たとき、この窓を褒めてくれたことを思い出す。今思えば、あの時、彼は私の心をノックしてくれたような気がする。
しばらくは占い稼業もお休みだ。念のために商売道具の石だけでも持っていくことにする。樫の木の占い盤は持って行くには重すぎる。テーブルにはオルロフ侯爵の置き土産、銀鎖のネックレスがある。これだけは絶対に忘れないようにしないといけない。
「もう明日には出発か〜」
ターニャが感慨深げに言う。
「いや〜ミリミリがあの完璧侯爵様に見初められるとはねぇ」
「いや、その見初められたと言うか……その招待状をもらっただけだから……」
照れて小声になってしまう。
テーブルの上にある招待状をちらりと見る。
その招待状には、美しい筆跡で短く
「我が居城、天鷲城に貴嬢を招待する。お返事を楽しみにしている」
とだけ書かれていた。
右下にはオルロフ家の紋章である鷲の爪の透かしが入っていた。紙は素晴らしく上質で、ベルガモットの香りがほのかにただよう。彼のさりげない心遣いを感じさせるものだった。
「何度も言うけど、あの時、すっごい良い雰囲気だったからね!」
あろうことか、夏のあの夜、オルロフ侯爵が私に求婚をしたシーンを、ターニャに一部始終目撃されていたのだ。家の前であんなことをしでかしたのだから、見られてもしょうがない。しょうがないとは言え、恥ずかしすぎた。オルロフ侯爵が去って、心臓をバクバクさせているところにターニャが駆け寄って、質問攻めにされたが、あの時は、動転して何も答えられなかった。
「なんかすごいしっとりした感じで……最後、額に口づけじゃん!あぁもうあれはヤバかった。私、死ぬかと思ったわ〜〜」
ターニャは自分の体を抱きしめるようにしてうっとりした声をあげるが、本当に死にそうだったのはこっちだ。
「で、ミリミリ的にはどうするの?」
「……わからない……」
自分が彼の求婚を受け入れれば、私は侯爵夫人になるのだろうか。あれほど嫌っていた貴族社会に戻ることにも実感がわかない。そもそも私は彼をどう思っているのだろうか。
「ミリミリの選択次第だけど……ミリミリが侯爵夫人になったら、この占いの館も閉めることになるのかな?そしたら仕事を探さないとなぁ」
ターニャが寂しそうに言う。
「大丈夫!かならず戻ってくるから!侯爵夫人が占い師やっちゃいけないって決まりはないし!」
「あっ。やっぱり侯爵の求婚を受けるつもりなんだ〜おめでとうございます。ミリヤ様」
ターニャがふざけて拍手をしながら礼をする。
「ばっ!例えばの話!万が一そんな事があっても、私は占い師をやめたりしないってだけ!」
「それはそれは。侯爵夫人の占いの館っていうのも貴族の御婦人向けにウケそう〜〜」
ターニャは両手を頭の後ろで組んで、皮算用をする。
「とにかく、ベルタに行ってくるだけだから安心して。春には戻れると思う」
「了解。それまでここは守っておくよ。今度会うときにはミリヤ・オルロフ侯爵夫人かぁ」
「いや、だからまだ何もわからないって」
「でも待てよ?ミリミリが結婚してオルロフ姓になったら『ミリオル?』『ミリロフ?』なんかゴロが悪いね?」
「ターニャはいつでも『ミリミリ』でいいよ」
いつも変わらないターニャがそばにいてくれることは、私にとってなによりありがたいことだ。
支度がすべて済んで、テーブルの上のアレキサンドライトのネックレスを取り上げ、身につけようとしたその時に、ふと背すじにゾクリとするものを感じた。ネックレスをそっとテーブルに置きなおす。
突然、顔色が変わった私を見て、ターニャが「どうしたの?」と不安そうに聞く。
強い不安。虫の知らせとしか言いようがない。私は旅支度の荷物からしまったばかりの宝石袋を取り出す。
その時、表の玄関を荒っぽく叩く音がした。
「何?!」
かつてのタチアナ嬢が叩いたときとは比べ物にならない暴力的な音に驚いたターニャが扉に向かおうとする。
「ターニャ!出ないで!」
「どうして?」
私はすぐさま袋の中に手を入れ、いくつかの宝石を掴み取り、盤の上に散らした。放たれた石たちは、稲妻のように軌道を変え、世界樹の紋様の上に転がり、未来を告げる。いつになく禍々しい石の輝き。オニキスが黒神にブラッドストーンが白神との境に散る。青瑪瑙とサファイアが冥界で青く光る。
私は石の配置から意味を素早く読み取る。
(不意の危機!仕組まれた罠!二つの青!過去からの悪意と嫉妬!これは……っ)
間違いない。悪意ある危機がそこまで迫っている。一瞬の躊躇も許されない。
「ターニャ!窓から家に逃げて!奴らの狙いは私!私がここにいれば自宅まではこないはず!」
「ミリミリ!?どうしたの?何が起きたの?」
「分からない!おそらく私は拘束される!ターニャは逃げて!」
玄関のドアが無理やり破られる音がした。間を置かずに、占いの部屋のドアが強く叩かれる。眼の前のドアが震え、埃を落とす。
「やだよ!ミリミリが危ないのに放っておけないよ!」
ターニャは泣きそうになりながら私にすがりつく。私は首を振る。
「ターニャは私を助けるために逃げるの。無事逃げることができたら、必ず三人を呼んで!」
「三人?」
「伴侶探しの三人!もう兵がそこまできている!」
「わかった!」
ターニャは潤んだ目を拭うと、ステンドグラスに向かい、その脇の小窓を大きく開け、壁を伝って、隣の我が家へと逃げていった。ターニャが外から窓を閉めた瞬間に、占いの部屋のドアが蹴破られた。
「占い師ミリヤ・ミリヤッド!詐欺の疑いで拘束する!」
兵が大きな声で罪状を言い立てる。




