その方の元へ
占いの部屋のドアを開けると、ちょうどターニャが帰ってきたところだった。
「あっミリミリ。レラ嬢送ってきたよ」
「ありがとう。これから少し出かけてくるので戸締まりよろしく」とだけ伝えて、ターニャの前を横切って、扉に手をかける。
「えっ?!ちょっと?!」
状況が飲み込めないターニャの方にオルロフ侯爵が声をかける。
「すまない。少し彼女をお借りするよ」
「あっ。はい。気をつけて……」とターニャは反射的に言うが、状況が飲み込めず唖然としている。
私は彼に促されて、黒い馬車のキャビンに乗り込む。がっしりとした木組みが、周囲から守ってくれるような空間だった。シートは一つで横並び。大人が二人乗るのがやっとというサイズだった。貴族用の馬車にしてはやや狭い。
「あまり広い馬車ではなくてすまない。いつもは私一人で乗っているものでね」と侯爵は詫びながら、私のすぐ横に座る。深緑の山奥を思わせるような香りが鼻腔をくすぐる。彼の大きな体が車体に入ると、自然と密着せざるを得ない。
「さて、行こうか――その前に一つ伺っても?」
「はい。なんなりと」
「受付の彼女が君のことを『ミリミリ』と呼んでいたけど、いつも皆からそう呼ばれてるのかい?」
このタイミングでの意外な質問に吹き出してしまう。
「いえ、そう呼ぶのはターニャだけです。彼女は小さい頃から私のことを知っているから。ミリヤ・ミリヤッドを縮めて『ミリミリ』と。子供の時からの愛称ですよ」
「なるほど」
妙に感心するように彼は自分の顎を撫でた。
「さて、どこに向かえばいいかな?」
「もう一度、ネックレスを出していただけますか?」
「これでいいかい?」
先程のように銀鎖を握りしめた拳を出す。
先端にはめられたアレキサンドライトが揺れる。
「失礼します」
そう言って、彼の右手に触れるように自分の左手を添える。再び触れる彼の手の温かさにほころんだ口元が見えないように、ローブを引いて精神を集中する。霊力が伝わり、再びアレキサンドライトが回転しだす。
「では先程と同じ様に『その方』を頭に思い描いてください」
石は回転しながら振られ、南の方に強く引っ張られた。
「やはり、南のようです。大通り沿いに南の方に向かっていただければ。」
「レオ!南へ向かってくれ」
とキャビンの小窓から御者に告げる。
「わかりました」
指示に従って馬車はぐるりと向きを変えて、南へ進み出す。馬車が向きを変える間にも石はコンパスのように同じ方向を示し続けていた。
「これは……不思議なものだな……」
「はい。これができる宝石詠みは多くありません」
「ミリヤ……君はどうやってこの技を身に着けたんだい?」
「家が没落して以降、ターニャとふたりで王都に来ました。そのときに『師匠』に会いました。旅の占い師でナスターシャ・ズメイと言います」
『赤い魔女』として知られる、国一番の占い師。
「『あんたには占い師の素質がある』とか言われて、半ば無理やり教えられたんですけど……本当に素養があったようで、短い間に色々教えてもらいました。占い師としての生き方、心構え、技……」
「いい師匠だったようだね」
「えぇ、良い師匠です。あちこち放浪してるのでもうずいぶん会ってないですね……」
懐かしさで眼を細めているうちに、彼の手に触れたままなことに気づいて、ドキリとしてしまう。かと言って、ここで手を離してしまうのも不自然だ。慌てて話題を切り替える。
「アレクセイ様、今向かっている『その方』はどんな人なんですか?」
「……もし、『あの人』だとしたら……破天荒な人……かな……」
(破天荒?あまりイメージがわかないけど……)
その時、宝石の向きに変化が現れた。南方向からわずかに西へと向きが変わる。
「近いです!」
「本当か?」
「西を方角を示しています」
二人が握る銀鎖の先の宝石はその向きを徐々に変え、ある辻で、完全に西を指した。
「その角を左へ曲がってください」
「レオ!次の角を左に!」
馬車が狭い道に入る。
(あれ?この辺、覚えがある……)
馬車が進むうちにパンの香ばしい香りが漂って来た。
夕餉の時間だからというわけではない、焼き立ての香り。
緑にきらめくアレクサンドライトが強く指し示す先には、パン屋があった。私はこのパン屋を知っている。ついこの前、ターニャと来たばかりだ。美味しいという評判のパン屋。
自分でも眼の前の光景が信じられず、両の手でオルロフ侯爵の手を握ったまま呆然としているうちに、馬車はパン屋の前で停まった。
「宝石はこのパン屋を示しています……」と半信半疑で告げる。
オルロフ侯爵も驚いた顔をしてその素朴な店を見つめている。




