気の重い占果
北国ファベルの王都ペトログラド。冬の長い夜を取り戻すかのように、夏の夕日は長く街を照らし続ける。その夕日が、重厚な石造りを彩る可憐なパステルカラーの外壁を一つの赤い色へとまとめ上げていく。占いの部屋の大窓が赤く染まってもなお、私は占い盤に突っ伏したままだった。樫の木の占い盤のゴツゴツした彫刻の凹凸が額にめり込む。額にはひどい跡がついているだろう。
「ミリヤ様。本日の受付を閉めてもよろしいでしょうか?」
受付のターニャが、分厚いドアの隙間からおずおずと声をかける。私はそれに答える気力もなく、突っ伏したまま、僅かに顎を引いて伝える。ターニャはそれだけで察してくれ、そっとドアを閉めた。
左手の親指で、札束の端をパラパラと弾く。侯爵家の紋章の刻印が入った帯で止められたその札束はかなりの厚みを感じる。続いて、右手の人さし指でアメジストをいじる。規則正しいカットの縁が指を冷やす。どちらも私にとって大事なもの。だけど今はどちらも心の重荷でもある。
あぁどうしたものだろう。オルロフ侯爵は何の躊躇もなく200万レザを支払って帰っていった。もちろんお金は大好きだ。ただ、今日ばかりは不甲斐ない結果に対価をもらったことに対して、負い目が拭いきれなかった。
侯爵が去ってから、もう一度だけ占ってみたが、結果は似たようなものだった。「鍵はこの場にある」と。明白な結果が出た以上、これ以上、占いを試すようなことはしたくなかった。
今日の占いではこのアメジストが何度も出てきた。深く神秘的な紫の輝き。このアメジストは私が生家から持ち出せた数少ないものの一つで、愛着がある。ただ、今日の占いでは、この石のせいで卦が読みにくくなってしまった。それが、少し疎ましくもあった。はぁ。とため息をついたところで、ドアが勢いよく開けられた。
「ミリミリー!どうしたー!?元気無いじゃん?!」
ターニャが先程とはまるで違う快活な口調で話しかけ、ずかずかと近づいてきた。黒髪の三つ編みが元気よく揺れる。
「びっくりした!仕事中にその呼び方やめてよ!」
私は体を起こして抗議する。
「もう閉めちゃったよ!私も受付業務終了!」
私の名前、ミリヤ・ミリヤッドを縮めて、「ミリミリ」と呼ぶのは業務時間外のターニャだけだ。ターニャは生家の執事の娘で、私の幼馴染。生家が没落した後に、一緒に王都に流れ着いて、今は二人で占いの館を経営している。
「一日の売上が200万レザって最高記録じゃない?守銭奴ミリヤ様としては、もっと喜んでると思ったけど……」
ターニャはそう言いながら、私の手元の200万レザを手にとって、枚数を数えはじめる。1月分にも近い売上を見て、ターニャの丸眼鏡も喜びにきらめいているようだ。
「私は守銭奴じゃないし。自分の腕で、正当な対価を得て、お金を貯めたいってだけ」
「じゃあ、これも正当な対価ってやつじゃないの?」
ターニャはパチリとお札を弾いて、確認を完了した。
「うう……今回は素直に喜べない……」
「そんなこと言って、しっかり受け取ってるじゃない」
「だって、あの顔でさらっと払われたら断れないわよ……」
「そうね〜完璧侯爵すごかったねぇ。睫毛バチバチの髪の毛サラッサラ!あんな男の人いるんだねぇ?」
私は、目をつぶってオルロフ侯爵の姿を思い出す。その美貌も確かにすごかったが、一番心に残っているのは、覗き込んできた時の、真っ直ぐで儚げな緑の瞳だった。
「で、侯爵閣下は何のご用事だったの?」
ターニャの質問にどう答えるべきか詰まってしまう。受付兼秘書のターニャとは依頼内容をいつも共有している。ターニャの口は堅く信用できる。噂話が好きではあるが、それはそれ。ただそれでも今回の件はどこまで言えば良いのか悩ましかった。かと言って、何も言わないのも不自然だ。
私は頭を覆うローブを払って、自分の赤い癖っ毛をすいてかき上げる
「えっと。言うまでもないけど、外には秘密ね」
「もちろん!」
ターニャは自信たっぷりにうなずく。
「オルロフ侯爵は……その……伴侶を探しているんですって」
「伴侶って……結婚相手ってこと?」
「そう」
「へぇ――っ!」
ターニャは意外そうに声を裏返らせた。
「あの完璧侯爵なら、それこそ王都中のどの令嬢でも、隣国の王女でもよりどりみどりでしょうに。引く手あまたなんてレベルじゃないよね?」
「そう。そこなのよねぇ……」
私は両目を瞑り、天井を仰ぐようにして頭を巡らせる。オルロフ侯爵が時折見せた、どこか翳りのある表情が脳裏をよぎる。
「でもさ、侯爵ともなれば普通は政略結婚でしょう? 恋愛云々より、立場と家の利益の方がよっぽど大事なはずじゃない。それがなんでまた、わざわざ王都の町の占い師のところに相談を持ちかけてきているわけ? なんだか恋する乙女みたいで、ちょっと面白いけど」
恋する乙女、というのはさすがに言い過ぎだろうと、心の中でツッコミを入れる。けれど、彼女の疑問はもっともだった。少し話しただけでもオルロフ侯爵が聡明で合理的な人だというのは分かった。その様な人が、生涯のお相手探しで占いを頼るというのは不自然な話に思えた。
「うーん。私もそこまではわからないけれど……何か、切実な事情はありそうなのよね……」
私は、椅子に背を預け、腕を組んで、今日、侯爵が訪問した時のことを思い出す。




