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推し令嬢は息を切らす

 占い部屋への分厚い扉をノックをして、ノブを押して開け、「どうぞこちらへ」とオルロフ侯爵を案内する。奥の椅子に座るレラ嬢が「ひッ!」と引きつった声を出しながら、立ち上がった。彼女の顔色は真っ白で、硬く、どういう感情なのか読み取りにくい。眼は限界まで見開かれていて、一見恐慌状態にも見える。

 オルロフ侯爵を部屋の中央に案内し、レラ嬢を紹介する。レラ嬢は前回の来訪と同じ、飾りのないストレートな白いドレス。左手首には緑の細いシルクリボンをつけている。地味な衣装ではあるが、華美ではなく、印象はいいだろう。

「こちらがレラ・サヴァン侯爵令嬢です。サヴァン家の邸宅はここから近いので、先にいらしてもらいました」

「サヴァン侯爵家が末、レラ・サヴァンでございます……アレクセイ・フォン・オルロフ侯爵閣下、おひお日柄もよく、ご……ご尊顔を拝し奉り……きょきょ恐悦至極です」

 操り人形のように手を硬直させながらのぎこちないカテーシー。口上は硬すぎてよくわからないが、とにかく挨拶はできた。

「レラ・サヴァン嬢ですね。はじめまして。アレクセイ・フォン・オルロフと申します」

 オルロフ侯爵は右手を胸に当て、手慣れた挨拶を返す。

「ひッ!」

 レラ嬢はドレスの胸のあたりを掴んで、椅子に腰を落としてしまう。

「ぶ……無作法を……すいません……ちょっと呼吸が……」

 過呼吸気味の彼女を見かねて、そばに駆け寄って介抱する。

「レラ様……落ち着いてください。ゆっくり息を吸って……そう……吐いて……」

「すいません……すいません……」

「大丈夫ですか……?」

 オルロフ侯爵も心配げに覗き込む。

「ひっ……はっ。そんな見つめていただくなんて……そんな……すいません……すいません……」

 わずかに落ち着いたレラ嬢の呼吸がまた速くなってしまう。オルロフ侯爵と距離を取らないとまずそうだ。

「オルロフ侯爵閣下、大変申し訳ありませんが、そこの窓を開けていただけますか?」

 公爵閣下に指示して、小間使いのように窓を開けさせるなんてとんでもないことだが、この状況ではやむを得ない。

「いいとも。ここかい?」彼は軽く請け負ってくれ、窓に近寄った。

「そう、そこのステンドグラスの飾り窓です。そこを押すと開くようになってます。少し開けるだけで結構です。ありがとうございます」

 夏の爽やかな午後の風が、流れ込んで来る。

「あぁ……これはいい。レラ嬢も落ち着くでしょう」

 彼は後ろでまとめた黒髪を振って、穏やかに振り返った。鮮やかな青い空を背景にしたその姿があまりに美しく破壊力があったので、ドキリとしてしまう。

(これは……まずい……レラ嬢の心臓にも悪そう……)

が当のレラ嬢は呼吸を整えるために下を向いていたので、反応はなかった。

「すいません……落ち着いてきました……」とレラ嬢は喘鳴しながら言う。

「それは良かった……大丈夫ですか?」

 オルロフ侯爵は椅子を引いて少し距離を取って座った。あまり近いと彼女に良くないと思っての心配りだろう。

「はい……本当に無作法で申し訳ございません」

 レラ嬢は、ブラウンのストレートヘアーを下げて、陳謝する。

「いえいえ、気になさらず」

 私も椅子に座り、場を取り持つ。

「では、改めて、ご紹介させていただきます。こちらはレラ・サヴァン侯爵令嬢。とても誠実かつ純粋なお方で、以前からオルロフ侯爵をお慕い申し上げているとか……」

「えっ。あっ。はい。すいません。私みたいな人間が勝手に閣下をお慕い申し上げているとか、気持ち悪いですよね……すいません」

「……そんな……あなたのように美しい方に、好意を持っていただけて嬉しく思いますよ」

 にこやかに返す侯爵。その応対は晩餐会で見たのと同じく、そつのないものだった。

「……あり……ありがとうございます……」

 レラ嬢は頬を染めて下を向いて黙り込んでしまった。

 窓からの風がそよぐ。

 うつむくレラ嬢とにこやかに座るオルロフ侯爵。

 沈黙の時が続く。

(は……話が弾まない!)

 沈黙に耐えかねて私はレラ嬢に促した。

「レラ様はオルロフ侯爵のどういうところを好ましく思われているんですか?」

「それは……」

「照れますが、伺ってみたいですね」

 オルロフ侯爵もほほ笑みを浮かべてうながす。

「そ、それは……! どこが好きかなど、私ごときが述べるのも僭越ですが……まず何と言ってもその至高なるお姿!! 冬の夜を溶かし込んだかのような艶やかな黒髪!きらめく翠玉のように深く透き通る瞳!神々が大理石から丹念に削り出し、刻み込んだかのような完全なる造形美!瞬きするたびに世界が震える長く優美な睫毛に、太陽のように眩しすぎる笑顔!そして洗練されたお召し物の上からでも映える、逞しくも繊細で、完璧な黄金比の奇跡の体躯!!」

(めっちゃ喋るじゃん……)

 一気呵成に出てきた美辞麗句に、私もオルロフ侯爵も面食らう。

「その優美至高の外見に加え、ファベル王国において王家に次ぐ至高の家格と領土を有しながら、派閥に与することなく孤高の存在として社交界に君臨されるオルロフ家。若くしてその当主という重責を一身に背負い全うされているそのお姿! 社交界の誰もが憧れ、平伏し、拝みたくなるような気高き佇まい!! 存在そのものがこの国の、いいえ人類の至宝であり奇跡であるというのに、令嬢たちにも分け隔てなく振る舞うそのお優しさ!!その全てが素晴らしいです!」

 レラ嬢は長口上を一気に口にすると、下を向いて、はぁはぁと呼吸を整えた。あまりの緊張と興奮で、手が震えているのが見て取れる。どうしたものかとオルロフ侯爵を見て、彼の異変に気づいた――さきほどと変わらず笑顔ではあったが――その緑色の瞳から光が失われているのだ。暗い洞窟の苔のように、光を照り返さない仄暗い目の色は、私が初めて目にするものだった。

 背筋がゾクリとする。

 ふと晩餐会のときの令嬢同士の諍いのシーンを思い起こす。彼が発端でおきた諍いを前にして、肩が僅かに落ちているように見えた。あの時も、今と同じ目の色をしていたのだろう。ひどく落胆したような疲れた表情。

 あぁ、しまった。私は分かっていたのに、彼にひどいことをしてしまった。

 なおも息を切らすレラ嬢に近づいて、肩を抱いて声をかけた。

「レラ様、ご体調が優れないようですので、今日はここまでにして、少し休まれては?」

 彼女は「えっ?はい?」と意外な顔をしたものの頷いた。緊張状態で消耗しているには間違いないだろう。受付のドアを僅かに開け、ターニャに声を掛ける。

「ターニャ。レラ嬢の体調が優れないようなので、ご自宅までおくって差し上げて!」と声をかける。営業時間外のターニャもこの時ばかり「わかりましたミリヤ様」と答えた。


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