早朝のお見合い
早朝。北方王都ペトログラドの夏の日がさす時間はとても長い。すでに陽は高く昇っているものの、窓越しに見える通りには人影はない。その静寂のなか黒い馬車が、静かに近づいてくるのが見えた。太い車輪と、密に組まれた樫のキャビン。華美な装飾を排した重厚で質の高い造りが、乗っている人物の高貴さを表していた。一方で、車体には家を示すバナーは掲げられていない。 つまり、お忍びでの来訪ということだった。
黒い馬車は占いの館の前に止まり、キャビンから、オルロフ侯爵が姿を現した。いつもの緑の礼服ではなく、目立たぬ黒いシャツを着ている。私は素早くドアを開け、館の中へと案内する。そのドアを閉めた時には、既に馬車は再び動き出していた。朝日が差し込む受付で、私は挨拶をする。
「ようこそいらっしゃいました。オルロフ侯爵」
「おはよう。ミリヤ」
彼は夏の朝日より眩しい笑顔で挨拶をする。
占いの部屋へ続く扉の向こうには、既にカタリナ様が待っている。いつもはターニャの城である受付だが、極秘のお見合いということで、今日は無理を言って、私だけで対応することにした。ターニャは隣の家でまだ寝ているはずだ。
「オルロフ侯爵閣下、早朝にお呼びたてして、申し訳ございません。また、先日の晩餐会では失礼いたしました」
「いやいや、ミリヤ。あの時はこちらこそ失礼した。事情も知らずに声をかけてしまって……」
彼は手を首にあて、申し訳なさそうに言うが、事情と言っても閣下の動向を盗み見るためだったのだから、失礼なのはどう考えてもこっちの方だ。
「いえ、お気になさらず……」
気にしないでほしいのは本心だ。できれば忘れてほしい。
「ところで今日はカタリナ・ベスタス公爵令嬢からのお声がけと聞いているが?」
「はい。すでに中でお待ちです」
「ありがたい。この前の晩餐会でお話できることを楽しみにしていたが、なかなか二人でお話する機会がなく、残念に思っていたところだったからな……」
オルロフ侯爵が嬉しそうに言うのを聞いて、心の奥底で微かなざらつきを感じる。
「カタリナ様もオルロフ侯爵とお話しできるのを楽しみにされているとおっしゃっていました。では、そちらのドアからお入りください。カタリナ様の馬車が来るのは一時間後とのことです」
「承知した。ありがとうミリヤ」
彼は白い歯を見せてにこやかに礼を言って、黒い長髪をなびかせて、ドアの向こうに消えていった。占いの部屋と受付を繋ぐ分厚いドアは、一たび閉じてしまえば、お互いの部屋の声を通さない。相談者のプライバシーを守るため仕掛けだ。そのことを誰よりも知っているが、今日ばかりは、その事実が、もどかしく感じる。
受付で立って待つが、すぐに時間を持て余す。まだ三分も経ってない。二メートルくらいの幅の細長い空間。奥のカウンターに近づく。カウンターの向こうの棚には顧客ごとの書類がきちんと整理されている。いつもならターニャがニコニコ立っている場所だ。ターニャがいてくれれば、おしゃべりができて気がまぎれるのにと思うが、中で二人がお見合いしている間に、余計な噂話をするのも職業倫理上どうかと思う。いや、そもそもこのお見合いは私の仕事なのだろうか?少なくとも占いではない。ただ、私が侯爵に「お相手を見つけます」と言った以上は、これも私の仕事のような気がする。
とりとめもないことを考えていたが、お見合いが終わるまでまだまだ時間がある。窓から差し込む朝日はゆったりしていて、時間が進むのをもどかしく感じさせる。手持無沙汰のまま、受付の前の横長のソファに座って、フードを外す。考えてみたら、今日は占いをするわけではないので、フードを被る必要はなかった。この前の晩餐会でのお二人が会話したシーンを思い出す。至高の公爵令嬢と孤高の侯爵。お二人ともとても美しく、聡い方だ。単に賢いというだけでなく、人の想いや弱さも理解してくださる、本当の意味で貴族の精神を体現されている。あのお二人なら似合いだろう。その甘いはずの想像が、自分の胸の中で像を形作らない。気づけば、自分は奥歯を食いしばっている。何故だろう?
閣下は「家は大切だがそれだけではない」と言った。そう言いながら結局、屈指の名家であるベスタス公爵家を選んでしまうのだろうか。カタリナ様は素晴らしいお方だ。この素晴らしい家柄同士の結婚は、国でも注目を浴びる。国を挙げての結婚式になるに違いない。国の人々は「この婚姻を取り持ったのは誰だ?」「王国一の占い師ミリヤ・ミリヤッド嬢らしいぞ」と口々に噂する。そして私の占い師としての名前は頂点に達する……それこそ私の望むところ……
ふと不思議なことに気づいた。これだけ自分の都合のいい未来を想像しているのに、自分の心が躍ってないのだ。何か、肌触りの悪い麻袋を触っているような、乾いてざわざわして、ちくりと刺すような感覚。両手で顔を覆ってから、ゆっくりと離して、掌を見る。自分の心のざわつきに当惑していると、館の玄関のドアをノックする音が聞こえた。
「はい」そう答えて、ドアを開けるとそこには、黒い短髪の青年――べスタス公爵家の若き執事ニルスが立っていた。
「おはようございます。そろそろ会談が終わる頃合いですので、お迎えに上がりました」
そう言うニルスの背後には白い小ぶりな馬車が見える。
「はい。そろそろ終わるかと思います。中でお待ちください」
「では、失礼します」
そう言って頭を下げ、ニルスは受付に入る。私より少し小さいくらいの男性にしては小柄な青年だった。いつも黙々と仕事をしているところしか見なかったが、今日は声色に棘があるように思える。
「あの……ニルスさん……」
「はい。なんでしょう」
やはり、その声にはいつもと違ういらだちがあるように聞こえた。先日、晩餐会を途中で退出した件を気にしているのかもしれない。一声かけたとはいえ、急な撤収は迷惑をかけたろう。
「先日の晩餐会では失礼いたしました」と頭を下げてお詫びする。
ニルスは少し考えるような間を取った後、
「いえ、カタリナ様の命ですのでお気になさらず」とさらりと答えた。
「そうだ。お借りした給仕服もお返ししなければいけないところでした」
「いえいえ、気になさらず」
その柔和な声にはいら立ちは一切、感じられなかった。それを疑問に思って、次の言葉をかけようとしたときに、占いの部屋の扉が開いた。出てきたのはカタリナ様。
「「カタリナ様!」」
ニルスと私は声をそろえて答えてしまう。
カタリナ様は見るからに上機嫌で
「おお。二人とも。待たせたな」
と声をかけた。




