侯爵閣下すぐ気づく
金髪のショートカットを輝かせ、深い森の清流のように黒いドレスをまとったこの夜会の主、カタリナ・ベスタス公爵令嬢に「私に免じて、ここは収めていただけないだろうか?」と言われて引き下がらない人間はこの国にはいない。ピンクと白の令嬢は顔を赤くして「失礼いたしました……」と縮こまり、そそくさとその場を去っていった。
(さすがカタリナ様……格が違いすぎる……)
私はその品格に惚れ惚れしてしまう。周囲の人々もその優雅なさまをうっとりとして見つめていた。諍いから解放されたオルロフ侯爵がカタリナ様に近づいて、礼を言う。
「カタリナ・ベスタス嬢。ご丁寧な対応、痛み入る。助かりました」
「いえいえ、オルロフ侯の久々の社交の場となれば、このような事態は想定の範囲。こちらの配慮がいたらず失礼しました。なにとぞご容赦を」
目をつぶって、その金髪を軽く下げる。
「とんでもない。私も素晴らしい宴を楽しんでおります」
深緑のジャケットを纏った「完璧侯爵」と、漆黒のドレスを着こなす王子様系公爵令嬢の優雅なやり取り。ここに割って入る蛮勇を、列を成していた令嬢たちは持ち合わせていないようだった。
(やっぱり、オルロフ侯爵の伴侶ともなると、カタリナ様くらいの格が必要なのかしらね……)
そんなことを考えているうちに、トレイに乗せられた最後の飲み物が出払う。ちょうどキリがよいタイミングだ。
(オルロフ侯爵の社交界での振る舞いと、カタリナ様とのやり取りが見れたから、まずは十分かな……まずは一回バックヤードにもどってターニャと合流して……)
空になったトレイを縦に抱いて、その場所を離れようとした、その時。
「君!」
背後から、低い声で呼び止められた。びくり、と肩が跳ねる。それは間違いなくオルロフ侯爵の声だった。私はただの地味な、背景の給仕です。心のなかで言い訳して、振り返ることもなく、そのまま立ち去ろうとするが、彼の大きな歩幅がそれを許さなかった。わずか数歩の距離にオルロフ公爵がいる。
「な、ななな……何事でしょうか、閣下?」
私は銅のトレイで顔を隠しながら、裏返った声で答える。
「あぁ、やっぱりミリヤじゃないか。こんなところで、一体何を?」
(いやあああああああああ!!!!!)
私は脳内で大絶叫した。閣下の視界には入らないようにしていたし、地味な給仕の衣装なら分からないはずだった。赤い癖っ毛はきっちり押さえつけて、ヘッドドレスとエプロンでわからないはずなのに?!なんでバレてるの!?
「だ……誰かとお間違いではないでしょうか、閣下? わわわ私は『アメリ』というただの給仕でして……」
必死の裏声で誤魔化す。
「いや、君はミリヤ・ミリヤッド嬢だろう? ……ああ、すまない。声をかけてはまずい状況だったかな?」
オルロフ侯爵は逆に申し訳なさそうな顔をする。
「あの、その、すいません! ちょっと、本当にワケアリなんで!お願いですから、今夜のことは絶対に秘密にしておいていただけますか!?」
私はトレイで顔を隠したまま、早口で言い立てると、足早に人混みをすり抜け、バックヤードへと逃げ込んだ。
(秘密にしてって言っちゃったけど!一番バレたくない相手にバレたら意味が無いんですけど!)
顔を真っ赤にしてバックヤードに駆け込む。
(なんでなんで?なんでわかったの?)
バックヤードの冷たい壁に背中を預けている私のところに、ターニャがやってきた。
「ミリミリ……じゃなかったアメリ! どうしたの?何かあった?」
「……うう、バレちゃった……」
私はこらえきれずに両手で顔を覆う。
「何が?」
「オルロフ侯爵に声かけられた……」
「ええーっ!? 変装してたのに!?」
ターニャが丸眼鏡に手をやりながら、素っ頓狂な声を上げる。
「とりあえず聞く分には聞けたから引き上げましょう!」
熱くなった自分の両頬を両手で押さえて、平静を取り戻そうとする。当の本人にバレた以上ここにいるわけにはいかない。近くにいた執事のニルスに礼を言って、ベスタス公爵邸から逃げるように飛び出した。私とターニャは、給仕姿のまま夜の街を駆けて――私たちの占いの館――の隣の我が家へとたどり着いた。小走りが続いたので、ふたりとも息を切らせている。
「はぁ……はぁ……ようやく家についた……潜入作戦は……うまく行ったのかな……半分は成功?」
ターニャが息を切らせながら、ドアの扉を開く。二人とも倒れ込むように我が家に入る。
「……いや正直八割くらい失敗だったかも……」
私は微妙な成果を悔やみながら、扉を閉めて戸締りをする。扉がしまったのを確認すると、息を吐き出しながら、その場にへたり込んでしまう。
「あぁ……もう、心臓が止まるかと思った……!」
「お疲れ様〜〜変装は完璧だったのに、なんでバレちゃったんだろうねぇ?」
へたり込みながらお互いの給仕服を見る。二人とも完璧に給仕に見える。むしろ給仕が夜の街を駆けていたことのほうが怪しまれそうだ。
「わからない。話を聞くのも背後からにしてたし、顔を見られたタイミングないはずなんだけど……」
しゃがみながら頭を抱える私に、ターニャは「まぁまぁ」となだめるように言った。
「とにかくバレちゃったのはしょうがないね……どうだった話は聞けた?」
ターニャがテーブルの椅子を引いて、腰掛けながら尋ねてくる。
「ある程度は聞けた。ただ、なんというか……普通だった。何か悩みがある風でもなく、普通に話してたって感じ」
「そっか……社交界で人気なんだからうまく話すよね……でも作戦は立てにくいね……」
「ただ、かなり慣れてたから、あぁいう夜会でお会いする令嬢がお相手にはならないのかも……あんまりうまくいく感じがしないから」
「それはそうねぇ」
ターニャが座ったまま丸眼鏡を上に向ける。
「ところでターニャ、カタリナ様が令嬢の諍い止めるの見てた?」
「見てた見てた。カタリナ様、カッコよかった〜周りの令嬢も目がキラキラしてたよ」
「あの後、オルロフ侯爵とカタリナ様が少しお話してたんだけど、やっぱり二人とも格が違うって感じだった」
「あぁ〜それは近くで聞きたかったなぁ」
「オルロフ侯爵が家格とかはそこまで気にしないようなこと言ってたんだけど、やっぱり、格ってあるのかなぁって思って」
頭に、先程の絵画のような二人の姿が思い浮かぶ。オルロフ侯爵に釣り合う人にはそれほど多くないのかもしれない。
「それはそうかもね……」
「侯爵のお相手探しも、私のつてのあるふさわしそうな方から相性を探っていくしか無いかな……時間かかりそうだから、このひと夏で間に合うかわからないけど……」
「地味だけど、それしかないかもねぇ」
「とりあえず今日の作戦はこれでおしまい!来週、カタリナ様にお礼を言いましょう」
「了解!給仕服洗っておくね!」
ターニャは敬礼して着替えるために寝室に向かった。こうして強引に進めた夜会潜入作戦は微妙な成果をもたらして終わりを告げた。




