王の秘密(1)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第五章
聖都エークレイアには、まだ、静かな不安が残っていた。
ユラギが現れた夜から、二日が経っていた。
盗まれた記録は、結局見つからなかった。
第五軍という名前だけが、四人の中に、重く沈んでいた。
朝、図書館に集まったのは、いつもの五人だった。
グローワ、ミレナン、エルク、リア、シュウ。
机には、新しい巻物が並んでいた。
グローワは、その一つを開きながら、静かに語り始めた。
「召喚術の歴史を、続けて話そう」
「お願いします」
ミレナンが、手帳を構えた。
「百年前、召喚術はエルフのみが扱える技術だった。我々が研究し、我々が運用していた。だが、後に、人間にも伝わった」
「人間に?」
「レグルス王家だ」
グローワが言った。
その一言に、リアの肩が、わずかに動いた。
「レグルスは、召喚術を、ほぼ独占した。王家だけが扱える知識として、囲い込んだのだ」
「王家が……?」
ミレナンが聞いた。
「知識は、権力になる」
グローワが、静かに言った。
リアは、何も言わなかった。
だが、その目には、明確な驚きがあった。
自分が知っていたレグルスの歴史と、今語られたものは、どこか食い違っていた。
王家が、世界を守るために召喚術を扱っているという話と、知識を独占し、権力として利用してきたという話。
その二つの間に、リアはまだ、橋を架けられなかった。
グローワは、それ以上、深くは語らず、再び古い封印書庫の整理を始めた。
しかし、その整理の最中、グローワの手が止まった。
「——また、消えている」
「また?」
エルクが聞いた。
「召喚術の起源に関する資料だ。先日確認した時には、まだあった」
エルナトでも。
エークレイアでも。
同じように、勇者の記録だけが、静かに消えていく。
「誰かが、ずっと消し続けている」
ミレナンが言った。
「五十年間」
グローワが答えた。
エルクは、窓際に立ち、魔導双眼鏡を手に取った。
レンズを通して、巨樹を見上げる。
樹の根元、地表のさらに下、見えるはずのない場所に、微かな魔力の流れがあった。
地下へ向かう、古い痕跡。
何かが、ずっとそこに眠っているような感覚だった。
「グローワ様、これは——」
「今は、別の真実が動いている」
グローワは、それだけ言って、これ以上、その話を続けようとはしなかった。
エルクは、双眼鏡を下げ、何も言わずに、その言葉を受け止めた。
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同じ頃、レグルス聖王国。
軍務卿ライディスは、王都に帰還していた。
ヴァルガンから戻ってすぐ、休む間もなく、戦後処理に忙殺された。
戦死者の名簿を整理し、負傷兵の救護所を視察し、王都の防壁の再建計画に目を通す。
机の上には、書類が、いつまでも積み重なっていく。
それでも、頭の片隅から離れない光景があった。
北部の門。
魔王。
ノクト。
そして、あの思念体。
輪郭がぶれる、半透明の存在。
あれが何だったのか、ライディスはまだ、自分の中で答えを出せていなかった。
そして、もう一つ。
あの夜、王に報告した時のことだった。
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謁見の間には、燭台の灯りだけが、静かに揺れていた。
「ヴァルガン北部の門、完全に開放されました」
ライディスは、淡々と報告を続けた。
「魔王軍三軍の被害、味方の損耗状況、すべて報告書にまとめてあります」
王は、それを聞いていたが、被害の数字には、ほとんど興味を示さなかった。
代わりに、身を乗り出すようにして、別のことを聞いた。
「門は、どこまで開いた」
その問いに、ライディスは、わずかに違和感を覚えた。
「完全開放です。空間そのものが、裂けました」
「魔王は、何を語った」
「世界線の融合について。世界を終わらせ、やり直すという思想です」
王は、その答えに、小さく頷いた。
驚いた様子は、まるでなかった。
「思念体は、何を見せた」
その言葉に、ライディスの背筋が、わずかに冷えた。
思念体。
ライディスは、報告書の中で、その存在を「思念体」と表現してはいなかった。
ただ「魔王と思われる存在」とだけ記していたはずだった。
それなのに、王は、その言葉を、自然に使った。
「……陛下は、思念体について、ご存知だったのですか」
ライディスが聞いた。
王は、少し笑った。
燭台の灯りに、その笑みが、奇妙に歪んで見えた。
「報告書に、そう書いてあったのではないか」
「いえ。私は、そのような言葉は——」
「気のせいだろう」
王は、それ以上の問いを許さない口調で言った。
「下がってよい。よくやった、ライディス」
ライディスは、頭を下げ、謁見の間を出た。
廊下を歩きながら、ライディスは、何度も、自分の報告書の文面を思い返していた。
確かに、思念体という言葉は、書いていなかった。
だが、王は、それを知っていた。
王は、知っている。
その確信が、ライディスの中に、静かに、しかし深く、根を張った。
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その夜から、ライディスは、独自に調査を始めた。
軍務卿という立場は、王城のほとんどの資料室への立ち入りを許されていた。
それを使い、夜遅くまで、過去の記録を読み漁った。
王城資料室。
軍務省の文書庫。
そして、ほとんど立ち入ったことのない、王家禁書庫。
過去の勇者召喚記録。
失われた資料の目録。
閲覧禁止文書の一覧。
その中に、見覚えのない単語が、何度も出てきた。
「門接続計画」
「世界歪曲理論」
「異界召喚——王家極秘」
ライディスは、それらの文書を、一つずつ机の上に並べた。
燭台の灯りの下、古い紙の匂いが、部屋に満ちていた。
「すべて、王家主導……」
ライディスは、思わず呟いた。
召喚術の運用。
門の研究。
世界の歪みに関する理論。
それらすべてが、表向きの「国家を守るための研究」という名目とは別の、もう一つの目的を持っていた可能性が、文書の端々から見えてきた。
「なぜ……」
ライディスは、長い間、その文書を見つめていた。
さらに調べを進めると、別の事実にも行き当たった。
エルナトの勇者記録消失。
古い召喚資料の抹消。
五十年前の、奇妙な記録の欠落。
それらは、別々の出来事として、これまで処理されてきた。
だが、ライディスの目の前で、それらは、一本の線として繋がり始めていた。
すべてが、王家に繋がっている。
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ライディスは、燭台の灯りを見つめながら、自分の過去を思い出していた。
七歳の弟を亡くした、北方の村。
火に包まれた家々。
何もできなかった、あの夜。
王都へ連れてこられたライディスを、王は、自らの手で迎え入れた。
当時の王の顔を、ライディスは、今でも覚えている。
今よりも、ずっと若い顔だった。
そして、その目には、確かに、優しさがあった。
「世界を守れ」
「勇者を守れ」
「正義を貫け」
王は、そう言った。
その言葉を、ライディスは信じた。
心の底から、信じた。
だからこそ、勇者召喚の制度に、誰よりも真剣に向き合った。
だからこそ、軍務卿として、人命を数字として扱うことすら、必要な犠牲だと自分に言い聞かせた。
だからこそ、エルクを追跡した。
すべては、王の言葉を、正義だと信じていたからだった。
しかし——
その正義は、本物だったのか。
机の上に並んだ、王家極秘の文書を見つめながら、ライディスは、初めて、その問いを、自分自身に向けていた。




