聖都エークレイア(2)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第五章
図書館は、街の中心、巨樹の根元に建っていた。
エークレイア古代図書館。
白い石造りの、ひときわ大きな建物だった。
入り口の柱には、古代文字の彫刻が刻まれ、長い年月を経た苔が、その溝に沿って緑色に滲んでいた。
扉をくぐると、四人は揃って足を止めた。
天井は、見上げても終わりが見えないほど高かった。
無数の本棚が、壁面を覆うように何層にも連なり、その間を、縄梯子と渡り廊下が複雑に結んでいた。
光は、高い窓と、天井近くの隙間から差し込み、本の埃を、金色に照らし出していた。
古い紙とインクの匂いが、空気そのものに溶け込んでいた。
「すごい……」
ミレナンが、声を震わせた。
「これが、世界最古の図書館……」
彼女は、すぐに近くの本棚へ歩み寄り、表紙だけを見て、目を輝かせた。
「これ、古代エルフ語の原典です。エルナトでは写本しか見たことがなかった……」
「これはすごい、古代エルナト語と古代エルフ語の文法です。これをマスターすればエルフ語が読める」
「これは古代魔法体系ですね、へー、面白い。」
「魔王や勇者に関わるものは見当たらないですね」
「これは結界の作り方ですね、封印施設もこうなってるのかもしれません」
ミレナンはあちこち歩き回り呟いていた。
「歴史書は時系列はバラバラですね、わかりづらいですね。」
「えっとこれは…」
「ミレナン、落ち着け」
シュウが苦笑した。
「いや、これは落ち着けません」
ミレナンは、棚に並ぶ本を、一冊一冊、指でなぞるように見て歩いた。
研究者としての顔だった。
旅の仲間としての顔とは、また少し違う顔だった。
「あいつ、本当に楽しそうだな」
シュウが、リアに言った。
「お前は、興味ないのか」
「専門的すぎる。」シュウが言った。「そもそも古代語、読めない」
「私もほとんど同じだ」
シュウが、近くの本を一冊取って開いてみたが、すぐに閉じた。
「いやー。こりゃダメだ。わからん」
エルクも、本棚を見上げながら、似たようなことを感じていた。
ここにある知識のどれだけが、自分たちの探している答えに繋がっているのか、見当もつかなかった。
魔王のこと。
勇者のこと。
それを知りたくて来た。
だが、この量の中から、どうやって必要な記録を見つけるのか。
「——どうすれば、必要な記録が見つかるんだ」
エルクが、誰にともなく呟いた。
「アルテフェイン様の紹介状があれば、閲覧が許可されるはずです」
ミレナンが、本から目を離さずに答えた。
「私が持ってます。先生が、念のためにって」
「念のため、というのは大体当たるよな、アルテフェインの場合」
シュウが言った。
「先生は、いつも先を見てますから」
ミレナンが、鞄から羊皮紙を取り出した。
封蝋には、エルナトの紋章が刻まれていた。
「これを、案内の人に出せば——」ミレナンが言いかけた。
「いや、その必要はない」低い声が、奥から聞こえた。
四人は、揃って声の方を向いた。
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本棚に囲まれた一角に、数人の若い司書が並び、その前に一人のエルフが立っていた。
「並べる必要はない、記録は、単純に時系列で並べてはならぬのだ」
低く、よく通る声だった。
歳月を重ねた者特有の、ゆっくりとした、しかし芯のある声音だった。
「勇者本人の証言、目撃者の証言、結果として記された歴史——これらは、しばしば食い違う。それを一つの時系列に押し込めれば、矛盾だけが残ろうぞ」
「ですが、グローワ様。閲覧者の多くは、時系列の方が理解しやすいと——」
「閲覧者の都合と、真実の都合は、別の話であろうな」
グローワと呼ばれたエルフが、静かに言い切った。
銀の長い髪。
長い耳。
簡素だが、仕立ての良い深緑の衣装。
静かな佇まいのエルフの女性だった。
見た目は人間で言ったら30歳から40歳くらいに見えた。
だが、その目だけが、見る者に「これは長い年月生きている」と確信させる、深い歴史の光を帯びていた。
「記録は、未来へ残すために存在する。整理しやすさのために、真実を削ってはならぬ。知識を失うことは——」
そこで言葉を切り、司書たちを見渡した。
「文明の死だ」
司書たちは、緊張した様子で頭を下げた。
ミレナンが、隣で小さく声を漏らした。
「あの人……」
「知ってるのか」
「エークレイア最高の学者。召喚研究の権威。グローワ様です」
その名前に、エルクの胸の奥が、わずかに緊張した。
近くを歩いていたエルフの女性が、四人の様子に気づいて、足を止めた。
「人間が来るのは、珍しいんですか」
ミレナンが、ふと声をかけた。
「珍しいというほどではない」
エルフの女性は、柔らかく答えた。
「だが、勇者の一行が来るのは、久しいことだ」
その言葉に、四人は顔を見合わせた。
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グローワが、ふと顔を上げ、入り口に立つ四人を見た。
すぐには何も言わなかった。
驚いた様子もない。
ただ、観察するような視線が、四人の上を一度なぞった。
「申し訳ありません、グローワ様。来客があるとは——」
司書が慌てて声をかけた。
「よい」
グローワは手で制し、ゆっくりと四人の方へ歩いてきた。
足音は、ほとんど聞こえなかった。
「——ヴァルガンから来た、残響の継承者か」
問いではなく、確認のような言い方だった。
「……俺のことを知っているのか」
エルクが聞いた。
「知らぬ」
グローワは即座に、淡々と答えた。
「知らぬが、予測はしていた」
「予測?」エルクが聞いた。
「この大樹は、世界の歪みに敏感でな」
グローワが、視線を一度、天井の遥か向こう、樹の方へ向けた。
「ここ数日、樹の声が騒がしい。世界の歪みが、急に強くなった。北方で、何か大きなことが起きたのだろうと、見ていた」
エルクは、思わずリアと視線を交わした。
北部の門。
あの夜のことを、この大樹は——あるいはグローワは——遠く離れたこの聖都から、感じ取っていたということか。
「軋みの源には、必ず誰かがいる」
グローワが続けた。
「継承者か。王家の血か。あるいは、その両方か。いずれかが動けば、樹は震える。そういう者が、いつかここへ来るだろうとは、思っていた」
「でも、それが俺だと、決まっていたわけじゃない」
「そうだ」
グローワが、初めてエルクの全身を、上から下まで、ゆっくりと検分するように見た。
研究対象を見るような視線だった。
そこに、感情の温度はほとんど感じられなかった。
「予測はしていた。だが、確信はなかった」
その目が、もう一度、エルクの目に戻った。
深い緑がかった瞳だった。
そこに浮かんでいるのは、驚きでも、懐かしさでもない。
もっと冷静な、何かを確かめるような光だった。
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グローワの視線が、次にリアへ向いた。
「——王家の娘」
リアが、わずかに身を固くした。
「アルヴェインの血。閉じる者。エルナトの血も混ざっているな」
リアは答えなかった。
だが、その正確さに、警戒の色を隠せなかった。
「王家の娘が、ここまで来るとは」
グローワが、小さく息を吐くように言った。
「時代も、変わったものだ」
歓迎でもなく、拒絶でもない。
ただ、観測者としての所感を、そのまま口にしただけのような言い方だった。
リアは剣の柄から手を離さなかったが、攻撃の意思があるわけではなかった。
ただ、このエルフが、ただの学者ではないと、肌で察していた。
グローワはそれ以上、リアには触れなかった。
視線は、再びエルクへ戻った。
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グローワは、しばらく何も言わなかった。
その沈黙は、考えているというよりも、観察しているような時間だった。
研究対象を前にして、最初の数分間、ただ見ることに集中する者の沈黙だった。
ミレナンも、シュウも、リアも、何も言わずにそれを見ていた。
図書館の高い天井から、葉擦れのような音が、どこか遠くで小さく響いた。
そして、グローワが、静かに、しかしはっきりと、口を開いた。
「なぜ、お前がその残響を持っている」
問いには、糾弾の色はなかった。
怒りも、悲しみも、そこにはない。
あるのは、ただ純粋な——あまりにも純粋な——疑問だけだった。
長く生きた研究者が、長く探し続けてきた答えの欠片を、ようやく目の前に置かれたときのような、静かな緊張だった。
エルクは、答えられなかった。
それは自分自身が、誰よりも知りたい答えだった。
「予測はしていた」
グローワが、続けた。
「だが、確信はなかった」
そして、わずかに目を細め、エルクの奥にある何かを見るように、こう言った。
「やはり、世界は動き始めているようだ」
その言葉の重さに、四人は誰も、すぐには応じられなかった。
聖都エークレイアの静寂の中で、五十年前を知る者と、ようやく向き合うことになった。
<登場人物>
グローワ
種族:エルフ
年齢:300歳以上だが見た目は人間で30歳くらい
・エークレイアの長老格
・召喚術研究者
・異世界召喚の開発者の生き残り
・約100年前。
エルフたちは世界の歪みを調査していた。
その過程で異世界召喚術を開発した。
グローワもその研究者の一人。
図書館の司書たち
・エルフが多いが、ドワーフもたまにいる。
・人間は寿命が短いため図書館の仕事に就くことは少ない。




