門と魔王 (2)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第四章
「まだ足りないか」
思念が、静かに語り始めた。
声だった。
音として聞こえる声ではなかった。直接頭の中に届く声だった。
「世界は壊れている」
それだけで、場の空気が変わった。
「ならば、やり直せばいい」
「壊れているものを壊す」
「全てを一つに」
「全てを元へ」
「終わらせて、始める。それだけだ」
世界融合。
その言葉が、頭の中で形になった。
バルゼディスが反応した。
「魔力反応が——」バルゼディスが言った。「上昇している。急上昇だ。門だけではない。ここから離れた場所からも来ている」
「どこから」
「エルナトだ」バルゼディスが言った。「エルナトの門が反応している。さらに——もっと遠くからも来ている。複数の場所から」
「世界中の門が反応している」バルゼディスが言った。
静かな声だった。
静かすぎる声だった。
恐怖が静けさになった声だった。
「まさか」バルゼディスが続けた。「全ての門を繋ぐつもりか」
ノクトが叫んだ。
「やめろ」
剣を握り直して、立ち上がった。震えながら立ち上がった。
「それでは全てが消える。全て滅ぶ。魔族も。人間も。全部だ」
初めてだった。
ノクトが魔王——あるいはこの思念に、明確に反抗した瞬間だった。
「計算している。何度計算しても同じ結果が出る。世界線の完全融合は、融合ではなく消滅だ。お前も知っているはずだ」
思念が、ノクトを見た。ノクトは続けた。怒りがあった。
「私は魔族だ。魔族の世界を守りたい。それだけだ。世界征服など望んでいない。人間の世界とともに消えるなど、望んでいない」
魔王——思念は静かだった。
「お前たちはまだ理解していない」
それだけだった。
ノクトが黙った。
何も言えなかった。
エルクもリアも。レイオンもライディスも。ルシラでさえ、浮遊円盤の上から黙って見ていた。
「ノクトが感情を出した。初めて見た」ルシラが言った。小さく言った。独り言だった。
エルクの頭の中で、《残響》が制御を失った。
止められなかった。
無数の記録が一気に流れ込んできた。
勇者の記憶があった。
仲間との記憶があった。
戦争の記憶があった。
世界が崩れていく記憶があった。
そして——
門があった。
誰かが門の前に立っていた。
絶望していた。
何かを失っていた。
声が来た。
「間に合わなかった」
知っている声だった。
知らない声だった。
両方だった。
エルクの目から、涙が落ちた。
「間に合わなかった。間に合わなかった……」
理由がわからなかった。
なぜ泣いているのか、自分でもわからなかった。
「なんで」
エルクが呟いた。
誰に向けた言葉でもなかった。
ノクトがエルクを見た。
何かを決めたような目をしていた。
「あの方は魔王じゃない」
ノクトが言った。
「あの方は——世界を壊した勇者だ」
その言葉が、場に落ちた。
誰も動けなかった。
リアが息を呑んだ。
レイオンが目を見開いた。
ライディスが顔を上げた。
エルクは、思念を見た。
思念は否定しなかった。
何も言わなかった。
それが、何よりも重い肯定だった。
「リア」エルクが言った。
声が震えていた。でも言った。
「やるぞ」
「わかった」
リアが大剣に手をかけた。
魔王の思念が言葉を続けた。
「この世界は壊れている。世界が分裂したまま続ければ、歪みが大きくなる。門が増える。どちらにしても、いつかは崩壊する。」
リアの腕が重かった。でも動いた。
王家の紋章が、胸元で光り始めた。
エルクが《残響》を絞った。
涙を拭わなかった。でも集中した。
「今日ここで門を閉じても、世界の歪みは消えない。どこかで別の門が開く。」
《残響》が門と繋がった。
光が変わった。
青白かった光に、銀色が混ざっていった。
裂け目が、少しずつ縮んでいった。
「私には時間がある。閉じろ。今日はそれでいい」
魔王の思念が、薄くなっていった。
「世界はもう崩れ始めている。私は終わらせる。そして始める」
思念は消え始めていた。
その薄れていく姿が、エルクを見た。
「残響の継承者」
声が届いた。
「今度こそ選べ」
「世界を守るか」
「世界をやり直すか」
エルクは答えられなかった。
何を選べばいいのか、わからなかった。
思念が、最後に言った。
「門が開けば、お前も理解する」
それだけだった。
裂け目が閉じていった。
光が消えていった。
思念の輪郭が、完全に消える直前——
エルクは見た。
その姿に、別の誰かの姿が、一瞬だけ重なった。
剣を持った青年だった。
顔は見えなかった。
でも、確信に近いものがあった。
映像が消えた。
光が消えた。
門が閉じた。
形の不安定な存在が消えていた。
岩山に埋まった円環が、光を失っていた。紋様が消えていた。ただの岩だった。
静寂が来た。
誰も動かなかった。
しばらく、誰も何も言わなかった。
「終わったのか」レイオンが言った。
声が掠れていた。
「終わった」バルゼディスが言った。「だが——」
言葉を止めた。
続けなかった。
何かを言いたくて、言えなかった。
ライディスが立ち上がった。
ゆっくりだった。膝が震えていた。
「あれが——」ライディスが言った。「あれが、本当の魔王か」
「わからない」エルクが言った。
「お前には見えただろう」ライディスが言った。「お前の残響が、何かを見ただろう」
エルクは答えなかった。
涙がまだ残っていた。
「見た」エルクが言った。「全部はわからない。でも、見た」
「勝ったわけじゃないわね」ルシラが言った。浮遊円盤の上から言った。「あの方が好きにしただけ」
「そうだ」ノクトが言った。震えは止まっていた。「あの方が今日は閉じることを選んだ。それだけだ」
ノクトは剣を納めていた。
「もう知っているだろう」ノクトが言った。「あの方の言葉が、全部本当だということを」
「お前は何を知っている」エルクが言った。
ノクトが答えなかった。
背を向けた。
「また会う」ノクトが言った。
「待て」
「今は話せない」ノクトが言った。「私自身、まだ理解できていない部分がある」
歩き出した。
闇の中に消えた。
転移魔法陣が展開して、ルシラも消えた。
「研究対象が増えたわ」消える寸前に言った。
「また来るわね」
「来るな」エルクが言った。
「そうはいかないの」
静寂があった。
「あれが魔王か」レイオンが言った。
声が平らだった。怒っていなかった。驚いていなかった。
消化しきれていなかった。
「ああ」エルクが言った。
レイオンが剣を見た。自分の剣を見た。「あれと戦えるか、俺は」
「今日は戦わなかった」エルクが言った。
ライディスが言った。「あれは魔王ではない」
全員が振り返った。
「魔王ではない?」
「違う」ライディスが言った。「魔王という呼び名が間違っている。あれは災害だ」
「災害」
「計算のある災害だ」ライディスが言った。「止める方法を探さなければならない。力ではない。別の方法で」
全員が黙った。
ライディスが歩き始めた。
「レグルスへ帰る。収集した情報を整理する。」ライディスが言った。「エルク」
エルクが振り返った。
「門について、お前が持っている情報を後で交換したい。今すぐではない。時期を見て」
歩き続けた。レグルスの魔導兵たちが後に続いた。
岩山に、何も残っていなかった。
円環があった場所に、光がなかった。紋様が消えていた。ただの岩だった。
戦争が終わった。
魔王と——あるいは何かと対峙した。
門を閉じることができた。
だが勝った感覚はなかった。
何かもっと大きいものを、垂直に見てしまった感覚があった。
世界の終わりを、その輪郭だけ見てしまった感覚があった。
「行くか」エルクが言った。
声が小さかった。
「行く」リアが言った。
レイオンが空を見た。「ヴァルガンへ戻る。報告がある」
「何を報告する」
「わからない」レイオンが言った。「だが、報告しなければならない」
レイオンがヴァルガン兵を引き連れて歩き出した。
その背中は、王の背中だった。
岩山が、静かに雪をかぶり始めていた。




