鋼鉄の王 (1)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第四章
夜が来ようとしていた。
空が赤かった。
炎のせいだった。ゼルガドの炎が空を染めていた。夕暮れと炎が混ざって、戦場全体が赤く見えた。
ガルゴン王がゼルガドの前にいた。
鎧が焦げていた。肩口に亀裂が入っていた。頬に傷があった。血が流れていた。それでも戦斧を構えていた。重心が落ちていた。まだ戦える姿勢だった。
「王よ」ゼルガドが言った。「まだ立てるか」
「立てる」ガルゴン王が言った。「お前を倒すまでは」
ゼルガドが笑った。炎が大きくなった。
周囲では戦闘が続いていた。
ルシラの第二軍が魔術を撃ち続けていた。
ヴァルガン軍とレグルス軍が必死に応戦していた。エルクが《残響》で指示を出し続けていた。
リアが前線で魔術兵を押さえていた。レイオンが中央で戦っていた。
でも全員が、戦いながらガルゴン王を見ていた。
王が前にいる限り、誰も後退しなかった。
「鎧が砕けているぞ」ゼルガドが言った。
「問題ない」ガルゴン王が言った。「鎧は飾りだ」
「飾りか」
「そうだ。余は鎧で戦わない。これで戦う」
戦斧を前に出した。
ゼルガドが踏み込んだ。
炎剣が横から来た。ガルゴン王が戦斧で受けた。衝撃が来た。
後退した。一歩だけ後退した。押し返した。
また打ち合った。
一撃ごとに地面が崩れた。二人の足元が、もはや平らではなかった。割れた石畳と焼けた土だけが残っていた。
ルシラが浮遊円盤に戻っていた。
リアに押し返されてからだった。
リアと正面から戦うことを選ばなかった。戦略的な後退だった。感情的な後退ではなかった。
「戦場が変わってきたわ」ルシラが言った。誰かに言ったわけではなかった。独り言だった。
第二軍の魔術師たちが砲撃を続けていた。でも人類軍は崩れなかった。
ガルゴン王が前にいる間は絶対に崩れなかった。
「厄介ね」ルシラが言った。
杖を構え直した。
「では、もっと直接的に」
第二軍の隊形が変わった。
今まで広域砲撃をしていた。それを止めた。
代わりに、数十人が一列に並んだ。
杖を同じ方向へ向けた。
エルクの方向へ向けた。
「エルク、来るぞ」リアが叫んだ。
《残響》が走った。
集中砲火だった。
エルクへ向かって、数十人分の魔術が同時に来た。
「来る」エルクが叫んだ。
横へ跳んだ。
炎が来た。雷が来た。氷槍が来た。全部が一点を狙っていた。
エルクがいた場所が爆発した。石が飛んだ。
「エルク…」リアが来た。
エルクが起き上がった。「大丈夫だ」
「嘘をつくな、顔が白い」
「大丈夫だ」
「おい」ライディスの声が来た。
振り返った。
ライディスが魔導兵を並べていた。「前に出るな。ここは俺たちが抑える」
「ライディス…」
「残響を使い続けろ。それが今できる最大だ」
ライディスが魔導兵へ言った。「盾を張れ。エルクの周囲を守れ」
魔導兵が動いた。エルクの周囲に結界が展開された。
ルシラが見ていた。
「面白いことをするわね」ルシラが言った。
また砲撃が来た。
結界に当たった。
結界が割れた。
魔導兵が補修した。また当たった。また割れた。また補修した。
「持たないな。四回が限界だ」ライディスが言った。
「四回あれば十分だ」エルクが言った。《残響》を絞った。戦場全体を読んだ。頭が痛かった。
「ルシラの次の一手が来る。左翼から回り込む。今すぐ左翼を厚くしろ」
ライディスが動いた。
左翼へ魔導兵を回した。
ルシラの部隊が来た。
待ち構えていた。
止めた。
「見えているの」ルシラが言った。遠くから言った。
「ある程度は」エルクが言った。
「なるほど。残念ね。残響は封じたと思ったのに」
ルシラが少し笑った。「では」
杖を掲げた。
今まで見たことのない大きさの魔法陣が展開した。
空が紫に染まった。
「まずい」バルゼディスが叫んだ。
「あれは——広域消滅魔法だ。範囲内にいる者を全て——」
エルクが叫んだ。「全員今すぐ散れ。固まっていたら終わる」
全員が動いた。
左右へ走った。前後へ走った。
魔法陣が光った。
光が降りてきた。
着弾した。
爆発した。
でも固まっていなかった。被害が分散した。
「それも読んだの」ルシラが言った。
「読んだ」
「残念」
ルシラが杖を下げた。
少しだけ、その表情が変わった。
楽しそうだった。
本当に楽しそうだった。
「あなたと戦うのは面白いわ」ルシラが言った。
「残響があるから、じゃないの。あなた自身が面白い。なぜそんなに戦えるの」
エルクは答えなかった。
ルシラが続けた。「本当の勇者でも何でもないのに。ただ召喚されただけの人間なのに」
「関係ない」エルクが言った。
「そう?」
「ここに守りたいものがある。それだけだ」
ルシラが少し止まった。
「守りたいもの」
繰り返した。
意味を確かめるように繰り返した。
「面白いわ、本当に」
・
・
・
ガルゴン王が押されていた。
ゼルガドの攻撃が重くなっていた。
炎が大きくなっていた。剣の一振りごとに地面が溶けていた。ガルゴン王の鎧が、肩の部分が崩れていた。左腕が自由に動かなくなっていた。
「疲れたか」ゼルガドが言った。
「疲れた」ガルゴン王が言った。「だが倒れていない」
「いずれ倒れる」
「余が倒れる前に、お前が倒れる」
ゼルガドが大剣を振った。
横薙ぎだった。炎が弧を描いた。
ガルゴン王が戦斧を縦に構えた。炎の弧を受けた。衝撃が来た。押された。一歩後退した。
ゼルガドが追った。今度は縦に振り下ろした。
ガルゴン王が左に動いた。剣が地面に刺さった。石畳が割れた。
戦斧を振り上げた。ゼルガドの右腕を狙った。
ゼルガドが引いた。剣を地面から引き抜いて盾にした。戦斧が剣に当たった。火花が散った。
「速いな」ゼルガドが言った。
「戦場が遅くしてくれない」ガルゴン王が言った。
踏み込んだ。
戦斧を短く持った。接近戦の持ち方だった。ゼルガドの懐に入った。
ゼルガドが驚いた。剣が長すぎて、この距離では使えなかった。
ガルゴン王が戦斧の柄で胴を突いた。
ゼルガドが後退した。
二歩後退した。
「ほう」
初めてゼルガドが笑った。余裕の笑いではなかった。面白いと思っている笑いだった。
「接近されたか」
「お前の剣は長い。近ければ使えない」
「なるほど」
ゼルガドが体から炎を出した。
全身から炎が溢れた。接近している者を焼く炎だった。
ガルゴン王が後退した。炎が追いかけた。鎧の左腕部分が焼けた。煙が上がった。
「それが切り札か」ガルゴン王が言った。
「一つだ」ゼルガドが言った。炎を引いた。
大剣を地面に向けた。
炎が剣から地面へ走った。地面が燃えた。広がった。ガルゴン王の足元まで来た。
ガルゴン王が跳んだ。
空中で戦斧を振った。
ゼルガドが剣で受けた。
空中で激突した。
二人が同時に地面に落ちた。地面が揺れた。
立った。
同時に立った。
「強いな」ゼルガドが言った。感情のない声だった。でもそれが最大の評価だった。
「人間でここまでやれる者は久しぶりだ」ゼルガドは重心を落とし、剣を構えた。
「久しぶりか、何年前だ」戦斧を振りながらガルゴン王が言った。
「五十年前だ」
ガルゴン王が少し目を細めた。「五十年前に戦った人間がいたのか」
ゼルがドガ踏み込んだ。
ゼルガドの一閃をガルゴン王は戦斧で弾いた。
「いた」ゼルガドが言った。「戦いを楽しんでいた。民のために戦っていた」
ガルゴン王は一歩下がり戦斧を振り翳した。ゼルガドへ向けた。
「そいつはどうなった」
「強かった」ゼルガドが言った。
それだけだった。
沈黙があった。
エルクがその会話を遠くから聞いていた。
五十年前。
民のために戦っていた。
強かった。
何かが引っかかった。でも今は考える余裕がなかった。
ゼルガドが大剣を構え直した。
「続けるぞ」
「当然だ」ガルゴン王が言った。
二人が同時に動いた。
打ち合った。
弾いた。踏み込んだ。また打ち合った。
一撃一撃が重かった。鉄が割れる音がした。炎が散った。地面が溶けた。
ゼルガドが大きく振った。
ガルゴン王が受けた。
押された。
三歩後退した。
膝をつきかけた。
「陛下」誰かが叫んだ。
でも立った。
膝がつく直前に、踏ん張った。
立った。
「なぜ倒れん」ゼルガドが言った。
今まで感情なく戦っていた。でもその声に、初めて何かがあった。疑問があった。
理解できない、という感触があった。
「民が立っている限り」
ガルゴン王が言った。
声が大きかった。
戦場に届く声だった。
「余は倒れん」
戦場が変わった。
後退していたヴァルガン兵が足を止めた。
伏せていた者が顔を上げた。
傷ついていた者が剣を持ち直した。
ゼルガドが少し止まった。「民のために倒れないのか」
「そうだ」
「理解できない」
「だから余たちは負けない」ガルゴン王が言った。
「強さだけで戦っている者には、わからない理由がある」
ゼルガドが沈黙した。
長い沈黙ではなかった。




