深淵魔導軍 (1)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第四章
封印施設は、もう動いていなかった。
石造りの柱が砕けていた。四本あったはずの柱のうち二本が根元から折れて、地面に倒れていた。残りの二本にも深い亀裂が走っていた。
柱と柱の間に張られていたはずの封印の膜が消えていた。中央の魔法陣が機能を失って、ただの石の彫刻になっていた。
周囲の雪が黒く変色していた。
焼けた跡だった。
「遅かったか」リアが言った。
低い声だった。
バルゼディスが前に出た。倒れた柱に手を当てた。目を閉じた。長い間そうしていた。
「間違いない…」バルゼディスが言った。
「第二軍の魔導術式だ。封印の構造を理解した上で、核だけを選んで破壊している。力任せではない。知識がある者の仕業だ」
「…つまり敵は近いってことか」レイオンが周囲を見回した。
「近いというより…」エルクが言いかけた。
空が紫色に染まった。
一瞬だった。
吹雪の上空に、巨大な魔法陣が展開した。
複数の輪が重なって、紋様が走って、紫と黒が混ざった光が広がった。
「転移だ!散れ!」バルゼディスが叫んだ。
全員が動いた。
魔法陣から人が降ってきた。
黒衣だった。
数十人が雪原に着地した。全員が杖を持っていた。
整然と散った。包囲する形を作った。
近づいてこなかった。距離を保ったまま止まった。
その中央に、一人が最後に降り立った。
黒い翼があった。小さかった。装飾のような翼だった。白い肌だった。紫の瞳だった。
長い黒髪が吹雪の中で揺れた。小さな角が額にあった。漆黒の法衣を着ていた。
雪原に立っただけで、空気が変わった。
存在感があった。美しかった。見る角度によって、天使にも悪魔にも見えた。
女はエルクを見た。
全員の中から、一点を定めた。
「ようやく会えた」
妖艶に笑った。
「残響の継承者」
優雅に一礼した。
吹雪の雪原で、場所を完全に間違えた所作だった。
「ルシラよ」
「あなたに少し興味があるの」
シュウが小声でエルクに言った。「嫌な予感しかしない」
ルシラは攻撃しなかった。
最初の数秒、ただエルクを見ていた。
観察していた。
品定めではなかった。研究者が珍しい標本を前にした顔をしていた。
「どこまで見えるのかしらぁ」ルシラが言った。
それが合図だった。
周囲の魔術兵が動いた。
杖を掲げた。呪文を唱えた。
無数の魔法陣が展開した。足元に。空中に。左右に。前後に。氷槍が生まれた。雷撃が走った。拘束の光が地面から伸びた。
第一軍とは全然違った。
第一軍は一点に力をぶつけてきた。こちらは違った。全方向から同時に来た。どれを先に対処すべきか判断させる間もなかった。
リアが前に出た。大剣を構えて走った。
透明な壁があった。
大剣が弾かれた。音もなかった。見えもしなかった。ただ止まった。
「っ」
フレイナが左から迂回しようとした。別の壁があった。
止まった。
レイオンが正面から剣を振った。壁が揺れた。でも崩れなかった。
「力だけでは届かないわ」ルシラが言った。笑っていた。楽しそうだった。
「そういう敵を想定して設計しているから」
魔術兵の一人が呪文を変えた。
地面から光の鎖が伸びた。シュウの足に絡みついた。
「うおっ」シュウが転んだ。
エルクが短剣を抜いて鎖を断った。シュウが立ち上がった。
「厄介だ…」レイオンが言った。
「結界の中に入れない。外から攻撃もできない」
「狙いはエルクだ。引き寄せてから術で捕らえる気だ」リアが言った。
「わかってる」エルクが言った。
その時、ルシラが動いた。
エルクの方向を向いた。
指を一本立てた。
「少し眠って」
精神魔法だった。
世界が歪んだ。
吹雪が消えた。
雪原が消えた。
エルクは別の場所にいた。
白い天井があった。蛍光灯があった。
オフィスだった。
机が並んでいた。モニターがあった。キーボードの音がしていた。誰かが話していた。笑い声があった。コーヒーの匂いがした。
知っている場所だった。
知っているはずだった。
でも名前が出なかった。誰の声か分からなかった。
モニターの画面を見た。
ゲームの開発画面だった。
キャラクターが動いていた。エルクが作っていたはずのキャラクターが、画面の中で動いていた。
これは自分の仕事だった。
ここは自分の場所だった。
「帰りたい?」
ルシラの声がした。でも姿が見えなかった。
「あなたの世界へ」
エルクは答えられなかった。
帰りたいという気持ちがあった。ずっとあった。この光景を見ると、それが形を持って押し寄せてきた。
「本当にあなたはエルクなの?」
ルシラの声が続いた。
「残響が見せる記憶——それは本当にあなたのもの?」
エルクが止まった。
「どういう意味だ」
「残響は並行世界の情報を受け取る」ルシラの声が言った。
「でも——受け取り続けていれば、どの記憶が本当に自分のものか、わからなくなる。あなたが今エルクだと思っているのは、残響が見せる幻かもしれないわ」
「違う」
「そう?」
「違う。俺は——」
「エルク!」
別の声が来た。
リアの声だった。
「エルク!」
魔王軍 第二軍
・魔導兵、魔術師、悪魔系
ルシラ
・第二軍団長
・妖艶な悪魔




