開く者 (2)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~
暗かった。
音がなかった。
地面があった。立っていた。でも、何も見えなかった。
暗闇だった。
その中に、人影があった。
一人ではなかった。
二人ではなかった。
数えられなかった。
何十人か、何百人か。全員が暗闇の中に立っていた。全員がエルクを向いていた。
エルクは動けなかった。
一人が前に出た。
女だった。年齢はエルクと同じくらいだった。服装が違った。見たことのない服だった。目が赤かった。泣いていたのかもしれなかった。
何かを言った。
聞こえなかった。
別の一人が前に出た。男だった。老人だった。腰が曲がっていた。何かを言った。聞こえなかった。
また別の一人。
また別の一人。
全員が何かを言っていた。
でも聞こえなかった。
声が重なりすぎていた。
エルクは立っていた。
全員に囲まれていた。
その中で——一人だけ違う者がいた。
奥にいた。
座っていた。
他の者たちとは違う位置にいた。
近づいた。
人影の間を抜けた。
奥に来た。
座っていた者が顔を上げた。
顔は見えなかった。
でも——存在の重さが違った。
「ようやく来たか」
その者が言った。
聞こえた。
他の声は聞こえなかったのに、この声は聞こえた。
「お前は誰だ」エルクが言った。
「五十年前にここにいた」その者が言った。「お前と同じ力を持っていた」
伝説の勇者だった。
「残響持ちはなぜ全員死んだ」
エルクが聞いた。
伝説の勇者が少し沈黙した。
「聞こえすぎたからだ」
「聞こえすぎた」
「残響は世界の情報を受信する。この世界だけではない。並行世界も。異世界も。無限の世界線も。全部が流れ込んでくる。人間の精神は一つの世界分しか保てない。無限が流れ込めば——崩壊する」
「だから死んだ」
「そうだ。自滅した者もいた。狂った者もいた。ライディスに処分された者もいた。レグルスが恐れて封印した者もいた。全員が、受け取りすぎた」
エルクは暗闇を見た。
周囲の人影が、まだそこにいた。全員が無言で何かを言っていた。
「お前もそうなったのか」エルクが聞いた。
伝説の勇者が少し間を置いた。
「私は別の理由だ。だが——結果は同じだ」
「封印されたと記録にあった」
「そうだ」
「今ここにいるのは」
「残響の中にいる。世界の記録の中にいる。消えたわけではない。ただ——どこにもいない」
エルクはその言葉を受け取った。
消えたわけではない。どこにもいない。
「なぜ俺は生きているんだ」
伝説の勇者が、初めて笑った。
顔が見えなかった。でも——笑っているとわかった。
「お前は聞いているのではない」
「何?」
「選んでいる」
エルクには意味がわからなかった。
「どういう意味だ」
「残響は流れ込んでくる。他の者はそれに飲まれた。受け取った。全部受け取ろうとした。だから崩壊した」伝説の勇者が言った。
「だがお前は——無意識に選んでいる。全部を受け取らない。流している。必要なものだけを受け取っている」
「意識してやっていない」
「そうだ。無意識だ。だから自分でも気づいていない」伝説の勇者が言った。
「だが——それがお前が壊れていない理由だ。そしてそれが、お前が器として完成している理由だ」
エルクは少し黙った。
「器として完成している、とはどういう意味だ」
「門と共鳴できる。残響を使って門に干渉できる。それができるのは、世界の情報を選んで処理できる者だけだ」
「それが俺だということか」
「そうだ」
「門とは何だ」
エルクが聞いた。
伝説の勇者が答えた。
「世界と世界の接点だ。異世界への穴ではない。移動装置でもない。二つの世界が重なる場所だ。無数の可能性が重なる場所だ。そこに——残響で触れることができる」
「だから残響が鍵なのか」
「残響は門を認識する力だ。認識できる者だけが干渉できる。認識できない者には、門はただの石の輪だ」
エルクは理解した。
ノクトが残響を必要とする理由が、わかった。
ライディスが残響を欲しがる理由が、わかった。
「門を開くには残響が必要で、門を閉じるには王家の血が必要だ」エルクが言った。
「二つが揃わないと、門は制御できない」
「そうだ」
「なぜそういう設計になっている」
伝説の勇者が少し間を置いた。
「設計ではない」
「設計ではない?」
「門は誰かが作ったものではない。世界そのものから生まれたものだ。残響も、王家の血も——門が生み出したものかもしれない」
エルクは息を止めた。
「門が生み出した?」
「気を付けろ」伝説の勇者が言った。
「何を」
「門は道具ではない」
その言葉が終わる前に。
背後から声が来た。
暗闇が震えた。
人影たちが動いた。全員が同じ方向を向いた。
声は方向を持たなかった。
どこからともなく来た。
巨大だった。
「我を開け」
空間が、震えた。
暗闇の中に、光が生まれた。
青白い光だった。
それが広がった。
「門の声か」エルクが言った。
伝説の勇者が静かに目を閉じた。
「そうだ」
「門が喋っている」
伝説の勇者が言った。「だから気を付けろと言った。門は意志を持つ。門は開きたがっている。残響を持つ者に——開けと命じる」
「命じているのか。呼んでいるのではなく」
「呼ぶことと命じることの、どちらに近いかはわからない」伝説の勇者が言った。
「だが——忘れるな。お前は門の道具ではない」
光が広がった。
暗闇が消えていった。
人影たちが消えていった。
伝説の勇者が、最後に言った。
「選べ」
それだけだった。
光が、すべてを覆った。
・
・
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目が開いた。
地面だった。
遺跡の床だった。
音が来た。
戦闘の音だった。
「エルク」
リアが目の前にいた。膝をついていた。エルクの肩を掴んでいた。
「大丈夫か」
「大丈夫だ」
立ち上がった。
膝が震えなかった。
《残響》が、静かだった。
暴走していなかった。
増幅装置がまだ動いていた。でも——流れていた。情報が流れていた。受け取っていなかった。選んでいた。
世界が、見えた。
戦場が、見えた。
特殊部隊の一人一人の動きが、見えた。魔力の流れが見えた。どこが薄いか、どこが強いか、全部見えた。
「シュウ」エルクが言った。
「聞こえてる」
「増幅装置を持っている奴の後ろ、三歩右に死角がある。今から十秒以内に踏み込める」
「了解」シュウが動いた。
「リア、左から二人来る。先に来る方は囮だ。後ろの奴が本命だ」
リアが構えを変えた。囮が来た。流した。本命が来た。迎え撃った。一撃で止めた。
「ミレナン、右端の一人が魔法を溜めている。今撃つと相殺できる」
ミレナンが右を向いた。火球を撃った。敵の魔法と相殺した。
特殊部隊が止まった。
動きが読まれていた。
増幅装置を持った者がシュウに倒された。装置が停止した。
特殊部隊が後退し始めた。
三人が残った。二人が残った。
最後の一人が走り去った。
静かになった。
リアがエルクを見た。
「目が違う」
「そうか」
「さっきと違う。何かが変わった」
エルクは少し考えた。「見える量が増えた」
「残響か」
「残響だ。でも——暴走していない。選んでいる」
リアが少し黙った。
「無事でよかった」
それだけだった。
感情が出ない言い方だった。でも——エルクには伝わった。
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遠くで、ライディスは報告を聞いていた。
「特殊部隊が撤退しました。残響の暴走が起きましたが——収まりました。エルクは生存しています」
ライディスが窓の外を向いたまま言った。
「暴走の規模は」
「観測網への反応は、過去最大でした。歴代勇者の共鳴反応も観測されました。それでも——」
「生きていた」
「はい」
ライディスが少し間を置いた。
窓の外を見ていた。
夜だった。
「やはり違う」ライディスが言った。
側近が言った。「何がです」
「あれは兵器ではない」
側近が黙った。
ライディスが続けた。「兵器なら暴走で死ぬか、暴走で使い物にならなくなる。どちらでもなかった。暴走した後、むしろ強くなっている。兵器はそういう動きをしない」
「では何なのですか」
ライディスが静かに言った。
「門そのものだ」
側近が息を呑んだ。
ライディスはそれ以上説明しなかった。
「今は一旦引く。」
ライディス軍撤退。
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窓の外の空に、かすかな光があった。
遠くの森の方向だった。
第二の門の光だった。
夜の空に、青白く滲んでいた。
誰もいない遺跡の奥で。
門が回転していた。
光が安定していた。
裂け目が、昨日より少しだけ広くなっていた。
その光の中で。
何かが動いた。
声が来た。
聞く者は誰もいなかった。
それでも声は来た。
「もうすぐだ」
門の光が、強くなった。
強くなった。
また強くなった。
夜の遺跡を、青白く照らした。
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