世界を選べ (2)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~
光に飲まれた。
足元が消えた。床がなくなった。壁がなくなった。天井がなくなった。神殿がなくなった。
残ったのは、光だけだった。
青白い光の中に、四人がいた。
体はあった。手を見ると見えた。でも地面がなかった。浮いているのか、立っているのか、わからなかった。
「エルク」シュウの声だった。
「聞こえるか」
「聞こえる」
「リアは」
「いる」リアの声だった。
「ミレナンは」
「います」ミレナンの声だった。
少し震えていた。「これは何ですか」
「わからない」エルクが言った。
光が変わり始めた。
薄くなった。薄くなった先に、色が見え始めた。形が見え始めた。
景色だった。
最初に見えたのは、空だった。
青い空だった。
雲があった。鳥が飛んでいた。
地面があった。緑の地面だった。草原だった。
人がいた。街があった。木造の建物が並んでいた。馬車が走っていた。
知らない世界だった。
次の瞬間、景色が変わった。
煙が上がっていた。鉄の塔が立っていた。地面を走る機械があった。煙を吐きながら走っていた。服装が違った。言葉が聞こえたが、エルクには聞き取れなかった。
また変わった。
水だった。
海の中だった。都市が海の底に沈んでいた。建物が藻に覆われていた。魚が泳いでいた。かつて人が生きていた場所が、今は海の底にあった。
また変わった。
空に都市が浮いていた。
建物が空中に並んでいた。橋が空を渡っていた。人が歩いていた。
また変わった。
焦土だった。
何もなかった。建物の残骸があった。人の影がなかった。空が赤かった。
景色が次々と変わった。
一つ一つに、世界があった。一つ一つに、歴史があった。一つ一つに、そこで生きた命があった。
無数だった。
数えられなかった。
「これが」ミレナンが言った。声が震えていた。「並行世界——」
「全部、本物だ。どれも本物の世界だ」エルクが言った。
《残響》が静かに鳴っていた。
ここにいると、すべてが受け取れた。
一つずつなら、エルクは耐えられた。
無限に続くそれを、少しずつ受け取れた。
壊れていない理由が、少しわかった気がした。
全部を一度に受け取ろうとするから壊れる。流せば、耐えられる。
・
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景色が、一つで止まった。
夜だった。
高い建物が並んでいた。ガラスの外壁が夜の光を反射していた。地面に光の線が走っていた。道路だった。車が走っていた。信号が変わった。人が渡った。
東京だった。
エルクは足を止めた。
正確には、足を止める床がなかった。でも、動くことをやめた。
景色の中に、人がいた。
一人の男がいた。
スーツを着ていた。ビルの入り口から出てきた。ネクタイが少し緩んでいた。仕事帰りだった。スマホを見ながら歩いていた。画面に何かが映っていた。
その男の顔を見た瞬間、エルクは息を止めた。
自分だった。
年齢は20代後半くらいだった。顔が同じだった。髪型が少し違った。でも同じ人間だった。
その男は、生きていた。
死んでいなかった。
消えていなかった。
東京の夜を、普通に歩いていた。
スマホから顔を上げた。信号が赤だった。立ち止まった。
空を見上げた。夜空を見た。何かを考えているような顔だった。
その顔が——どこか、疲れていた。
疲れていたが、絶望してはいなかった。
何かを探しているような顔だった。
信号が青になった。
男が歩き始めた。人混みに消えた。
エルクはその背中を見ていた。
「俺が——」
言葉が出なかった。
生きている。
あの世界で、自分が生きている。
召喚された。この世界に来た。では向こうにいる自分は、何なのか。
消えたわけではなかった。
向こうで、まだ生きていた。
では——この自分は、何なのか。
答えが出なかった。
出ないまま、景色が変わった。
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・
小学校だった。
校庭だった。
昼間だった。子供たちが走っていた。笑い声が聞こえた。体育の授業だった。笛の音がした。
一人の男が立っていた。
シュウだった。
今のシュウとほぼ同じ顔だった。ジャージを着ていた。笛を持っていた。子供たちを見ていた。
笑っていた。
子供が転んだ。シュウが駆け寄った。膝を擦った子供の頭を撫でた。何かを言った。聞こえなかった。でも子供が笑った。シュウも笑った。
そのシュウも、生きていた。
普通に生きていた。
教師として生きていた。
「シュウ」エルクが言った。
シュウの声がした。「見えてる」
それだけだった。
それ以上言わなかった。
エルクはシュウを見た。
シュウは景色を見ていた。
校庭を見ていた。自分が笑っている景色を見ていた。口を一文字に結んでいた。何かを堪えていた。
笑ってはいなかった。
でも泣いてもいなかった。
ただ——見ていた。
エルクは何も言わなかった。
シュウが何かを言う必要があるなら、シュウが言う。言わないなら、言わなくていい。
景色が変わった。
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・
今度は、リアだった。
異世界ではなかった。
この世界だった。
王都だった。石造りの街だった。レグルスの王都だった。広い通りがあった。馬車が走っていた。人が歩いていた。
子供がいた。
七歳か八歳の少女だった。赤みがかった長い髪だった。
リアだった。
幼いリアが、通りの脇に立っていた。一人だった。周囲に人はいたが、護衛はいなかった。迷子のようだった。
遠くから、何かが来た。
音だった。怒号だった。
魔物だった。
石造りの建物の影から、魔物が出てきた。大きかった。人々が逃げた。幼いリアが立ち尽くした。足が動いていなかった。
魔物が近づいた。
そこへ。
誰かが来た。
走ってきた。
幼いリアと魔物の間に、立った。
背中だった。
顔は見えなかった。
背中だけが見えた。
大柄ではなかった。でも、揺れていなかった。揺れない背中だった。魔物の前に立っても、揺れなかった。
その人物が、幼いリアを見て振り返った。
一瞬だけ、顔が見えそうになった。
見えなかった。
光が邪魔をした。逆光だった。
でも——笑っていることだけは、わかった。
声が聞こえた。
「大丈夫だ」
声だけ聞こえた。
「俺は勇者だからな」
幼いリアが、その背中を見ていた。
今のリアが、その景色を見ていた。
エルクはリアを見た。
リアは何も言わなかった。
その顔に、普段の無表情はなかった。
何かがあった。
言葉にならない何かが、リアの顔にあった。
景色が消えた。
・
・
・
光だけになった。
そこへ。
声が来た。
人間の声ではなかった。
男でも女でもなかった。
老人でも子供でもなかった。
この世界のどこから来ているのか、わからなかった。
「世界を選べ」
声が言った。
「世界を選べ」
もう一度言った。
「門はそのためにある」
全員が聞いていた。
エルクも、シュウも、リアも、ミレナンも。
「何だこれ」シュウが言った。
「わからない」エルクが言った。
「門が話しているのか」
「わからない」
「世界を選べって——どういう意味だ」
答えが出なかった。
その声は説明をしなかった。
ただ言った。
「世界を選べ」
「門はそのためにある」
それだけだった。
エルクは光の中に立っていた。
無数の世界を見た後だった。
向こうで生きている自分を見た後だった。
世界を選べ。
どの世界を選ぶのか。
元の世界か。この世界か。それとも、光の中で見た無数の世界のどれかか。
答えがなかった。
答えを出す前に、別の声が来た。
《残響》の外から来た声だった。
現実の声だった。
「離れろ」
ノクトの声だった。
だが——その声に、初めて何かがあった。
余裕がなかった。
ノクトが、焦っていた。
神殿が揺れた。
現実に引き戻された。
光が薄くなった。床が戻ってきた。壁が戻ってきた。天井が戻ってきた。
神殿の中だった。
扉の前だった。
扉が激しく光っていた。制御できていない光り方だった。床の魔法陣が乱れていた。壁の文字が点滅していた。
天井から石が落ちた。
「崩れる」リアが言った。
「出口へ」エルクが言った。
ノクトが横を走り抜けた。
「待て。お前も逃げるのか」エルクが言った。
「黙ってついてこい」ノクトが言った。
振り返らなかった。
走り続けた。
「信用できるのか」シュウが言った。
天井からもう一つ石が落ちた。床に亀裂が入った。
「今は信用する」エルクが言った。
四人が走った。
ノクトが前を走っていた。
来た道を戻っていた。広間。通路。階段。
崩落の音が追いかけてきた。
壁が崩れた。天井が落ちた。床に亀裂が走った。
ミレナンが走りながら叫んだ。「先生に怒られます、絶対に」
「今は走れ」エルクが言った。
「走ってます!」
石の破片が足元に落ちた。
シュウがミレナンの腕を引いた。「こっちだ」
ノクトが角を曲がった。
四人が続いた。
地上へ続く階段が見えた。
光が見えた。
外の光だった。




