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異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~  作者: 小城乃ひかり
第三章 賢者の国

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帰る場所 (2)

異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~

翌朝、アルテフェインが四人を研究室に呼んだ。


観測儀の前に立っていた。いつもの場所だった。でも今日は、地図も広げていた。エルナトの詳細地図だった。北東部に、印がついていた。


「現地調査を頼みたい」

アルテフェインが言った。


「門の活性化の原因が、エルナト北東部から来ている。古代遺跡群の中に、反応源がある」

「遺跡群か」とエルクが言った。


「《星見の谷》と呼ばれている場所だ。古代文明の遺跡が複数残っている。門の観測記録では、その谷のどこかに反応源がある。だが正確な場所は特定できていない」

「なぜ特定できない」

「遺跡群全体が、古代の魔法陣で覆われている。外から観測すると、信号が乱反射する。中に入らなければ、場所を絞れない」


エルクは地図を見た。エルナトの街から、北東へ二日ほどの距離だった。山と森が続いていた。谷の位置に、細かい遺跡の記号が刻まれていた。

「四人で行けるのか」

「私が行ければ確実だが」アルテフェインが言った。

「今は塔を離れられない。観測装置の監視が必要だ。門の活性化が加速している以上、ここで情報を拾い続ける必要がある」


「ミレナンが来るか」

「古代文明の研究をさせてきたのは、こういうときのためだ」

ミレナンが反応した。

「遺跡ですよ」

声のトーンが、明らかに変わっていた。

「遺跡です」

リアが静かに言った。

「二回言ったな」

「言いました」ミレナンが言った。目が輝いていた。


「古代遺跡への現地調査は、研究者として最高の機会です。先生、本当に行っていいんですか」

「行かせると言っている」

「やった」


「ただし」アルテフェインが言った。「死ぬな」

「はい」ミレナンが即答した。


「戦闘は控えろ。お前の火球は味方に当たる」

「先生、それは一度だけで——」

「二度だ」

ミレナンが黙った。


シュウが小声でエルクに言った。

「二度あるのか」



出発は翌朝に決まった。

その日の午後、四人は装備を揃えるために街へ出た。


魔導市場を歩いた。ミレナンが各店の説明をした。今日は方向を間違えなかった。

「保存食はここが安いです」

「魔導灯の替え芯はここが品質がいいです」

「地図はこの店のものが一番正確です」

「なぜ知っているんだ」とエルクが聞いた。

「先生に何度も買いに来させられたので」

「なるほど」

「ついでに言うと、魔導解析用の結晶はこの先の店が——」

「今は要らない」

「念のために言っておきたかっただけです」


シュウが保存食の棚を見ていた。

「これ何の肉だ」と袋を手に取った。

ミレナンが「魔獣の燻製です。保存が利きます」と答えた。

「うまいか」と聞いた。

「先生が言うには、食べられないことはない、だそうです」とミレナンが答えた。シュウが棚に戻した。


リアが地図を広げていた。《星見の谷》への道筋を確認していた。

エルクは魔導灯の棚を見ていた。手のひらに収まるサイズのものを一つ手に取った。昨日、書店で見たものと似ていた。突起を押すと光が出た。消した。

「これにする」

「それは街用です」とミレナンが言った。

「野外ならこちらのほうが」ミレナンが別の棚から、少し大きなものを取り出した。

「これは雨にも強くて、光量も調節できます」

「値段は」

「こちらのほうが高いです」

「どのくらい」

ミレナンが値札を見た。「……三倍です」

「街用でいい」

「野外では——」

「街用でいい」

ミレナンが少し不満そうにしたが、引き下がった。


問題はその後に起きた。


魔導道具の専門店に入ったときだった。

ミレナンが棚を見ていた。古代遺跡の調査に使う解析用の道具を探していた。

魔導結晶を使った小型の解析器だった。小さかったが値段は高かった。ミレナンが手に取った。

「これがあれば遺跡の魔法陣を解読できます。先生の研究室にもあるんですが、私用は持っていなくて。ずっと欲しかったんです」


「いくらだ」とシュウが聞いた。

ミレナンが値札を見た。「……少し高いですね」

「少し、って」

「えっと」ミレナンが計算した。「私の今月の研究補助費が全部消えます」

「やめろ」

「でも遺跡では必要で——」

「落とすなよ」とシュウが言った。

「気をつけます」

「絶対か」

「絶対です」

ミレナンが解析器を持ったまま、別の棚に目を向けた。そこに、もう一つの魔導球があった。大きかった。青白く光っていた。

「これは」ミレナンが呟いた。

「古代語の変換球だ。これがあれば古代文字が——」

手を伸ばした。


解析器を持ったまま、手を伸ばした。


解析器が、棚に当たった。

手から離れた。

落ちた。


乾いた音がした。

全員が見た。


床に、解析器の破片が散らばっていた。

沈黙があった。


店主が出てきた。ミレナンを見た。ミレナンが床を見た。

「……あ」

「あ、じゃない」とシュウが言った。

シュウが笑い始めた。声を出して笑った。

「笑いごとじゃないです」ミレナンが言った。

「これ、今月の補助費が——」

「だから言ったじゃないか」シュウが笑いながら言った。

「落とすなって」

「気をつけていたんです」

「気をつけた結果がこれか」

ミレナンが泣きそうな顔をしていた。でも泣かなかった。

リアが財布を取り出した。

「金を払う」リアが店主に言った。

「リアさん——」

「後で返せ」リアがミレナンに言った。

ミレナンが小さくなった。

「……はい」


エルクは笑いを堪えていた。堪えきれなかった。

リアが店主に支払いをしながら、口元が少しだけ動いた。

笑っていた。


ほんの少しだけ、笑っていた。


夕方、宿に戻った。


荷物をまとめた。保存食。地図。魔導灯。着替え。武器の手入れ道具。それぞれが必要なものを詰めた。

ミレナンが自分の荷物を詰めながら「忘れ物がないか三回確認します」と言った。

シュウが「五回確認しろ」と言った。

ミレナンが「失礼ですね」と言った。


エルクは荷物を詰めながら、窓の外を見た。

夕暮れのエルナトだった。魔導灯が一斉に明るくなる時間だった。橙色と青白い光が石畳に混ざっていた。

《残響》が、かすかに鳴っていた。


北東の方向から、何かが来ていた。

遠かった。まだ届かなかった。でも——何かがある、という感触だけが来ていた。


明日、向かう。

エルクは荷物を閉じた。


その頃、レグルスでは。


ライディスが報告を聞いていた。

「エルクたちが、明朝エルナト北東部へ出発する模様です。目的地は《星見の谷》と思われます」

ライディスは窓の外を見ていた。


夜だった。星が出ていた。


「アルテフェインめ」

ライディスが静かに言った。


「気付いたか」

「追いますか」

ライディスは少し考えた。

「いや」

「しかし、門の場所が特定されれば——」

「追わなくていい」ライディスが言った。


「場所を特定させろ。エルクに残響で追わせろ。我々がやるより確実だ」

部下が黙った。

「その代わり、別の組を向かわせろ」

「別の組、ですか」

「エルクたちとは別ルートで。目立つな。接触もするな」ライディスが言った。


「ただし——場所が特定された瞬間に動けるよう、待機させろ」

「承知しました。誰を——」

「あの者たちに頼む」

部下が一瞬、表情を動かした。

「……本当によろしいんですか。あの者たちは、制御が——」

「制御できる、今は、それしかない」

ライディスが言った。


部下が頭を下げた。扉が閉まった。


ライディスは一人になった。

窓の外に星があった。

あの星のどこかに、門がある。世界と世界の境界線が、静かに脈を打っている。


「急げ、エルク」

ライディスは小さく言った。


独り言だった。

「お前が動いてくれるなら、こちらも動ける」



翌朝、夜明け前にエルクは目を覚ました。


準備を済ませた。荷物を背負った。宿の廊下に出ると、三人がすでにいた。

リアが壁に寄りかかっていた。シュウが欠伸をしていた。

ミレナンが荷物を抱えて「忘れ物がないか確認しています」と言っていた。


四人で塔へ向かった。

アルテフェインが門の前にいた。城門の外ではなく、塔の入り口だった。珍しかった。いつも塔の中にいる老人が、外に出ていた。

朝の冷たい空気の中に、白いローブが白かった。


「先生」ミレナンが言った。

「見送りに来てくれたんですか」

アルテフェインは答えなかった。

ミレナンの頭を、杖ではなく手で、軽く叩いた。

「死ぬな」

「はい」ミレナンが即答した。


アルテフェインがエルクを見た。金色の目だった。

「残響が強くなる場所があるかもしれない。無理に受信するな。流せ」

「わかった」


「リア」

リアが老人を見た。

アルテフェインは何かを言いかけた。

止めた。

「気をつけろ」

それだけだった。

リアが小さく頷いた。


シュウが「先生、俺には何か」と言った。

アルテフェインがシュウを見た。

「ミレナンの荷物を持ってやれ」と言った。

シュウが「それだけか」と言った。

「それが一番重要だ」とアルテフェインが言った。


ミレナンが「先生、心配してくれているんですか」と言った。


アルテフェインが少し間を置いた。

「心配だ」

珍しい声だった。

感情のある声だった。

ミレナンが少し目を赤くした。すぐに眼鏡を直した。


四人が歩き始めた。


城門を抜けた。エルナトの外へ出た。朝の空気が冷たかった。北東の方向に、山が見えた。森が続いていた。


その先に、《星見の谷》がある。

エルクが歩きながら、《残響》に耳を傾けた。

静かだった。


静かなまま、数歩歩いた。


そのとき。

来た。

声だった。

《残響》の声とは違った。ノイズがなかった。断片でもなかった。

はっきりとした声だった。

老人でもなかった。勇者の断末魔でもなかった。


知らない声だった。


「門を開くな」

それだけだった。


消えた。


エルクが立ち止まった。


振り返った。

アルテフェインが塔の入り口に立っていた。白いローブが見えた。

でもその声は、アルテフェインではなかった。


誰もいなかった。


風だけが吹いていた。

「エルク、どうした」シュウが振り返った。

「……何でもない」

エルクは前を向いた。

北東の方向を見た。


山脈の稜線の向こうに、何かがあった。

光だった。

まだ遠かった。でも確かに光っていた。夜明けの空に溶けそうな、薄い青白い光だった。


門が、眠っている場所だった。

エルクは歩き始めた。

あの声が誰のものか、まだわからなかった。


でも——聞いたことのない声だった。

歴代の勇者の声ではなかった。死者の残留情報ではなかった。

生きている誰かの声だった。


風が吹いた。

四人の背中を、押すように吹いた。

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