帰る場所 (2)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~
翌朝、アルテフェインが四人を研究室に呼んだ。
観測儀の前に立っていた。いつもの場所だった。でも今日は、地図も広げていた。エルナトの詳細地図だった。北東部に、印がついていた。
「現地調査を頼みたい」
アルテフェインが言った。
「門の活性化の原因が、エルナト北東部から来ている。古代遺跡群の中に、反応源がある」
「遺跡群か」とエルクが言った。
「《星見の谷》と呼ばれている場所だ。古代文明の遺跡が複数残っている。門の観測記録では、その谷のどこかに反応源がある。だが正確な場所は特定できていない」
「なぜ特定できない」
「遺跡群全体が、古代の魔法陣で覆われている。外から観測すると、信号が乱反射する。中に入らなければ、場所を絞れない」
エルクは地図を見た。エルナトの街から、北東へ二日ほどの距離だった。山と森が続いていた。谷の位置に、細かい遺跡の記号が刻まれていた。
「四人で行けるのか」
「私が行ければ確実だが」アルテフェインが言った。
「今は塔を離れられない。観測装置の監視が必要だ。門の活性化が加速している以上、ここで情報を拾い続ける必要がある」
「ミレナンが来るか」
「古代文明の研究をさせてきたのは、こういうときのためだ」
ミレナンが反応した。
「遺跡ですよ」
声のトーンが、明らかに変わっていた。
「遺跡です」
リアが静かに言った。
「二回言ったな」
「言いました」ミレナンが言った。目が輝いていた。
「古代遺跡への現地調査は、研究者として最高の機会です。先生、本当に行っていいんですか」
「行かせると言っている」
「やった」
「ただし」アルテフェインが言った。「死ぬな」
「はい」ミレナンが即答した。
「戦闘は控えろ。お前の火球は味方に当たる」
「先生、それは一度だけで——」
「二度だ」
ミレナンが黙った。
シュウが小声でエルクに言った。
「二度あるのか」
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出発は翌朝に決まった。
その日の午後、四人は装備を揃えるために街へ出た。
魔導市場を歩いた。ミレナンが各店の説明をした。今日は方向を間違えなかった。
「保存食はここが安いです」
「魔導灯の替え芯はここが品質がいいです」
「地図はこの店のものが一番正確です」
「なぜ知っているんだ」とエルクが聞いた。
「先生に何度も買いに来させられたので」
「なるほど」
「ついでに言うと、魔導解析用の結晶はこの先の店が——」
「今は要らない」
「念のために言っておきたかっただけです」
シュウが保存食の棚を見ていた。
「これ何の肉だ」と袋を手に取った。
ミレナンが「魔獣の燻製です。保存が利きます」と答えた。
「うまいか」と聞いた。
「先生が言うには、食べられないことはない、だそうです」とミレナンが答えた。シュウが棚に戻した。
リアが地図を広げていた。《星見の谷》への道筋を確認していた。
エルクは魔導灯の棚を見ていた。手のひらに収まるサイズのものを一つ手に取った。昨日、書店で見たものと似ていた。突起を押すと光が出た。消した。
「これにする」
「それは街用です」とミレナンが言った。
「野外ならこちらのほうが」ミレナンが別の棚から、少し大きなものを取り出した。
「これは雨にも強くて、光量も調節できます」
「値段は」
「こちらのほうが高いです」
「どのくらい」
ミレナンが値札を見た。「……三倍です」
「街用でいい」
「野外では——」
「街用でいい」
ミレナンが少し不満そうにしたが、引き下がった。
問題はその後に起きた。
魔導道具の専門店に入ったときだった。
ミレナンが棚を見ていた。古代遺跡の調査に使う解析用の道具を探していた。
魔導結晶を使った小型の解析器だった。小さかったが値段は高かった。ミレナンが手に取った。
「これがあれば遺跡の魔法陣を解読できます。先生の研究室にもあるんですが、私用は持っていなくて。ずっと欲しかったんです」
「いくらだ」とシュウが聞いた。
ミレナンが値札を見た。「……少し高いですね」
「少し、って」
「えっと」ミレナンが計算した。「私の今月の研究補助費が全部消えます」
「やめろ」
「でも遺跡では必要で——」
「落とすなよ」とシュウが言った。
「気をつけます」
「絶対か」
「絶対です」
ミレナンが解析器を持ったまま、別の棚に目を向けた。そこに、もう一つの魔導球があった。大きかった。青白く光っていた。
「これは」ミレナンが呟いた。
「古代語の変換球だ。これがあれば古代文字が——」
手を伸ばした。
解析器を持ったまま、手を伸ばした。
解析器が、棚に当たった。
手から離れた。
落ちた。
乾いた音がした。
全員が見た。
床に、解析器の破片が散らばっていた。
沈黙があった。
店主が出てきた。ミレナンを見た。ミレナンが床を見た。
「……あ」
「あ、じゃない」とシュウが言った。
シュウが笑い始めた。声を出して笑った。
「笑いごとじゃないです」ミレナンが言った。
「これ、今月の補助費が——」
「だから言ったじゃないか」シュウが笑いながら言った。
「落とすなって」
「気をつけていたんです」
「気をつけた結果がこれか」
ミレナンが泣きそうな顔をしていた。でも泣かなかった。
リアが財布を取り出した。
「金を払う」リアが店主に言った。
「リアさん——」
「後で返せ」リアがミレナンに言った。
ミレナンが小さくなった。
「……はい」
エルクは笑いを堪えていた。堪えきれなかった。
リアが店主に支払いをしながら、口元が少しだけ動いた。
笑っていた。
ほんの少しだけ、笑っていた。
夕方、宿に戻った。
荷物をまとめた。保存食。地図。魔導灯。着替え。武器の手入れ道具。それぞれが必要なものを詰めた。
ミレナンが自分の荷物を詰めながら「忘れ物がないか三回確認します」と言った。
シュウが「五回確認しろ」と言った。
ミレナンが「失礼ですね」と言った。
エルクは荷物を詰めながら、窓の外を見た。
夕暮れのエルナトだった。魔導灯が一斉に明るくなる時間だった。橙色と青白い光が石畳に混ざっていた。
《残響》が、かすかに鳴っていた。
北東の方向から、何かが来ていた。
遠かった。まだ届かなかった。でも——何かがある、という感触だけが来ていた。
明日、向かう。
エルクは荷物を閉じた。
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その頃、レグルスでは。
ライディスが報告を聞いていた。
「エルクたちが、明朝エルナト北東部へ出発する模様です。目的地は《星見の谷》と思われます」
ライディスは窓の外を見ていた。
夜だった。星が出ていた。
「アルテフェインめ」
ライディスが静かに言った。
「気付いたか」
「追いますか」
ライディスは少し考えた。
「いや」
「しかし、門の場所が特定されれば——」
「追わなくていい」ライディスが言った。
「場所を特定させろ。エルクに残響で追わせろ。我々がやるより確実だ」
部下が黙った。
「その代わり、別の組を向かわせろ」
「別の組、ですか」
「エルクたちとは別ルートで。目立つな。接触もするな」ライディスが言った。
「ただし——場所が特定された瞬間に動けるよう、待機させろ」
「承知しました。誰を——」
「あの者たちに頼む」
部下が一瞬、表情を動かした。
「……本当によろしいんですか。あの者たちは、制御が——」
「制御できる、今は、それしかない」
ライディスが言った。
部下が頭を下げた。扉が閉まった。
ライディスは一人になった。
窓の外に星があった。
あの星のどこかに、門がある。世界と世界の境界線が、静かに脈を打っている。
「急げ、エルク」
ライディスは小さく言った。
独り言だった。
「お前が動いてくれるなら、こちらも動ける」
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翌朝、夜明け前にエルクは目を覚ました。
準備を済ませた。荷物を背負った。宿の廊下に出ると、三人がすでにいた。
リアが壁に寄りかかっていた。シュウが欠伸をしていた。
ミレナンが荷物を抱えて「忘れ物がないか確認しています」と言っていた。
四人で塔へ向かった。
アルテフェインが門の前にいた。城門の外ではなく、塔の入り口だった。珍しかった。いつも塔の中にいる老人が、外に出ていた。
朝の冷たい空気の中に、白いローブが白かった。
「先生」ミレナンが言った。
「見送りに来てくれたんですか」
アルテフェインは答えなかった。
ミレナンの頭を、杖ではなく手で、軽く叩いた。
「死ぬな」
「はい」ミレナンが即答した。
アルテフェインがエルクを見た。金色の目だった。
「残響が強くなる場所があるかもしれない。無理に受信するな。流せ」
「わかった」
「リア」
リアが老人を見た。
アルテフェインは何かを言いかけた。
止めた。
「気をつけろ」
それだけだった。
リアが小さく頷いた。
シュウが「先生、俺には何か」と言った。
アルテフェインがシュウを見た。
「ミレナンの荷物を持ってやれ」と言った。
シュウが「それだけか」と言った。
「それが一番重要だ」とアルテフェインが言った。
ミレナンが「先生、心配してくれているんですか」と言った。
アルテフェインが少し間を置いた。
「心配だ」
珍しい声だった。
感情のある声だった。
ミレナンが少し目を赤くした。すぐに眼鏡を直した。
四人が歩き始めた。
城門を抜けた。エルナトの外へ出た。朝の空気が冷たかった。北東の方向に、山が見えた。森が続いていた。
その先に、《星見の谷》がある。
エルクが歩きながら、《残響》に耳を傾けた。
静かだった。
静かなまま、数歩歩いた。
そのとき。
来た。
声だった。
《残響》の声とは違った。ノイズがなかった。断片でもなかった。
はっきりとした声だった。
老人でもなかった。勇者の断末魔でもなかった。
知らない声だった。
「門を開くな」
それだけだった。
消えた。
エルクが立ち止まった。
振り返った。
アルテフェインが塔の入り口に立っていた。白いローブが見えた。
でもその声は、アルテフェインではなかった。
誰もいなかった。
風だけが吹いていた。
「エルク、どうした」シュウが振り返った。
「……何でもない」
エルクは前を向いた。
北東の方向を見た。
山脈の稜線の向こうに、何かがあった。
光だった。
まだ遠かった。でも確かに光っていた。夜明けの空に溶けそうな、薄い青白い光だった。
門が、眠っている場所だった。
エルクは歩き始めた。
あの声が誰のものか、まだわからなかった。
でも——聞いたことのない声だった。
歴代の勇者の声ではなかった。死者の残留情報ではなかった。
生きている誰かの声だった。
風が吹いた。
四人の背中を、押すように吹いた。




