表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~  作者: 小城乃ひかり
第三章 賢者の国

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/37

帰る場所 (1)

異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~

白い部屋が、まだ残っていた。


目を開けていても、残っていた。研究室の石造りの天井を見ているのに、その向こうに白い天井が透けて見えるような感覚だった。

点滴の管。機械の音。白いシーツ。

そしてあの写真。


エルクは床に座っていた。壁に背をもたせかけていた。シュウが隣に座っていた。リアが少し離れたところに立っていた。ミレナンがエルクの顔を覗き込んでいた。

「顔色悪いですよ」

「わかってる」

「水、持ってきましょうか」

「いい」

ミレナンが引き下がった。でも離れなかった。心配そうにしていた。


アルテフェインは観測儀の前にいた。光の粒の動きを読んでいた。エルクたちの方を向いていなかった。

「シュウ」

エルクが隣に言った。

「うん」

「お前も何か見えたか」

シュウが少し間を置いた。

「見えた」

「何が」

「体育館」シュウが言った。

「子供たちが走ってた。笛の音がした。俺が笛吹いてたのかもしれない。わかんないけど」

エルクは天井を見た。

シュウが続けた。

「校庭があった。桜が咲いてた。入学式だったのかな。親御さんたちが写真撮ってた。子供が泣いてた。緊張してたんだろうな」

「覚えていたのか」

「覚えてたわけじゃない。見えた。さっき急に。でも見えた瞬間に、全部知ってる気がした」


しばらく、二人は黙っていた。

ミレナンが二人を交互に見ていた。何かを言いたそうだったが、言わなかった。空気を読んでいた。


シュウが膝を抱えた。

「なんかさ」

シュウが言った。

「帰りたくなってきた」

初めて言葉にした。


それまでずっと、その感情はあったはずだった。エルクにも、シュウにも。でも言葉にしなかった。言葉にすれば、帰れないかもしれないという事実が、より重くなる気がしていた。

でもシュウは言った。

「帰りたい」

ミレナンが小さく息をのんだ。

リアは何も言わなかった。

ただ窓の方を向いた。夜のエルナトの光が、窓の外に広がっていた。


アルテフェインが振り返った。

観測儀から離れて、部屋の中央に来た。

「落ち着いたか」

エルクが立ち上がった。

「聞いていいか」

「聞け」

「元の世界に、帰れるのか」

部屋が静かになった。


アルテフェインは答えなかった。


長い沈黙だった。何かを考えているのか、言葉を選んでいるのか、エルクにはわからなかった。

ただ待った。


アルテフェインが口を開いた。

「分からん」

それだけだった。


「分からない、ということか」

「そうだ。帰還成功の記録はない。一件もない。四百年分の記録の中に、一件もない」


「門があれば帰れないのか」

「門は帰還装置ではない」アルテフェインが言った。

「昨日も言った。門は世界と世界を繋ぐ境界線だ。開けば融合する。お前が元の世界へ渡れるかどうかと、門が開くかどうかは、別の問題だ」


「別の問題」

「そうだ。門が開いても、お前が元の世界へ帰れる保証はない。むしろ——」

アルテフェインが少し間を置いた。


「世界が融合すれば、元の世界そのものが変わる。帰るべき世界が、帰った瞬間には別の世界になっているかもしれない」


エルクは観測儀を見た。

無数の球体が浮かんでいた。光の粒が動いていた。

「では、どうすれば」

「まだわからない」アルテフェインが正直に言った。


「私が五十年かけて研究してきたが、帰還の方法はまだ見えていない。門を閉じることはできるかもしれない。しかし帰ることと、閉じることは、これもまた別の問題だ」


シュウが床を見ていた。

ミレナンが手帳を持っていたが、開かなかった。


アルテフェインが三人を見た。

「聞く」


「お前たちは、帰りたいか」

重かった。

問いとして重かった。答えを求める問いではなかった。自分自身に向き合わせる問いだった。


シュウが即答しなかった。

エルクも答えられなかった。

リアが黙っていた。

ミレナンだけが、静かに三人を見ていた。

答えは出なかった。

出なかったまま、夜が深くなった。


研究塔の屋上へ続く階段を、エルクは一人で上った。

アルテフェインが「屋上がある」と言ったわけではなかった。

ただ、上へ行きたかった。螺旋階段を上り続けたら、小さな扉があった。押したら開いた。

外に出た。


夜風が来た。エルナトの夜だった。魔導灯の光が眼下に広がっていた。塔の頂に近い場所からだと、街全体が見えた。光の網が、地平線の手前まで続いていた。

空に星が出ていた。


エルナトの星は、東京の星より多かった。光害がない分、空が暗かった。その分、星が多かった。

足音がした。

振り返った。


リアだった。

「ここにいたか」リアが言った。

「見つかったな」

リアが隣に来た。街を見た。しばらく二人で黙っていた。

「帰りたいか」

リアが聞いた。

「さっきアルテフェインに聞かれた」エルクが言った。


「お前の答えを聞いている」

エルクは街を見た。

「帰りたい、という気持ちはある」エルクは言った。


「ずっとあった。でも——さっき、病院の光景を見てから、その感情が変わった気がする」

「どう変わった」

「帰りたい、が——帰らなければいけないに、なった気がする」


リアが少し黙った。

「写真の女性か」

「多分、俺の知っている人間だ」エルクが言った。


「残響じゃない。記憶だ。でも名前が出てこない。顔は見えた。でも声が出てこない。その人が——あの病院にいる誰かと関係している気がする」


「ベッドにいたのが、お前かもしれないと思っているか」

エルクは答えなかった。


答えなかったことが、答えだった。


リアが星を見た。

「私には帰る場所がある」


「王都がある。故郷がある。国がある。たとえレグルスに追われていても——この世界に、私の帰る場所はある」

「羨ましいな」

「そうかもしれない」リアが言った。


「でも——勇者には、ない」

エルクがリアを見た。

「召喚された者たちには、帰る場所がない。記録にある二百人近くも、帰れなかった。帰る場所を持ったまま、帰れなかった。だから帰してあげたい。みんなを」

「みんな、か」

「お前も。シュウも」

エルクは前を向いた。


街の光が広がっていた。静かだった。


「お前はどうする。俺たちが帰った後」


リアが少し間を置いた。


「勇者召喚を止める。それだけだ」

その答えは迷いなかった。でも——その前の沈黙が、少しだけ長かった。

エルクはそれに気づいたが、何も言わなかった。


風が来た。

リアの赤みがかった髪が揺れた。

街の光が、二人の足元まで届いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ