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異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~  作者: 小城乃ひかり
第三章 賢者の国

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軍務卿ライディス (2)

異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~

エルナトは、今日も明るかった。


石畳に魔導灯の光が反射していた。空に輸送艇が流れていた。広場では子供たちが走っていた。光の噴水が昼間でも輝いていた。


四人は街を歩いていた。

ミレナンが先頭だった。

今日は珍しく地図を持っていなかった。

「今日は覚えているので大丈夫です」

「本当に?」とシュウが聞いた。

「この道は毎日通っています」

「毎日通っていて、昨日迷ったんじゃないのか」

「昨日は、少し考え事をしていたので」

「今日は考え事をしないのか」

「します」

「じゃあ迷うじゃないか」

ミレナンが口をへの字にした。

「失礼ですね」

シュウが笑った。今日は笑っていた。

昨日の資料室とは違う顔だった。切り替えが早いのか、あるいは切り替えようとしているのか、エルクにはわからなかった。

どちらでもいい、とも思っていた。


魔導市場を抜けた先に、見慣れない区画があった。

「魔導書店です」ミレナンが言った。


「エルナト最大の書店で、魔導学院の学生も研究員も全員ここで本を買います」

建物は三階建てだった。外壁に魔法陣が刻まれていた。


扉が自動で開いた。


中に入ると、天井まで本棚が並んでいた。梯子が各棚についていた。梯子が——動いていた。棚の上を、梯子が滑るように移動していた。客が梯子の上に乗ったまま、棚の本を眺めていた。

「便利だな」とシュウが言った。


「魔法で動かしています。目当ての本を声で言うと、その本の棚まで連れて行ってくれます」

「試していいか」

「どうぞ」

シュウが梯子に乗った。「えーと……料理の本」と声で言った。

梯子がゆっくりと動いた。棚の列を二つ越えた先で止まった。シュウの目の前に、料理の本が並んでいた。

「すごい」シュウが言った。

「なんでも揃ってるのか」


「学院の図書室にないものも、ここに来れば大体あります」

シュウが本を一冊手に取った。

「買おうかな。前の世界じゃ、料理したことなかったけど」

「前の世界?」ミレナンが聞いた。


「ああ、俺と——エルクはこの世界に来る前に、別の世界にいたんだ」

ミレナンが少し黙った。


「……その話、もう少し聞いてもいいですか」

「いいけど」シュウが本を棚に戻した。「難しい話はできないぞ。俺もよくわかってないから」

「難しくなくていいです。ただ、どんな世界だったか、知りたい」

シュウが梯子から降りた。

「そうだな」少し考えた。「明るかった。夜でも明るかった。街全体が光ってた」

「魔導灯があったんですか」

「魔法じゃない。でも光ってた」シュウが言った。

「なんていうか——ここに似てるんだよな、エルナトが。だから少し懐かしい気がする」


ミレナンが手帳を取り出した。

「メモしていいですか」

「好きにしろ」

ミレナンが書き始めた。真剣な顔だった。

書きながら「他には?」と聞いた。

「乗り物があった。地面を走る乗り物。魔導列車みたいなやつ」とシュウが答えた。

「音がしたか」とミレナンが聞いた。

「した。結構うるさかった」とシュウが答えた。

二人が話していた。


エルクはその横で、書店の棚を見ていた。

見ていたが、本は見ていなかった。

何かが——引っかかっていた。

昨日からだった。正確には、今朝から。街を歩いていると、どこかから視線を感じた。《残響》の反応ではなかった。もっと物理的な何かだった。


誰かがいる。

エルクは棚の隙間から、書店の外を見た。

通りを歩く人々が見えた。普通の人々だった。

でも——

一人だけ、動いていない者がいた。


屋台の影に立っていた。こちらを向いていた。

目が合った瞬間、その人物は向きを変えた。

人混みに消えた。


エルクは棚から離れた。何も言わなかった。


魔法カフェは、浮遊庭園の近くにあった。

石造りのこじんまりとした店だった。入り口に魔導灯が吊るされていた。扉を開けると、温かい空気と甘い匂いが来た。

「ここ、エルナトで一番有名な店です。魔法で温度を管理しているので、飲み物がいつでも最適な温度で出てきます」

「最適な温度って」とシュウが言った。

「熱い飲み物は熱く、冷たい飲み物は冷たく。最後の一口まで変わりません」

「それだけで有名なのか」

「エルナトの人は、こういうものに価値を感じます」

四人が席についた。ミレナンが全員分を注文した。


温かい飲み物が来た。エルクには名前のわからない飲み物だった。色は濃い橙色だった。一口飲んだ。甘かった。果実の味がした。


リアが窓の外を見ていた。

街が見えた。普通の街の昼だった。

「お前たちにとって、ここはどう見える」リアが言った。


「いい街だと思う」エルクが答えた。

「レグルスと比べて」

「比べるまでもない」

リアが窓から目を離した。

「そうだな」

「でも」エルクは続けた。

「完全に安全だとは思っていない」

リアがエルクを見た。

「誰かに見られている気がする。今日ずっと」

リアの目が、少し鋭くなった。

「ライディスの手が届いているか」

「わからない。でも可能性はある」


ミレナンが二人の会話を聞いていた。飲み物を持ったまま、置いていた。

「……先生に話すべきですか」

「今夜話す」エルクが言った。


シュウが飲み物を飲み終えた。「うまかった、お代わりできるか」とミレナンに聞いた。

「できます」とミレナンが答えた。シュウが「頼む」と言った。

場が少し緩んだ。


エルクは緩んだ空気の中で、窓の外を一度だけ見た。

屋台の影はなかった。

でも——いなくなったわけではないと思っていた。

夜になった。


四人は塔へ向かった。

アルテフェインは研究室にいた。観測儀の前に立っていた。四人が入ってきても振り返らなかった。

「来たか」

「話がある」エルクが言った。


「今日、誰かに見られていた」

アルテフェインが振り返った。金色の目が、エルクを見た。

「確信があるか」

「ある」

「見た目は」

「一瞬しか見えなかった。レグルスの軍服ではなかった。私服だった」

アルテフェインは少し間を置いた。


そこへ、塔の下の方から音がした。

扉が開く音だった。続いて、複数の足音だった。階段を上る音だった。

「来たな」アルテフェインが静かに言った。


リアが大剣に手をかけた。

「待て」アルテフェインが言った。

「戦う必要はない」

足音が止まった。研究室の扉が、静かに開いた。


入ってきたのは、二人だった。

レグルスの軍服ではなかった。黒い簡素な服だった。武器を持っていなかった。両手を見せていた。敵意を見せない姿勢だった。


一人が口を開いた。

「アルテフェイン殿。軍務卿ライディスより、伝言をお届けに参りました」

アルテフェインが無言で続きを促した。


「残響の器を、レグルスへ引き渡していただきたい。世界を守るために必要なことです」

部屋が静かになった。

アルテフェインの目が、細くなった。

「世界を守る」

老人が繰り返した。声のトーンが、わずかに変わっていた。

「あの男は」

アルテフェインが言った。

「まだ諦めておらんか」

その声に、初めて感情があった。


怒りだった。

静かな怒りだった。声を荒げてはいなかった。でも確かに、怒りがあった。

使者が少し怯んだ。「私どもはただ伝言を——」

「わかっている」アルテフェインが遮った。


「帰れ。ライディスに伝えろ」

「……なんと伝えますか」

「断る、と伝えろ。それだけでわかる」

使者が頭を下げた。二人は出て行った。

足音が遠くなった。扉が閉まった。


沈黙があった。

エルクが口を開いた。「ライディスは、残響を何に使おうとしているんだ」

アルテフェインが観測儀の前に戻った。立ったまま、光の球体を見た。

「あの男は、門を知っている」

「知っている」とエルクが言った。


「だが、半分しか知らない」アルテフェインが言った。

「ライディスはこう考えている。残響で門を開く。異世界の力を引き出す。その力で魔王軍を殲滅する」

「門を開くことの意味は知っているはずだ」

「知った上で構わないと思っているかもしれない。彼には——止まれない理由がある」

「止まれない理由」

アルテフェインは観測儀を見たまま答えなかった。

エルクは少しの間待った。


「俺はまた兵器扱いか」

エルクが言った。

誰も答えなかった。

答えなくてよかった。

答えがわかっていた。


召喚された日から変わらなかった。番号で管理されたときから変わらなかった。

A-271。

兵器の番号だった。


そのとき。

観測儀が光った。


一瞬だった。だがはっきりした光だった。球体の内部で、何かが弾けた。

同時に、塔全体が揺れた。


かすかだったが、確かに揺れた。床の石が振動した。棚の資料が一冊落ちた。観測儀の光の粒が乱れた。

「何だ」とシュウが言った。

アルテフェインが観測儀に駆け寄った。

「門だ」


エルクの頭の中で、《残響》が爆発した。

暴走ではなかった。

だが、これまでとは違った。

情報が来た。声ではなかった。映像だった。


白い部屋だった。


天井が白かった。壁が白かった。ベッドが白かった。

病院だった。

ベッドに誰かが横たわっていた。顔が見えなかった。白いシーツに覆われていた。点滴の管がついていた。機械の音がした。一定のリズムで鳴っていた。


ベッドの脇の棚に、小さな機械が置かれていた。

薄い板だった。

画面があった。

その画面に、写真が映っていた。


三人が写っていた。


一人はエルクだった。

もう一人はシュウだった。

二人は笑っていた。

三人目は、女だった。

エルクの知らない女だった。でも——知っているような気がした。


写真の中のエルクと、その女が、並んで立っていた。

「エルク」

リアの声だった。


映像が消えた。


エルクは研究室にいた。床に片膝をついていた。いつ崩れたのか、わからなかった。

「大丈夫か」シュウが隣にいた。

エルクは答えなかった。


頭の中に、白い部屋が残っていた。機械の音が残っていた。三人の写真が残っていた。

「今、何を見た」

アルテフェインの声だった。

老人が目の前にいた。金色の目が、エルクを見ていた。


エルクは口を開いた。

でも言葉が出なかった。

白い部屋。病院。点滴。機械の音。三人の写真。知らない女。自分と並んで立つ、知らない女。

帰りたいと思っていた。


その感情は、ずっとあった。あの世界へ帰りたい。

でも——あの世界に、帰るべき「自分」がいるかどうか、考えたことがなかった。

あの病院のベッドに、誰かが横たわっていた。


顔の見えない誰かが。

「エルク」

シュウがもう一度言った。


エルクは顔を上げた。

「……見えた」

エルクは言った。

「向こうの世界が、見えた」

「何が見えた」

答えられなかった。

なぜなら——初めて、「元の世界の自分」が存在するかもしれないと思ってしまったから。

召喚される前の自分が。


誰かと並んで写真を撮った自分が。

そしてあのベッドで眠っている誰かが——自分かもしれないと、思ってしまったから。

「後で話す」

エルクは立ち上がった。

膝が少し震えていた。


アルテフェインはエルクを見ていた。金色の目が、何かを見透かすように光っていた。

老人は何も言わなかった。

聞かなかった。

ただ——観測儀に向き直った。

「門の活性化が、加速している」


静かに言った。

「急がなければならない」


観測儀の中で、エルナトの点が、強く、強く、脈を打っていた。

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