勇者A-271 (3)
ちょっぴりダークな異世界転生ファンタジー。
勇者は一人ではない。
番号を与えられ、量産され、戦場へ送られる世界。
“勇者A”と呼ばれた少年は、
モブのまま消えていくのか。
それとも・・・英雄になるのか。
『異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~』
開幕です。
槍の穂先が、赤い燭火を鈍く反射した。
エルクは息を止めた。
「いや、俺はただ——」
最後まで言えなかった。
騎士の足が石畳を踏み込んだ。速かった。そう理解した時には、鋭い突きが目の前まで来ていた。
避けられない。
そう思った瞬間。
・・・右だ。・・・
声が来た。
知らない声だった。男の声だった。頭の中から来た。
エルクの体が勝手に動いた。
自分の意志ではなかった。
石畳を蹴った。腰を捻った。視界の端を銀の穂先が掠めた。風圧が頬を叩いた。
「…は?」
騎士の目がわずかに見開かれた。
エルクも何が起きたかわからなかった。
体が先に動いた。頭が追いつく前に、体が知っていた。
その瞬間、知らない光景が流れ込んできた。
暗い戦場だった。雨が降っていた。泥に沈む死体があった。折れた槍が転がっていた。自分に似た誰かが、今と同じ一撃を紙一重で避けていた。息遣いまで伝わってきた。
次にどこへ踏み込むべきか、どう動けば死なないか、そいつの判断が全部流れ込んできた。
まるで誰かの経験を、一瞬だけ借りたような感触だった。
「貴様……」
騎士が低く呟いて、再び槍を構えた。
空気が張り詰めた。エルクは反射的に後ずさった。
なんだ今の。なんで避けられた?いや、それより、今、誰の記憶を見た?
頭の奥が熱かった。耳鳴りがした。
「待ってください」
通路に声が響いた。張り詰めた空気が途切れる。
駆け込んできたのはシュウだった。
「す、すみません、こいつ迷っただけなんです。」
シュウは息を切らしながらエルクの前に割り込んだ。
「立入禁止って知らなくて。俺たち急に異世界に来たばっかで、勝手がわからなくて、ほんとすみません」
シュウは引きつった笑みを浮かべながら、両手を前に出していた。
騎士は無言だった。
兜の奥の視線が、エルクからシュウへ移った。
シュウはそれでも笑みを崩さなかった。
「悪気はないんです。な、エルク」
「…ああ」
エルクは絞り出すように頷いた。
騎士はしばらく沈黙した。それからゆっくりと槍を下ろした。
「次はない」
低い声だった。それだけだった。騎士は白布の並ぶ奥へ戻っていった。鎧の音が遠ざかった。
エルクはようやく息を吐いた。
「はぁ…」
「お前、大丈夫か?」
シュウが覗き込んだ。
「顔やばいぞ」
「……ああ」
そう答えながらも、エルクの心臓はまだ激しく脈打っていた。
シュウは並んだ白布の方をちらりと見て、小さく顔をしかめた。
「あれ何なんだよ……」
エルクは答えなかった。
答えられなかった。
見えてしまったから。
白布の下から覗く手。
手首のタグ。
それは全部“A”だった。
つまり――。
「戻ろうぜ」
シュウが小声で言った。
「なんかここ、嫌な感じする」
エルクは黙って頷いた。
二人は足早に通路を戻った。石畳を踏む音だけが響いた。
待機室に戻ると、空気が少し落ち着いていた。
勇者たちは長椅子に座り込んで、不安そうに小声を交わしていた。配られた黒パンを齧る者、呆然と床を見つめる者、泣いている者。湿った石壁と薄暗い燭火が、部屋全体を陰鬱にしていた。
「うわ、メシ硬っ」シュウが黒パンを指で叩いた。コンコン、と乾いた音がした。「武器にできそうだな」
「それはわかる」
エルクは思わず苦笑した。
シュウが少し安心したように笑った。
「やっと笑ったな。さっきから死にそうな顔してたぞ」
「実際、死にかけたし」
「まあな」
シュウはエルクの隣に腰を下ろした。
「お前、あの槍どうやって避けたんだ。普通避けられないだろあれ」
「俺にもわからない」
「わからない?」
「体が先に動いた。声が聞こえた気がした」
「声?」
「右へ避けろ、って」
シュウが数秒黙った。それから吹き出した。
「なんだよそれ。幽霊のアドバイスか」
「そういう感じじゃないんだけどな」小さく呟いた。
まだ感覚が残っていた。
あの瞬間、自分ではない誰かがいた。知らない戦場にいた誰かの経験が、一瞬だけ流れ込んできた。雨と泥と、死体と、折れた槍の光景。それが今も頭の奥に残っていた。
シュウが黒パンを噛みながら言った。
「まあ異世界だしな。スキルとか能力があってもおかしくないか」
「スキル、か…」
エルクは天井を見上げた。
石造りの地下室。勇者召喚。ステータス判定。
全部、ゲームみたいだった。
ゲーム…
その言葉を考えた瞬間、頭の奥に白い光が浮かんだ。
スマホ画面。
無数のアイコン。
指先で何かを操作している感覚。
誰かの声。
だが霧のようにに全て消えた。
「……思い出せそうで思い出せないんだよな」
「何が?」
しばらく黒パンを噛みながら黙っていた。
エルクは自分の手を見た。
「前の世界のこと、お前は思い出せるか?」エルクが言った。
「断片だけ」シュウが答えた。「学校っぽい場所とか、子供たちと話してた感じとかはある。でも全然ハッキリしない」
「俺もだ。スマホの画面みたいなのと、誰かの声だけ残ってる。でも誰の声かわからない」
「召喚されたら都合よく記憶が消えるのかもな」
都合がいい。
記憶がなければ、帰る場所もわからない。帰る場所がなければ、帰ろうとしない。
エルクは壁を見た。何か文字が書かれていた。
文字は全く理解できなかった。
でも会話だけは自然に理解できた。
それは逆に不気味に思えた。
シュウは膝を抱え、小さく息を吐く。
「しかし勇者ってもっと、こう……チヤホヤされるもんかと思ってたわ」
「俺も」
あの白布の下にいた者たちも、最初はここにいた。Aという番号をつけられて、ここの長椅子に座って、同じ黒パンを食べていたのかもしれなかった。
あれは本当に勇者だったのか。
もしそうなら。
自分たちは、あと何人死ねばいい?
その時、部屋の隅で誰かが震える声を上げた。
「俺たち、本当に帰れるのか」
答えられる者は誰もいなかった。
燭台の炎が、風もないのに揺れた。
1話 勇者A-271 ここまでです。
これからのストーリーお楽しみに!
ーー現在分かっている情報ーー
登場人物
No.A-271
名前:エルク・レイン
性別:男
年齢:18
スキル:残響(声を聞く能力?何の?)




